武春さん もどっておいでよ | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。



(2012.9.6「日曜はがんばらない」出演時)


浪曲界に常に新風を送り込んできた男、

国本武春さんが、去年12月24日亡くなった。享年55。

難病になったが、奇跡の復活を遂げたのに、

奇跡は、もう1度起きなかった。

もう、あの「うなり」が聞けない。


NHK時代にもインタビュー、

丹波市のイベントでも同じ舞台に立ち、

「日曜はがんばらない」にも来ていただいた。

ずっと親近感を抱いていたのに、残念無念。


国本さんは浪曲一筋30年。

浪曲師の両親を持ち、若い日から天才ぶりを発揮してきた。

アメリカ留学で培ったロックやカントリーを三味線で奏で、

浪曲の枠にとどまらない活躍をしてきた。

浪曲界で三味線の弾き語りを自分でする人は、ほかにはいない。


2010年12月14日。赤穂浪士討ち入りの日。

デビュー30周年の記念公演を行う矢先、突然の病気に襲われた。
舞台上でろれつが回らなくなり病院に搬送された。

自分では、何が起きたのか、まるで記憶がなかったそうだ。

ウィルスが原因で起こる「ヘルペス脳炎」と診断された。

100万人に1人くらいの非常に珍しい病気だという。

入院当初は、浪曲はもとより、社会復帰も難しいかもしれないと言われていた。

助からないことも多いし、命が助かっても知的レベルが下がったり、

記憶障害が起きたりすることが多いので、

国本さんのように復活出来た人は数少ない。

薬効の甲斐あり、意識も戻り快方に向かったが、

計算ができなかったり、同じことを繰り返し言ったりした。

にもかかわらず、浪曲だけはスラスラ出てきた。

普段使い慣れている「浪曲脳」だけは破壊されなかったのだろう。


2011年5月、病気が癒えて舞台に復帰した。

大向こうから「いよっ!待ってました!」と声がかかった。
さすがの国本さんも、半年休んでいた舞台に上がる怖さがあった。

一声出して、お客さんが拍手してくれて、

一節やって、「名調子!」と声がかかり、

「俺はこういう仕事をいていたんだ。こういう日々を送っていたんだ」と、

スポンジみたいに吸い込まれて、一気に感覚が戻った。


再び「うなり」が聞けるようになり、安堵していたが、2015年12月12日、

十八番の『大忠臣蔵』のリハーサル中に、痺れを訴え、急きょ入院。

今度は、奇跡が起こらなかった。

2011年3月、震災の10日後に生まれた太陽くんは、

まだ5歳にもなっていない。

ETV『にほんごであそぼ』のキャラクター「うなりやベベン」は、

太陽くんの自慢だったらしい。

自分の通う幼稚園におとうさんが来て「うなりやベベン」をやってくれたときは、

おおはしゃぎだったそうだ。

「うなりやベベン」のレパートリーに「こころよ」という曲がある。

八木重吉の詩に、国本さんが曲をつけた。

♪ こころよ ではいっておいで しかし また もどっておいでね~

武春さん! またもどっておいでね~

2月3日 浅草ビューホテルで、みんな待ってるから。




※2月3日 浅草ビューホテルで「武春さんをしのぶ会」が予定されている。

※『これで生きるのが楽になる』(扶桑社)に、

 武春さんとの対談が掲載されている。