心が到着するのを待つ | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。



新聞のスクラップは、新人アナウンサーの時代から、長年にわたって

習慣にしてきたことだ。

インターネット検索は確かに便利だが、自分の目的記事しか探さない。

その点、新聞は「思わぬ発見」がある。

それを切り抜き、自分の収穫にするのだ。

今回も、整理しそびれていた古い記事から、思わず唸る「ことば」に出会った。


脚本家の倉本聰さんには、去年3月、富良野塾郡山公演の折り、

挨拶だけ交わした。劇団員に檄を飛ばす強面のイメージがあったが、

柔和な表情で、物腰の柔らかな人だった。

小山薫堂さんとの対談番組でも、

後輩の小山さんに終始丁寧なことば使いだった。

ことばを生業にしている人だから、

自らが発することばにも心配りをしているのだろう。


さて、思わぬ収穫とは、去年6月16日付の朝日新聞。

倉本さんの講演をまとめた記事だ。その一部を抜粋。


人生の締めくくりに向けて、いかに毎日を充実して過ごすかという

ハッピーエンディングセミナーでの講演。

80歳になって、年賀状に書く傘寿(さんじゅ)という言葉に、

燦然(さんぜん)たるの「燦」という字を当てた。

体力はなくしたが、気力はまだまだある。

想像力、精神力、やる気、色気。

これらは年を取っても衰えないという気がする。


僕らの仕事は「創作」。

「創」と「作」、両方とも「つくる」だが、意味は違う。

「作」は知識と金で前例に基づいて作ることをいうんだと思う。

金がなくても知恵でもって前例にないものを生み出すことを「創」という。

「創作」はハッピーエンディングの一つのキーワード。

「作る」でやっちゃあ、意味ない。「創る」でないと。


尊敬する開高健さんが、死ぬ前に非常にすてきなエッセーを書いていた。

パリの空港で、一人の旅人が疲れ果ててトランクに腰を下ろしていた。

空港の係員が心配して「どうされましたか」って聞くと、

「今遠くから、体は到着したんですが心が到着しないんで、

心の到着をここで待ってるとこなんです」と言う。

僕らは今あらゆることに追われに追われて、

どんどん前へと進み出ているが、心がそれに付いていってるんだろうか…。


何かに追われて、何かに急き立てられるようにして

生きていないだろうか。

そうすると、心を置き去りにすることになりかねない。

心の到着を待つ余裕を持ちたい。

スクラップのおかげで素適なことばに出会えた。