舞台を見ながら不思議な感覚がしていた。
舞台に登場する3人の会話が、絡みあっていない。
独りごとを言っているようだ。
3人は、この世の人なのだろうか・・・。
2人の女性は、ひょっとしたら同じ人物の別人格ではないか・・・。
ほんとうにあった出来事なのだろうか・・・。
若村麻由美さんからご案内をいただき、
日生劇場で上演中の『昔の日々』を観てきた。
(3人の共演者と演出のデビッド・ルヴォー)
登場人物は3人だけ。
静かな海辺の片田舎に暮らしている
ディーリィ(堀部圭亮)とケイト(若村麻由美)夫婦。
そこへ訪ねてくるケイトの旧友アンナ(麻実れい)。
20年ぶりに会うアンナのことをケイトは「唯一の友達」だと夫に説明するが、
久々の再会にもかかわらず心躍らせる様子もなく、
過去のことは思い出せないとも言う。
ディーリィには妻の胸の内が汲み取れない。
どうやらケイトとアンナは若い頃にルームメイトだったようだ。
2人の前に現れたアンナは、
大都会ロンドンでケイトと過ごした娘時代の日々のことを饒舌に語る。
その話を聞くうち、ディーリィもケイトと出会った頃の記憶を呼び覚まされ、
結婚に至った道のりを話し出す。
それぞれの記憶は
ケイトというひとつの「点」で結ばれたかのようにも思えたが、
たわいもない想い出話から、
やがて思いがけない過去の情景が浮かび上がってくる・・・。
イギリス人の演出家デビッド・ルヴォーは、継続的に日本で作品を作っている。
彼に演出を受けた日本人俳優も多い。
『昔の日々』は、
ノーベル文学賞受賞者で不条理演劇の巨人、ハロルド・ピンターの戯曲だ。
記憶がいかに捉えがたいものか、我々がいかに記憶の中の現実を、
常に新たな現実で塗り替え書き換え続けているのかを描いたものだ。
確かに、
多くのあやふやな記憶の中の現実で、真実が見えなくなっていると思う。
生前のピンターと深い交流があったルヴォーが、演出を試みた。
ルヴォーは、こう言っている。
「偉大な芸術がそうであるように、安直な解釈をしたくらいでは、この戯曲は
秘密のすべてを明らかにしてくれない。理解出来ないからと不安にならないでほしい。ジャズの演奏を聴くように、自由に受け止めてみたとき、この戯曲は、
まるで、あなたを理解してくれているかのように、直接、心に囁きかけてくるに違いない」
そうなんだ・・・
理解しがたい不思議な感覚を抱いたのだが、それでよかったんだ。
舞台は、想像とリアル、夢と現、生と死の境界線を
行きつ戻りつしているのかもしれない。
舞台美術を担当した伊藤雅子さんは、
「3人が思い出と共に闘うリングのような空間」をイメージした。
若村さんは言う。
「ことばによって、いかに相手より優位に立つか・・・
日常の会話が危険と官能を秘めている」
3人の絡み合わない会話は、まるで不協和音を奏でる三重奏。
若村さんも、日々、吐き出すことばと格闘しているはずだ。
不協和音も、聞き慣れてくると心地よくさえ聞こえる。これこそ危険と官能だ。
日生劇場では、明日15日までだが、
大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで19日~22日まで上演される。