女という生き物 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。







直木賞受賞作『つまをめとらば』を面白く読んだ。


男と女の6つの物語。


周五郎や周平の人情ものとは一線を画す。


ものすごく大雑把に言ってしまえば、


「男は見かけ倒しが多いが、女は見かけによらない」


「男は、根拠があって自信を抱くが、女は、根拠なしに自信が持てる」


・・・ということだ。


物語に登場する女たちは、男に付き従うだけではない。


したたかに、しなやかに生きている。


物語に登場する男たちは、そういう女たちに翻弄されながらも、


嫌がってはいない。むしろ好ましく見ているふしさえある。


著者の青山文平さんも、自分の実感からか、

「女は、自分の感じ方に、絶対の信頼を置くことが出来る」と表現している。


そして、登場人物に、


「女は、皆、特別だ。どうやってもかなわん。張り合っても歯が立たん」と


述べさせている。ある種、諦観のようにも聞こえるが、


しょせん張り合っても詮無いことと、


世の男性諸氏の共感が得られることと思う。





たまさか、きょう、朗読のワークショップで、こんな指摘を受けた。


塾生の一人が用意した文章の大筋・・・。


良家の子女だった女性が、戦後満州から命からがら引き揚げ、


貧乏暮らしの中で、切り盛りしながら一家を支えていた。


ある日曜日、隣近所は、こぞって行楽に出かけていった。


彼女の家だけが、遊びに行く金もなく、家でくすぶっていた。


そうしたら、にわかに暗雲ただよい、激しい雨。


そこで、彼女が、短く鋭い口調で「いい気味」と言った。


慈愛に満ちた彼女から驚くべきことばが出たのだ。





はてさて、この「いい気味」。


ボクが読むと優しく聞こえるのだそうだ。


「ムラカミさんは、女の怖さを知らないわね~」と冷やかされた。





冒頭の、男とは・・・女とは・・・に付け足せば、


男とは、わかりやすく、女とはわかりにくい。


ゆえに面白いし、行き違いがあるから小説も生まれるのだ。


青山さんの小説に登場する男も女も、憎らしい人は出てこない。


境遇によっては、生き方を選べない時代状況の中で、


戸惑いながらも懸命に生き方を模索し、


己の寄る辺を求めてやまない人々に、愛着を感じる。