関市は、流浪の仏師・円空ゆかりの地である。
竹林の中にある関市円空館を訪ねた。
円空は、生涯で12万体の仏像を彫ったと言われる。
一本の木を断ち割って彫りあげた。
鑿のあとは、そのままに残した。
笑顔の仏が多い。
円空仏は、300年も昔の作品であるにも関わらず、
今でも人々の心を打つのは、慈愛に満ちた「微笑」の魅力だろう。
一般的に柔らかい表情の多い観音菩薩・地蔵菩薩だけでなく、
厳めしい表情が多い不動明王や仁王像に至るまで
口元に微笑が込められている。
荒削りだが、木目や節や割れ目といった、
木の素材さがあるのも、円空仏を身近に感じるゆえんだろう。
円空は、
道端に転がっていそうな木の破片を削った、
いわゆる「木っ端仏」も多く製作している。
それらが飢えや疫病や災害に苦しんでいた
当時の民衆に安らぎを与えてくれたことだろう。
円空が美濃国(現在の岐阜県)に生まれたことは
最近になってわかったことらしい。昭和45(1970)年のことだ。
円空は、早くから仏門に入ったが、
長良川の洪水で母を失ったことで、寺院を出て山岳修行するようになった。
全国を行脚しながら、
悩み苦しむ人には菩薩像を、病に苦しむ人には薬師像を、
災害に苦しむ人には不動明王像を、干ばつに苦しむ人には竜王像を、
限りある命を救うために阿弥陀像などを刻み歩いた。
やがて、一所不住ともいわれた円空も、
自ら再興した岐阜県関市の弥勒寺に落ち着くようになり、
そこを拠点に仏像製作の旅を続けた。
誓願の12万体の仏像を彫り還暦を迎えた円空は、
母の命を奪った長良川を入定の地と決め、川の畔で即身仏となったという。
時代は違えど、桃紅さんも円空も、一心不乱に、筆や鑿を使って、
内なるものから湧きあがる感情を形にした。
その「何か」が、人々の共感を呼ぶのだろう。
心のおもむくままに生きたいという憧れを伴いながら・・・。
(円空館に至る竹林 円空が現れそうだ)