人はなぜ、存在しているかという問いかけは、
なぜ貴方(自分)は存在しているのかに通じる。
この問いかけは誰でも一度はしているはずだ。
幼いころ、「自分はなぜいるんだろう」と疑問が湧き、
考え始めたら怖くなりやめたことが、何度もあった。
生きていくうえで、人は誰しも多くの不安や悩みを抱えている。
いずれの悩みもその根本にあるのは、「存在とは何か」なのだ。
人間はいつか「死」を迎え、「無」になってしまう。
その「無」という恐怖にどのように立ち向かったらいいのか?
存在の意義が分かれば、「無」でなくなり、
すべての悩みや不安から解放され、生き方が一変するはずだ。
小さなことに「くよくよ」していた自分から脱皮することができるはずだ。
その問いに、齋藤先生が答えてくれる本だ。
小さな書店の書棚に1冊だけあった本を偶然見つけた。
齋藤さんは、死を忘れると今を生ききれないと、冒頭から指摘する。
現代人は、自分の存在について、徹底的に深く思考していないから、
取り越し苦労や後悔にむしばまれてしまう。
人生の最終地点は、「無」になることだと受け入れて、腹を決める。
儚いこの世をいかに充実させて生きていけばいいか想いを巡らせ、
視野を広げていけば、生きるのが楽になるはずだ。
昨日の佐藤さんの著書にも出てきた「善」がここにもあった。
アリストテレスは「善なるものを求めるのが、人間にとって最高に幸福な生き方だ」と言っている。
ソクラテスは「お互いの主張を否定しあった上で、正しい部分を統合して、
より高次の認識に至る」弁証法的な展開を提案している。
ニーチェは「自分自身ですべてを肯定し、生きるエネルギーにあふれ、祝福して踊るように生きよう」と言っている。
齋藤さんは、この本で、様々な「自分の存在を確立する方法」を
教えてくれている。
そして、自分にも人にも寛容に生きることが、
ひいては自分の存在意義を確かなものにすると説く。
物体として「無」になっても、生きた「証」は残る生き方をすることが、
生まれてきた意味というものだろう。