ドラえもんがわからない・・・ | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。









ドラえもんといえば、大山のぶ代さん。


26年間も、「声」であり続けた。


その、ドラえもんを見ても、無反応。わからないらしい。


それが、いちばん哀しい悔しいと、夫の砂川啓介さんは言う。




認知症の患者さんは、全国で460万人といわれる。


2025年には、700万人と予測されている。


本人は、認知出来なくなっていくが、周りが認知出来ず、


介護は大変だ。


明後日(10日)放送の『日曜はがんばらない』は、


妻の大山のぶ代さんが認知症を患っていることを公表した


タレントの砂川啓介さんをゲストにお迎えした。


『娘になった妻のぶ代へ』という本も出版し話題になっている。





大山さんが、認知症と診断されたのは、2012年秋のこと。


結婚50年、様々な「困難」が遭遇した。


最初の子を死産した。


その7年後に女の子が誕生したが3ケ月で亡くなった。


2001年、大山さんが直腸ガンになった。


2008年には、脳梗塞で倒れた。


その都度、二人三脚で乗り越えてきた。


だが、今度は、相方が自分がどうなったか「わからない」のだ。





砂川さんは、NHK初代体操のお兄さん。


お昼のワイド番組の司会をしていたこともある。


大山さんとは、ミュージカル『孫悟空』で共演したのが縁で、


64年に結婚した。以来、おしどり夫婦と呼ばれてきた。





認知症になってからの大山さんは、無邪気な少女に還ったようだ。   ただ、感情が読み取れない。突然激しく怒りだす。


衛生面に無頓着になり、風呂には入りたがらないし、


ウンチをお漏らしすることもある。


砂川さんは、理解させようとすればするほど、虚しくなった。

広い心で優しく出来ない自分に苛立ち、自己嫌悪に陥った。


辛くく哀しく、逃げ出したいとさえ思った。


どこでもドアが欲しかった。







砂川さん自身も病気になった。


2013年、胃がんの摘出手術を受けた。


肺気腫、帯状疱疹も患った。


もう限界だと思った。


親友の毒蝮三太夫さんの勧めで、公表すことにした。


2015年5月13日、ラジオの生放送で公表した。


大きな反響が寄せられた。


隠さなくていい、嘘を言わなくていいと思うと、楽になれた。


なぜ?なぜ?の繰り返しをやめ、認知症を受け入れられた。





公表して一番変化したのは、砂川さん自身だった。


心に余裕が生まれたせいか、優しく接することが出来るようになり、


大山さんの症状の進行もゆっくりになった気がする。


出版にあたって、記念撮影をした。最高の笑顔をしてくれた。


「ボクが笑顔でいればカミサンも笑顔になる」。


大山さんとは、何度かお会いしている。


仕事もなんどか一緒にした。


ボクのこと覚えてくれているかなぁ。











(中央が、砂川啓介さん)