京都生まれのボクが思うに、
一筋縄ではいかない。
あの「ぶぶづけ神話」は本当の話だ。あの人は行儀知らんと値踏みする。
他人に一切関心を持っていないように見せかけて
「最近、お宅のご主人、お帰り遅おすなぁ」と、隣家の気配に敏感なのである。
そんな京都人のややこしいところを、
やや屈折した思いで書かれた本『京都ぎらい』。
新書大賞に選ばれたそうだ。
著者の井上章一さん(国際日本文化センター副所長)には、20年近く前に、
京都をテーマにしたクイズ番組に出演していただいたことがある。
そのとき、「井上さんは京男と紹介していいですか」と聞いたら、
「ボクは洛外の生まれやから、ちゃいますねん」と言われたことを
強烈に覚えている。
今回の本は、洛中の人に揶揄され続けた
井上さんの怨念から生まれたとも言える。
なるほどなるほどそういうことなのかと、
今になって、その時の発言の思いがわかった。
学生時代、洛中の老舗の主人から「あんたどこの生まれや?」と問われ、
嵯峨と答えたら、「嵯峨から肥を汲みに来てもろたもんや」と言われた。
この物言いが屈辱に感じるのは、洛外のものにしかわからない。
井上さんは、嵯峨の歴史的背景を説きながら、嵯峨の正統性を主張する。
しかしそれがあまり意味のないことだとわかっている。
洛中人の洛外人に対する差別意識は、
なかなか他の地域の人には理解しがたい。ややこしい限りだ。
この本の中でも、井上さんは息巻いてみたり諦めてみたり同調してみたり、
揺れ動いている。
京都の怖さや、ややこしさを知るには格好の本。京都の裏面史も学べる。
ボクは衣笠の出身だが、そうすると、京男ちゃういうわけや。