浪曲界に常に新風を送り込んできた男、
国本武春さんが、去年12月24日亡くなった。享年55。
難病になったが、奇跡の復活を遂げたのに、
奇跡は、もう1度起きなかった。
もう、あの「うなり」が聞けない。
NHK時代にもインタビュー、
丹波市のイベントでも同じ舞台に立ち、
「日曜はがんばらない」にも来ていただいた。
ずっと親近感を抱いていたのに、残念無念。
国本さんは、浪曲一筋30年。
浪曲師の両親を持ち、若い日から天才ぶりを発揮してきた。
アメリカ留学で培ったロックやカントリーを三味線で奏で、
浪曲の枠にとどまらない活躍をしてきた。
浪曲界で三味線の弾き語りを自分でする人は、ほかにはいない。
2010年12月14日。赤穂浪士討ち入りの日。
デビュー30周年の記念公演を行う矢先、突然の病気に襲われた。
舞台上でろれつが回らなくなり病院に搬送された。
自分では、何が起きたのか、まるで記憶がなかったそうだ。
ウィルスが原因で起こる「ヘルペス脳炎」と診断された。
100万人に1人くらいの非常に珍しい病気だという。
入院当初は、浪曲はもとより、社会復帰も難しいかもしれないと言われていた。
助からないことも多いし、命が助かっても知的レベルが下がったり、
記憶障害が起きたりすることが多いので、
国本さんのように復活出来た人は数少ない。
薬効の甲斐あり、意識も戻り快方に向かったが、
計算ができなかったり、同じことを繰り返し言ったりした。
にもかかわらず、浪曲だけはスラスラ出てきた。
普段使い慣れている「浪曲脳」だけは破壊されなかったのだろう。
2011年5月、病気が癒えて舞台に復帰した。
大向こうから「いよっ!待ってました!」と声がかかった。
さすがの国本さんも、半年休んでいた舞台に上がる怖さがあった。
一声出して、お客さんが拍手してくれて、
一節やって、「名調子!」と声がかかり、
「俺はこういう仕事をいていたんだ。こういう日々を送っていたんだ」と、
スポンジみたいに吸い込まれて、一気に感覚が戻った。
再び「うなり」が聞けるようになり、安堵していたが、2015年12月12日、
十八番の『大忠臣蔵』のリハーサル中に、痺れを訴え、急きょ入院。
今度は、奇跡が起こらなかった。
2011年3月、震災の10日後に生まれた太陽くんは、
まだ5歳にもなっていない。
ETV『にほんごであそぼ』のキャラクター「うなりやベベン」は、
太陽くんの自慢だったらしい。
自分の通う幼稚園におとうさんが来て「うなりやベベン」をやってくれたときは、
おおはしゃぎだったそうだ。
「うなりやベベン」のレパートリーに「こころよ」という曲がある。
八木重吉の詩に、国本さんが曲をつけた。
♪ こころよ ではいっておいで しかし また もどっておいでね~
武春さん! またもどっておいでね~
2月3日 浅草ビューホテルで、みんな待ってるから。
※2月3日 浅草ビューホテルで「武春さんをしのぶ会」が予定されている。
※『これで生きるのが楽になる』(扶桑社)に、
武春さんとの対談が掲載されている。