川田龍平さんと、堤未果さんがご夫婦だとは知らなかった。
薬害エイズ訴訟で知られる川田さん、
アメリカのルポルタージュで知られるジャーナリストの堤さん。
互いの想いに共鳴しあい、2008年2月に結婚した。
互いに佳きパートナーシップを発揮している。
2人を見ていると、同志のような感じ。
堤さん曰く、「この人なら、より良い世界を作るためにやっていけると思った。
あ・うんの呼吸で、自然にサポートしあえる」。
「私の妻としての最大の役割は、彼の健康を守ること。
健康最優先だが、結婚してから肩の力が抜けるようになり、
無理しないでいられる」。
川田龍平さんは、
1976年1月12日生まれだから、40歳になったばかり。
「長く生きられると思っていなかったから、感慨一入だ」という。
生後6か月のときに遺伝性疾患である「血友病」の診断を受け、
治療のために3歳のときから「非加熱輸入血液製剤」を使用したことが
原因でHIVに感染。10歳のときに母から感染を知らされ、
1993年「薬害エイズ」訴訟の原告となる。
そして、19歳だった95年に、
未成年として初めて実名を公表して被害をアピールした。
それを機に多くの国民の関心が集まり、
厚生省に損害賠償を求める「薬害HIV訴訟」の和解が成立した。
川田さんは、この一連の動きで常に先頭に立っていた。
2007年、31歳のときに「参議院選挙」に立候補し当選。
2013年再選を果たしている。
「いのちが最優先される社会の実現」を目指して議員活動を続けている。
川田さんは、NHKラジオの熱心なリスナーで、
ボクの番組もよく聞いていてくれていたそうで、初対面感がなかった。
堤未果さんは、高校卒業後、アメリカに留学し「ニューヨーク州立大学」、「ニューヨーク市立大学大学院」に学び修士号を取得。
「国際連合婦人開発基金」、
「アムネスティ・インターナショナル」ニューヨーク支局員を経て、
「米国野村證券」に勤務。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件の日、
「WTC」の隣のビルにいて、大惨事を目撃した。
自分の目と耳でアメリカという国を見つめ直してみようと思い、
ジャーナリストとなる決意を固めた。
以来、アメリカと日本を行き来して執筆、講演活動を行っている。
結婚した年に出した『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)が
50万部を超えるベストセラーになった。
その後政治と企業の癒着をテーマにオバマ後のアメリカを追った
『ルポ・貧困大国アメリカ II』(岩波新書)もベストセラーになるなど、
一貫して日本では報道されない「アメリカの弱者の視点」も見据えた
ルポルタージュを次々に発表して注目を集めている。
こういう経歴だけみると、
一分の隙もない気鋭のジャーナリストという感じがするが、
気遣いのある優しい温かい人だった。
父は、ジャーナリストのばばこういちさん。
母は、元文化放送アナウンサーで詩人の堤江実さん。
堤江実さんの詩集『つたえたいことがあります』は、
ボクの愛読書のひとつだ。
お二人の平和観にも通じると思い、詩を朗読した。
川田さんも堤さんも、傾聴してくださり、
「村上さんは、声に深みがありますね」と賛辞を送ってもらった。
考え想像するためにも、聴き手の入り込む隙間を作ることだけは、
意識している。ひとりよがりにならないよう配慮している。
その想いが「深み」に繋がっているなら、この上なく嬉しい。
二人と親しい鎌田先生の「鶴の一声」で、とんとん拍子に出演が実現した。
二人揃っての放送メディア出演は、初めてのことになる。
文化放送『日曜はがんばらない』で1月24日放送予定。