いま話題の篠田桃紅さん。
3月生まれの桃紅さん、今度の誕生日で103歳になる。
「桃紅李白薔薇紫」という中国の古典から
父が「桃紅」という雅号をつけてくれた。
春の風は一様に吹くのに、開く花は色とりどりという意味だ。
桃紅さんは、墨象画家として、墨を使った抽象表現をしてきた。
岐阜県関市にある「篠田桃紅美術空間」に立ち寄った。
関市役所の一角にある。
祖母が関市の出身、父が岐阜市の出身、
桃紅さん自身も美濃紙をこよなく愛しているなど、関わりが深い。
「美しく濃いという字が、墨を連想させる」と桃紅さんは言っている。
いま「言の葉」と題した展示が行われている。
抽象画に移る前、自分が感銘を受けた詩を、独特の墨書で表現してきた。
自らの心のおもむくままに、あるときは繊細に、あるときはダイナミックに。
三好達治や萩原朔太郎、宮沢賢治の詩を読んだ時の
桃紅さんの心象風景が、墨書を通してかいまみえる。
見るものの「わだかまり」を取り払う気迫さえ感じるエネルギーがすごい。
「文字という約束の外に私を押し出す、限りない広がりを持つ心踊る仕事」
というご本人の感慨がうなづける。
東京・南青山のアトリエで、障子越しに射し込む透き通った光の中、
毎朝1合の水を硯に注ぎ、墨を摺る。
そして、心にきざすものを筆に乗せ、墨と余白を生みだす。
100歳を超えた今も、制作意欲は衰えていない。
桃紅さんのベストセラー『103歳になってわかったこと』には、
含蓄のあることばが、ふんだんにある。
「体の半分はあの世にいて、過去も未来も俯瞰しているようだ」
「自分の生き方を年齢で判断するほど、愚かな価値観はない」
「納得しようとするのは思い上がり」
「真実は皮膜の間にある。真実は究極を伝えるものでない。
真実は想像の中にある」
「無駄にこそ、次の何かが兆している。
用だけ済ませる人生は、1+1=2の人生。
無駄のある人生は、1+1を10にも20にも出来る。
無駄はよくなる必然」
「文字の決まりごとから離れて自由になりたい。
川をタテ3本ではなく無数の線で、あるいは長い1本の線で表したい」
「私の根は、今まで触れたことのすべてで出来ている。
あらゆる影響、感動、拒絶すらも。
根は他者にあるのでなく、その人自身の一切」
「時宜に適って語られる言葉は、銀の器に盛る金のリンゴのごとし(旧約聖書)」
桃紅さんは、保守的な書道界で自分の世界を築いてきた。
戦後まもなく単身、アメリカに渡った。
父の遺言の「結婚」も果たすことはなかった。
孤高を貫く生き方をしてきた。
「天地(あめつち)に われ一人いて立つごとき この寂しさを君は微笑む」
(會津八一)
この心境に到る精神性の前に、頭を垂れるしかない。