初女さん逝く | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

魔法のおむすびを作る佐藤初女さんが亡くなった。享年94。

存在感のある黒子どころか、

存在そのものを消し去ることの出来る人だった。

おむすびを作る後ろ姿には、気配がないようにさえ見える。

初女さんは、決して問いかけない。

訪れた人は、安心して、知らず知らずのうちに己が胸中を語り始める。 



青森県弘前市のシンボル岩木山の麓の森に、

《森のイスキア》と呼ばれる場所がある。森の中に佇む山小屋風の建物だ。

心が疲れた人や生きる術を見失った人達が、全国から毎日のように訪れる。
思い詰めた表情で訪れた人も、帰るころには明るい表情で帰って行く。

その表情を変えてしまう魔法が、初女さんの作るおむすびなのだ。

初女さんは、おむすびで多くの人の心を支えている。
「私には何もないが、心はある。心くばりなら出来る」

そう言いながら、初女さんは、せっせと、おむすびを作る。

彼女にとって、おむすび作りは、心くばりなのだ。
人の気持ちを変えてしまう初女さんの魔法のおむすびの作り方。
まず、お米を丁寧に洗う。

手のひらと手のひらの間に、お米を挟んで擦り合わせて洗う。

目と指の感覚で水加減をして、お米に水を含ませる。そして炊飯。
ご飯が炊き上がると、空気を含ませるように、

しゃもじを立てて切るようにしてご飯をほぐす。

ご飯をお椀に丁寧によそう。

それをまた板に乗せて、熱と水分を取る。

ご飯の真ん中に自家製の梅干しを置く。

手に塩をまぶして、お米の粒が、呼吸出来るくらいの力具合で握る。

真ん中に、まるでおむすびのへそのようなくぼみを入れる。

これを初女さんは、「たなごころ(手の心)」と言う。
最後に、ご飯が見えないくらいに、おむすび一面に海苔を貼る。

暖かさを閉じ込めるように、おまじないのように最後にキュ。


イスキアには、大きな丸いちゃぶ台が置かれている。

ちゃぶ台を囲んで、同じものを一緒に食べると、心が通じ合える。

「食べることは、人の心が最もよく伝わる表現だ」そう初女さんは考えている。
おいしいものを食べてもらって、心を込めておむすびを作って、

初女さんは、訪れた人の話を聞いているだけだ。

「私にとって支えるとは共にいること。

その人が自分で答えを見つけるお手伝いをするのが私の役目。

“そうだね”“大変だったね”その人の立場で、共に喜び、共に悲しむ」

そうしていれば、みんな自分の力で変わっていく。

癒しとは、他人によってではなく、自分の気づきで起こるものだ。

いろんな思いを抱いた人が、初女さんのもとを訪れる。
摂食障害の女の子がやってきた。

みんなに「食べなきゃだめ」と言われ続け辟易としていた。

初女さんは、「無理して食べなくていいよ」とだけ言った。
そうしていつものようにおむすびを作り始めた。

傍らで様子を見ていた少女は、ためらいがちに手伝い始めた。

出来上がったおむすびを「コンビニのとはまるで違う」と言って

ペロリとたいらげた。

少女は、誰が作ったかわからないものは食べられなかったのだ。

食べるということは信頼の証しでもある。


会社を辞めたことを家族に言い出せない男性が、

イスキアのことが書かれた新聞の切り抜きを持って、突然訪れた。

初女さんは、名前も聞かずに、一夜の宿を提供した。

「母が作ってくれた遠足のおむすびのおいしさを思い出した」と男性は語った。会社を辞めたことで自己否定をしていることを打ち明けた。

翌朝、帰る男性に、初女さんはだまって、おむすびを手渡した。

男性は、電車の中で食べて、そしてむせび泣いた。

母のおむすびの味を思い出した男性は、

きっと家族に素直な自分の気持ちを話すことが出来たに違いない。

ほかにも、ここに来たことで、気持ちを切り替えた人が多くいる。

不登校だったが、学校に行くようになった子。

自殺を思い止まった人。

嫌だった神官の後継ぎをすることにした人。

介添え無しで一人で食べて「おいしい、おいしい」と言った

認知症のお年寄り…。


なぜ、おむすびに、こんな力があるのだろうか。
「人の気持ちを支えるのに《食べる》ことは大切なこと」だと初女さんは言う。

「心が詰まっていると食べられない。あるがままの自分を受け入れてもらっていると実感出来たら食べることが出来る」
「おいしい!」と思った瞬間、表情が変わる。心の扉が開く。

初女さんのおむすびは、文字通り、人と人の縁を結ぶ存在なのだ。


初女さんのおむすびを、どれだけの人が口にしたことだろう。

その時味わった口の中に広がる幸福感を、忘れることはないだろう。

そして、初女さんの存在を忘れることもないだろう。



(2008.7.23 森のイスキア訪問時)