(岡本美鈴さんと 真鶴の海を背景に
@撮影 鶴崎燃さん)
真鶴とは、いい響きの名だ。
神奈川県の真鶴町は、
まさに、その地形が鶴に似ていることから、その名がある。
その真鶴は、ダイバーたちの聖地だ。
日本を代表するフリーダイバーの岡本美鈴さんと対談するため、
真鶴に出かけた。岡本さんも練習のため、浦安からここまで通う。
フリーダイビングとは、いわゆる素潜りのこと。
エアタンクを使わず、潜水時間や深度、距離を競うスポーツだ。
岡本さんは、去年、92メートルまで潜った。
これは日本記録、アジア記録だ。
岡本さんに関する資料に目を通しながら、
会うのが楽しみでしかたなくなった。
たまたま共通の知人がいたこともあったが、
会う前から、親近感を持った。
初対面の瞬間、呼吸が合う人だと思った。
岡本さんも、ボクの本を2冊も買って持参していた。
ボクは、カナヅチなのだが、実は岡本さんも泳げなかったという。
これも親近感抱いた一つ。
水泳の時間、嫌で嫌でしかたなかったらしい。ボクもだ。
いまでもお風呂で洗面器に顔をつけるのは嫌らしい。ボクもだ。
同じ水でも、海と風呂は別物のようだ。
世界のトップダイバーの一員である岡本さんが、
こういう矛盾を抱えているのがいい。
1995年3月20日。
ボクは、NHKニューススタジオで、
地下鉄サリン事件第一報を担当した。
情報錯綜の中、胃が収縮する思いで、伝えた記憶がよみがえる。
あの時、岡本さんは、当時勤めていた会社への通勤途上、事件に遭遇。
サリンを吸った。大事には至らなかったが、
一歩間違えたら、どうなっていたかわからない。
その翌年、また命の危機に襲われる。
大きな卵巣腫瘍が出来た。破裂寸前を手術で救われた。
サリン事件と病気は、人生観を変えた。
「何が起きても後悔しないよう、全力でいまを生きよう!」と。
テレビで見たイルカと遊びたいと小笠原に出かけた。
飛行機で、偶然か必然か、
フリーダイビング日本代表選手と隣り合わせになった。
その醍醐味を説かれ、ダイビングの世界に入る。
水泳もバタ足から練習した。
隠れていた才能が開花した。
2006年には、水深61メートル、当時の女子日本記録を出した。
どんどん記録を更新し、ついに去年、92メートルを達成した。
フリーダイビングは、息とめの我慢大会ではない。
呼吸していなくても、苦しくない時間が長いことが肝心だ。
苦しくない時間を伸ばすためには、穏やかに集中していることが理想。ネガティブな雑念で心が動揺しては、良い結果は出せない。
波が高いのに無理してまで結果を求める欲に惑わされず、
素直な心で潜ることが佳きパフォーマンスに繋がる。
緊張や感情の高ぶりがあると、筋肉の酸素消費量が増えてしまう。
「ゆらゆら」たゆたうクラゲの心境になることだ。
海の中の感覚を聞いてみた。
「肌と水の境目がなくなるような感じ」
「酸素が減ってきて、両手足から血がひく感じ、
頭の奥がしびれる感じ、視界のかすかな変化
身体の中の音の聞こえ方、心境の変化・・・
かすかな兆候も見逃さなくなる。
身体の声に耳を傾けられるようになる」
潜水から浮上した時、「呼吸出来る」というシンプルな喜びがある。 明日がなかったかもしれない経験をしたからこその実感だろう。
呼応ということばがある。
きょうの対談は、まさにそれ。
呼吸ピッタリ。共感共鳴の対談となった。
清流6月号に掲載予定。