朝、7時45分。ベニー・グッドマンの「メモリーズ・オブ・ユー」で起こされた。週末だから目覚まし曲がいつもと違う。ついつい、聴き入ってしまった。

 

目覚めると大阪は曇り空。次々と通過する低気圧がもたらす雨天続きの日々ではあるが、寒さはやや緩んでいる。正月までこのままであって欲しいが、すぐに北からの高気圧が南下してくるようで、冬型の気候に移って行くはずだ。と、気象庁のような言を発しているが、別段、気象に興味を持っているわけでもなく、また、憂うこともなく、ただありのままを受け入れるだけの傍観者然としている。それというのも、大阪という比較的穏やかな気候の土地に住み、天候にあまり踊らされることない生活が出来ているからなのだろうと思う。山間部や島嶼部に住むことを嫌っているのではない。ただ、生まれ育ったところが今いる近辺だったというだけのことであり、その偶然に感謝しているのだ。

 

しかし、カミさんにそれを言うと、「あなたは傍観者でも私は違う。洗濯が大変なのよ」と強い口調で叱られた。まるで私が洗濯物を量産しているかのような言い方だ。カミさんに言わせると、彼女を煩わせている万障は私が発生源なのだとか。よくまあそんな酷い表現ができるものだと思う。遠慮なく浴びせられるカミさんの言葉は、以前の私なら宣戦布告と受け止めたが、今は澄んだ響きを含んで私の耳に飛び込んでくる。言われるだけ嬉しくなり、心が和んでくる。

 

なぜ、もっと早くこういう心境になれなかったのかと悔やむ。そうしていれば、カミさんはあれほど多くの涙を流さずに来られたかもしれない。辛い気持ちにさせずに済んだと思う。悔恨は深く、大きいが、そういうステップがあって今がある。要は、今を、これからを大切に、こういう気持ちで、カミさんと楽しく生きていけばいいのだから・・・。

 

天皇誕生日である。今の天皇は来年に退位する予定だから、今年が最後となる。クリスマスの前々日、何かと多忙な年末のこの時期に設けられた祝日は得難い便利さを持っていると思う。4月29日が「天皇誕生日」から「みどりの日」を経て「昭和の日」となったように、12月23日も「平成の日」とか、なにかの名称で祝日として残してもらいたいものだ。

 

テレビは皇室関係の特集を幾重も流している。観るとは無しに観ていると、被災地を訪れた天皇・皇后が人々と別れて建物に入ろうとしているシーンがあり、周囲の官吏が移動を促す中で、天皇が何度も何度も、これでもかというほどに人々の方に振り返り、やさしく手を振っていた。それを観て、胸が熱くなった。本当に被災者を心配し、励ましたいと思っているのだろう。訪問で励まされた人たちは心に一つの支えを築くことが出来たと思う。功績は大きい。

 

生まれ持つ階級、世襲による元首、国民統合の象徴、など、など、天皇制については思うところは多々あるが、今の皇室は王族のあり方を示す一つの形として、ある意味で世界に誇れるものではないかと考えるようになって来ている。英国王室とも違い、ましてや北鮮のキム・ファミリーとも異なる。長い歴史の中で積み重ねられた存在の功罪が反省と改革を生み、今の天皇の存在感と言動になっている。その真摯な姿勢には頭が下がる。

 

退位後も上皇として国民の前に元気な姿を見せて欲しいと思う反面、表に出ない時間を多く取って、普段着で、気を張り詰めることなく、安穏な日々を永く送って戴きたいとも願う。

。長い歴史の中で積み重ねられた存在の功罪が反省と改革を生み、今の天皇の存在感と言動になっている。その真摯な姿勢には頭が下がる。

 

退位後も上皇として国民の前に元気な姿を見せて欲しいと思う反面、表に出ない時間を多く取って、普段着で気を張り詰めることなく、安穏な日々を永く送って戴きたいとも願う。

暑い日々が過ぎ、涼しさが定着してきて身体はかなり楽になっている。こういう気候が長く続けばいいのだが・・・。快適な気候の期間は短く、すぐに冬になるだろう。だから、この開放感を十分に堪能したいと思う。

 

今日、9月23日は秋分の日。昼と夜の長さが等しくなる。これから夜が長くなり、「暑い」から「涼しい」へ、「涼しい」から「寒い」へと移り変わる。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、この日を境に、気温が見事に変化するから不思議だ。この日の明け方と日暮れの時間を基準として頭に植え付けておくといいかもしれない。今いる緯度と影の角度の関係も覚えておくといいだろう。これからは太陽が低く、遠くなり、日影が長くなる。

 

今日は一年の基準点なのだろう。これからの気候の変化を正と見るか負と見るかは個人の主観だが、夏に生まれ、夏が好きな私はやはり夜の部に向かっているような気がする。澄み渡った空も徐々に濁りが入り、灰色へと移って行くから、気が重くなる。でも、それも冬至までで、それ以降は昼の部へと移行してゆく。今日がある意味でスタートラインなのだ。到達点は次のイーブンデイ、つまり春分の日ということであり、冬至をピーク(或いはボトム)として、そことの距離の変化を楽しめばよい。

 

つまり、基準点を平均値(或いは中心値)に置いているからそういう考えが出来るのであり、ピークやボトムを基準とすると人は上がって行くことしか考えられなくなる。世の中でいろいろな「傾向」を述べるときに殆どがピークを基準に置いてしまい、叱咤、叱咤で激励の無いサバイバルレースとなる。それじゃあ人生は何のためにあるのだろう。上昇志向は結構なことだが、その傾向が強すぎると苦しみだけになる。業績拡大、消費市場の膨張、過剰生産、情報過多、地球温暖化、一億総○○化・・・。不幸な現実なのだということに人は気付いているはずだ。だが、改めることが出来ずに無力感を味わっているだけか。

 

大体、少子高齢化を悪事障壁と受け止めているからいけない。特に保守的な役人にそう思っている人は多い。さては行政府のトップが演説で明確にのたまう。少子高齢化は本当に悪いことなのか。そもそも基準点の置き方が間違っているのではないか。日本の人口は膨らみすぎているのであって、この国土に最適な状態に戻ろうとしているのではないのか。

 

要は、常にそれぞれの規模にふさわしい体制に修正してゆけばいいのだ。簡単じゃないか。議員を減らし、役人を減らし、国力を的確に把握し、それに合った福祉状態、経済活動に戻せばよい。そんなことをすれば隣国に蹂躙されるからダメだという人もいるだろうが、隣国もアホではない。大義のない専横は長くは続かず、墓穴を掘るだけだと思い知る時が来る。

 

高齢化は結構なことではないか。医学が進歩し、医療制度が充実し、健康志向が高まってきたから人は長生きできるようになってきた。寿命百歳も夢ではなくなってきた。織田信長の時代から見ると2倍も生きられることになる。素晴らしいことではないか。高齢でも楽しく生きられる世の中にすればいいのだ。

 

身体が動く限り働ける職場と、高齢者が生きがいを保てる環境を作ればいいのだ。それを何でもかんでも福祉政策に頼るからいけないのだ。若い人に支えてもらうことしか考えないからいけないのだ。高齢者も自ら模索が必要だろう。生活の基本財源は個人の収入、蓄えであり、年金はそれを補填するべきもので、個人の程度により年金への依存度が変わるような仕組みでいいじゃないか。それを、年金だけで生活することを求め、海外旅行やグルメの日々を求めているような高齢者がいるからおかしくなる。「年金生活者」はもっと高齢からスタートさせるべきだ。

 

さて、基準点という視感から話が変な方向にそれてしまった。秋分の日に戻そう。このところ、日差しに厳しさが見られなくなった。有難いことだ。薬の副作用で目が弱り、紫外線がつらい私にとっては、かなり楽になる。でも、冬季は湿度が下がるため、汗と皮脂の分泌が止まった私には皮膚の痒さとの闘いが始まる。結局は、一年はそれでバランスが取れているのかもしれない。

 

さて、秋の彼岸と言えば、おはぎだ。以前は甘いものが苦手だったのだが、病気をしてから暫くは酒を断っていたため、甘いものを好むようになっている。しかし、これも平衡感覚が制御本能を働かせるようで、このところ血糖値が高くなり、医師からも注意するように言われている。なので、おはぎは指をくわえて眺めるだけになっている。楽しく生きるために必要な我慢であり、それを補うように楽しさが倍増されるのだ。

 

彼岸といえば墓参。本来ならば両親を始め、ご先祖様の墓参りに行きたいのだが、墓所が金沢や静岡なので簡単には行けない。もう少し涼しくなり、熱中症の危険がなくなったらご両所へ行くつもりである。罰当たりな惣領を嘆いておられる父上、母上、今暫しお待ちあれ。

 

この時期、よく見かけるものに、彼岸花がある。曼珠沙華ともいい、昔はそこここの道端に連なって咲いていたものだが、最近はかなり郊外に行かないと見かけることも少なくなった。曼珠沙華というと、子供の頃に親たちが歌うのを聴いた「長崎物語」という歌がすぐに出てくる。じゃがたらお春を歌った曲だが、母の好きな曲の一つだった。そういうイメージの連想も最近は少なくなり、日々の暮らしに味気がなくなりつつあるように感じられる。もっと、もっと頭で遊ばなくては・・・。

 

食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋・・・。今の私は読書かな。最近では、政治や経済理論の本は読まなくなった。今、興味があるのは地質学だ。ブラタモリの影響かもしれない。彼よりも博識でいたいという稚拙な矜持だけが突っ走る。困ったもんだ。でも、今の仕事で土木との距離が縮まった。地質学が身近になって来ている。地層を知ると災害が予測できるかもしれない。

 

イマジネーションに乏しい私が、昼と夜が同じ長さというとことから思いつながるのは、「夜も昼も」(Night and Day)というスタンダード曲だ。好きな作曲家コールポーターの作品で、ミュージカル「Gay Divorce(陽気な離婚)」(映画化された邦題は「コンチネンタル」)の中でフレッド・アステアが踊りながら歌った曲であり、コールポーターの代表作となった曲だ。「夜も昼も、一日中あなたを考える・・・」という恋に焦がれる熱い想いを吐露した歌だが、そういう胸のときめきから遠ざかって久しい。いや、実はまだ、その渦中にいるのかもしれない。想い人は、結婚して39年以上経ったカミさんだ。いい歳をして、とカミさんから叱られているが、酒が入るとくどくどと「自白」して、周囲の人たちを困らせたりする私である。

 

さてさて、そういう恋心をここでくどくど書くつもりはない。ただ単に、洒落の一つである。

今、台風21号がやって来ている。4日の昼前には近畿は暴風雨圏に入るようだ。今回の台風の軌跡を見ていると、55年前のことを思い出す。

 

あれは、昭和36年(1961年)の9月半ばだった。そう、二百十日と二百二十日の中間のこと。小学6年生だった私は、大阪市天王寺区に住んでいた。当時の台風対策の定番で窓の雨戸を板で釘付けして防護し、おにぎりなどの食料やトランジスタラジオ、蝋燭、懐中電灯を準備し、名前、住所、学校、学年・組名、血液型が書かれた布をシャツの右下腹あたりにははに縫い付けてもらい、母子家庭4人が蚊取り線香の煙が充満した一つの部屋でじっと台風の通過を待っていた。

 

土曜日だったと思うが、当然ながら学校や休みで、朝から台風の襲来に備え、遊びにも行かず、家でおとなしくしていた。母は私たち子供の衣服の破れを繕っていた。弟と妹はボールを転がして遊んでいた。私はその年に母に買って貰った真新しい小学国語辞典を逃さず読もうと座机に向かっていた。外は暴風雨で、時折家を揺すり、雨戸がガタガタ鳴って、子供たちは短い悲鳴をあげて怖がった。突然、部屋が暗くなった。停電だ。母はすぐに蝋燭を灯し、小さな声で民謡を歌い出した。

 

夫を亡くし、一家を支えていた母は、疲れた身体を癒すためか、休日の夕食にはビールを飲んだ。ただ、一人で瓶1本は多いので、子供たちも相伴した。母は僅かのビールで酔い、よく歌った。その時の母の声はよく通ったいい調子だった。美しく、字もきれいで、計算も早く、包丁も達者で、何をしても上手い人だった。

 

母の歌を聞きながら、1本の蝋燭が壁に映し出す家族の影の揺らぎを見て、幻想的な気分になり、台風の騒音はどこかへいっていた。弟や妹も落ち着きを取り戻し、じっと母を見ていた。暫くして、安心したのか、腹が減っていることに気付き、母に告げた。あまり冷えていない麦茶でおにぎりを食べ、トランジスタラジオを聴き入った。外の様子はわからない。でも、母と一緒だと不安は無かった。

 

やがて木々や雨戸を鳴らす風の音がしなくなり、雨も止んだ。恐る恐る外へでると、空はかなり明るくなっていた。時刻は覚えていないが、昼を大きくまわっていた。近くの公園では樹木が何本か倒れていた。幹の途中で折れたり、根から倒されているものもあった。瓦、波トタンなどの屋根材や建具、薄い突き出し看板などが飛来し、散乱していた。ところどころで池のような水溜りが出来ていた。

 

我が家では被害はなかったが、当時のお決まりのように、停電と断水はその日の夕方を過ぎても続いていた。ラジオは被害を告げていたが、身近な話ではないのでよく聴かなかった。翌日の日曜日はあちらこちらで後片付けの音が夏の大掃除の時のようにしていた。

 

当時、台風は都会でも何よりも怖い自然災害だった。しかし、今では進路予測も正確さを増し、ある程度の準備期間もあることから、恐怖感はあまりない。家屋も耐久性が増し、停電も減り、情報はしっかり受け取れ、大阪では大きな水害もなく、ほんの半日の待機だけになっている。今では突然に襲ってくる地震や落雷の方に官庁も神経を注いでいる。半世紀経って、人の暮らしはより安全になった。有難いことだ。

 

でも、時々思う。私の子供たちにもあの蝋燭の部屋の明るさ、楽しさを味わわせてやりたかったなと。家族の絆が満ち溢れた一室でのひと時を、知ってもらいたいと・・・。エアコンもなかった暑い日の思い出は、亡き母の面影と共に今も鮮明に私の記憶の中に残っている。

8月最後の日曜日、カミさんとのんびり過ごした。出掛けたのは近所の食品スーパーだけ。電話もかかって来ず、メールは広告とネット通販の出荷案内だけ、郵便受けもチラシのみで、殆ど世捨て人(いや、世の中から捨てられた老夫婦かな)の状態だ。でも、私はむしろそれを楽しんでいるのかもしれない。なにせ、背負うものがないのだ。以前は、そのような状況になったら寂しく感じるだろうなと予想していたが、そういう感情は全く起きない。病気をする前の私なら、「ホサれた」とか「置いてけぼり」とか「忘れられた」とか思ったかもしれないが、病で心が鍛えられたようで、「過去の人」でもいいじゃないかと思えるようになった。

 

何かやり残した事はないかと考えることすら、しない。考えても仕方がない。満足に、精一杯、力尽きるまでやった、という事実がないのは明白だから。今更、焦ってみても恐らく何かを為したという気持ちは得られないだろう。人生を投げているのではない。それよりも今ある幸せを、こうしてカミさんと楽しく暮らしていられること自体を、何よりも大切に感じるようになったということであり、それは人間的に小さくなったことではなく、道端に咲いている小さな花の美しさがわかるようになったということと同じだと思う。

 

ひと言でいえば「身の丈」が判るようになったということであり、そういう生き方こそが自分にふさわしく、背伸びを止めたら実に楽だということに気付いたというべきだろう。もっと前へ、もっと早く、もっと力強く・・・と己を鼓舞してきたそれまでの生き方は、それはそれで意義があったと思う。だが、還暦を過ぎ、酷使し過ぎた身体を労わりながらスローに生きることの大切さを病に教えられ、すぐ横についてくれている人の有難さを悟った。いつも書くことだが、感謝するということが当たり前のように、自然に、心底からできるようになれたことは大きい。

 

人は外部より注入された知識が自分自身の経験の中で発展し、賢くなる。自然発生的に智恵ができるものではない。私は愚かで、ものをよく見ず、至極当然な摂理さえ気付くことなど到底出来なかった。教えてくれたのは伴侶であり、家族であり、友人たちであり、病だった。今、諸々に感謝しながら、自分が無理なくできることを、力を抜いてやっている。能力的には、或いはもっと高度なことが出来るのかもしれないが、そういうチャレンジはもうしない。でも、決して成長することをあきらめたわけではない。

 

私はこれまでいろいろな仕事に就いて来たが、いつも初めての業界だった。今回も、楽な仕事ではあるが、日々、新しい出来事に接し、新しい発見がある。出来るだけ早く事業の全容を把握し、仕事の流れを知り、自分のポジションを定め、何をすべきか考え、あまり期待はされていないはずの老体でも十分に戦力になることを知らしめる事は、痛快であり、微々たるものではあるが成長と呼んでも自惚れではないと思っている。そういうワクワク感が気持ちを陽性にし、体調を良くしてくれているのだと確信している。つまり、スローだからできることであり、スローだから見えるのだろう。

 

さて、20日の月曜日に、2台一緒だと安くなるというカミさんの懇願に負け、ついに携帯電話を更新した。二つ折りから薄い一枚ものへの変更だ。友人からは「前進したな」と言われたが、私にすれば後退だと思っている。ただ、理屈よりも感情を優先させるA型女性の典型だけに、カミさんは、世の中がスマホ、スマホと連呼される中にあって「ガラケー」でいることは恥だと思っていたようだ。おかげで、私は主義を曲げることになってしまった。でも、何よりもカミさんの志向を優先させたいので、黙ってつき従っている。

 

早くからPDAを使いこなし、4代前のiPhoneを使っていた私には頭の切り替えはさほど難しくはないが、カミさんには使いこなすのはちょっと大変かもしれない。しかし、そういう「戦い」は60代半ばの女性にとっては頭を柔らかくするいい課題になると思う。カミさんは私には操作を教えてくれとはいわず、取説などを読んで結構頑張っている。私の教え方がきついこともあるが、何より負けず嫌いなのだ。そういう感情がある限り、彼女はボケることもないだろう。

 

夫婦二人が合意しているのは、電車に乗っても、病院の待合ロビーに座っていても、携帯電話に囚われることなく、本を取り出して活字に勤しむべし、ということ。あの姿がいやだから、スマホなるものから遠ざかっていたのだから・・・。まして、レストランなどで運ばれてきた料理を撮影することも絶対にしないでおこうと約束を交わした。カミさんもずっと同じことを感じていたらしい。

 

暑い、暑い夏がようやく終息の途についたようだ。セミの声がしなくなり、赤とんぼが飛び回っている。マンションに住んでいるため、水道水の温度は受水槽の中の温度なのだろうが、この一週間でシャワーのセット温度を1℃上げた。我が家の夏と冬のセット温度の差は4℃だから、差違とすれば小さくはない。季節の変化を感じる一つの要因だ。涼しくなる事は有難いことなのだが、夏が終わり、秋が来るという事は寂しさを伴うから、あまり好きではない。やがて来る冬の、冷たく暗い日々がチラつくからだろう。でも、抗えない。仕方がないことだ。

 

暑い、という言葉がなんの躊躇もなく、ひとりでに口から吐き出される毎日、仕事もだが、どこかへ遊びに行こうなんて気が起きない無行動的生活に嵌っている。昨日(8月10日)から始まった私の夏休みは、まさに暑さで低下したアクティビティを正当化し、容認するもので、8月20日まで続く。この間、通院が3回ある以外は何も予定されていない。ちょっと前までなら、折角の長期(日本やね・・・)休暇が予定で埋まらないなど考えられなかったが、病気をし、歳を取り、加えてこの気候がじっとしていることを受け入れられるようにしてくれた。無為に過ごすことに何の抵抗もないし、勿論寂しいなんて思わない。冷房の効いた部屋で、ただじっとしていることが至福と感じる境地に入ったということか。

 

 さて、そんな暑い今日、さらに暑い時間帯である13時30分過ぎより、以前から行ってみたいと思っていたところを思い出し、カミさんに同行を哀願した。どこへ行くにも一人じゃつまらない。最愛の人と一緒だと、それだけで心が弾むし、少々の苦難も楽しく過ごせる。カミさんは、哀れな老人を愛しむ菩薩のような優しい目で首を縦に振ってくれた。

 

すぐに外出の用意だ。ステテコをジーンズに穿き替え、カメラを腰につけて、戸締りをし、エレベータホールに出た。それだけで私の身体で唯一汗が分泌する腹回りがびしょびしょだ。心拍数もどんどん増えている。駐車場に行き、車を出す。屋内の地下ピットに入れてある車はそこそこ涼しく、地上に出して冷房を最大にすると私の鼓動も落ち着いてきた。自宅から現地までは、有料道路を使って約30分で行ける。

 

目的地に到着したら、駐車場がない。身障者や団体用のものはあるが、一般車は少し離れた公園の駐車場に止めるしかない。私と同様に留め場所を探してウロウロしていた車は、結局身障者用の駐車場に留めたようだ。私はそういうことが出来ない性質なので、公園を横切って炎天下を歩いた。ブツブツと文句を言っていたカミさんだが、冗談を言い合いながらゆっくり歩くと機嫌は少しずつ直ってきた。10分ちょっとでようやく辿り着けた。見ると、身障者用の駐車場にはぎっしりと駐車されていた。「損な性分やね」とカミさんに苦笑された。でも、「そういうところが好きなのよ」て言ってくれているようで、私の心は弾んでいた。

 

施設は思っていたよりも立派なもので、設計は安藤忠雄さん。彼独特のコンクリート打ち放しの壁面にガラスが組み合わされ、スリット効果がいたるところで見られるもので、建物を楽しむだけでも価値はあると思えるものだった。入場料は要らない。

 

大阪狭山市にある狭山池は、わが国最古のダム式ため池で、その文化的価値はきわめて高いものがある。大阪平野の中南部には灌漑用のため池がたくさんある。降雨量は多くなく、大きな川の少ないこの地域では、昔から水源を確保するために多くの汗と血が流された。そういう立地において、この狭山池は7世紀の初頭(飛鳥時代)に、最新の土木技術を駆使して構築され、木樋を使った壮大な水路が作られ、多くの人の暮らしを支えてきた。それが多くの人の手により維持、改築され、明治時代に至るまで活用されてきたことに敬意を表する。

 

来館者はあまり多くない。広い施設内をゆったりと観て回ることが出来た。中でも夏休みの研究課題としているのか、子供をつれた家族が目についた。しかし、相対的にこういう施設はその文化的意義が高いわりには認知度が低く、また、テーマが地味なために来館者数が伸びない。いつも存続が危ぶまれている。私も恥ずかしながら今日まで足を運べなかった。これからは時々、友人を誘ってやってこようと思う。

 

この夏、遠くに行くと移動の混雑に閉口するため、家でじっとしている私のような人が多いはずだ。ならば、すぐ近所の文化施設を巡ってはいかが? 涼しいし、ちょっとは賢くなれるし、タダですぞ

声に出すことさえ憚られるが、あえて言いたい。

 

暑い!

 

下記の数字を見てみよう。

大阪の最高気温と最低気温の月間平均である

大阪の夏場の気温はここ数年上昇を続けている。特にシーズン前段の7月は、2018年と2015年とでは最高気温が4℃、最低気温が2℃も上がっている。身体が暑さに慣れていないこの時期の温度上昇はかなり厳しいものがある。

 

このように高温が続く今年は熱中症で搬送される件数も大幅に増えているようだ

今年は2ヶ月だけで既に例年を上回っていることが判る。

熱中症のメカニズムは いくつかの種類があるようだが、基本的には高温のための水分放出による血中塩分濃度の変異がもたらす諸症状と、発汗不良による体温調節不全などが代表的なものだ。前者は適度な水分と塩分の補給が重要で、浸透圧による過度の水分移動で細胞破壊が生じると、特に脳や肺などでは深刻な後遺症が残るし、重篤な場合は生命を失う。

 

後者は、高齢者によく見られる現象で、健常者なら発汗の気化熱で体温の調節を行なうのだが、汗が出ないために放熱板の壊れたラジエターのようにただポンプ(心臓)だけがどんどん早くまわり、脳梗塞や心不全を招く恐れが高くなる症状で、こうなると身体そのものを冷やして体温を下げるしか手段はない。

 

私の場合、6年前に1年間服用した抗癌剤の副作用で発汗や皮脂の分泌が止まっており、上記後者のケースとなる。気温が上がると日陰で濡れタオルを広げて腕に巻いたり、冷房の効いた空間に身を寄せてじっとしている。幸い、循環器が逞しい身体に生んでもらえたおかげで今までは大過なく来られたが、これからの身体の経年劣化を考えると、「転ばぬ先の杖」はいつも頭の片隅に置いておかなければならない。

 

それにしても今年の暑さは異常としか言いようがない。休日、我が家では午前中からエアコンを稼働させている。だから、体温が下がって血圧が少し上がり、標準値の上限に近づく事がある。夜更かし症の私だから、エアコンを深夜まで点けているため、電気代もかなり上がりそうだ。でも、これをケチると結果的に高い医療費が必要となるし、第一、損なわれた身体機能は元には戻らない。医療機関に行けば元通りになると考え違いをしている人が多いのは嘆かわしいことだ。

 

暑いという字を考えてみよう。学研の「漢字源」によれば、「者」はこんろで柴を燃やすさまで、火力を集中する意を含み、煮るの原字。暑は「日+者」で、日光のあつさが集中すること、とある。つまり、網の上で太陽という「火」に上下からあぶられているするめのような状態なのだろう。そりゃあ、やけどもするし、気も失うワナ。(太陽光は超々高周波の電磁波で、それ自体は熱を持たず、地上の諸物の分子を共振させ、摩擦熱を生じさせるから熱くなるといわれているようだが・・・、ようわからん!)

 

暑いという字を書くたびに頭がボーっとしてくるが、さらに意識が朦朧とするような言葉を並べてみると、炎暑、極暑、厳暑、酷暑、処暑、大暑、中暑、熱暑、猛暑、激暑、劇暑、蒸暑、甚暑、盛暑と読みたくなくなる言葉が出てくる。書いているだけで私の体温は上昇して行くように思える。恐ろしい。その一方で、早暑、暑中、残暑、暑夏、暑気など、日常的に使われる言葉もあり、こちらはあまり体温を左右させることはないと思っている。

 

なんにしても、こういう日記は、書いているだけで心拍数が上昇するため、あまり書きたくないな。

世の中は殆どの流れが一定方向に定まっている。水は高きより低きに流れ、日は東から出でて西に沈む。日本上空には偏西風があり、雲は西から東に流れ、広島や岡山など中国地方に雨が降るとその数時間後には大阪も雨模様になる。これが自然の摂理というものだ。ところが、この摂理は人間が勝手にそう思い込んでいるだけで、自然界にはそういうものは存在しないのだろう。その一つの現象が今まさに起きている。大阪は伊勢市に上陸した台風12号の暴風圏内に入っている。

 

この台風は、高齢者が高速道路に入り損ねて逆送するよりもまだ性質(たち)が悪い。この季節の台風は沖縄経由で東シナ海を抜けて大陸の中国東北部へ進むか、或いは大きく右旋回して朝鮮半島を横断するのが定式コースのはずだ。なのに、今回は太平洋上で発生したあと西に進まずに北東方向へと進み、小笠原諸島を通過したあたりから左旋回をし始めた。そして、今、日本列島を陸地沿いに西へと移動している。困った台風だ。

 

私の寝室のサッシが雨で洗われている。風の音も加わり、近所にある建設現場の平日昼間の騒音よりも凄まじい。時々、突風が建物を揺すり、あちらこちらでミシミシときしみ音がする。我が家は古いといっても20年も経たないマンションで、私は10階建ての10階に住んでいる。竣工後の入居当時から台風ではいつもその大音響と振動に悩まされてきた。眠れないのだ。風除けになる建物がないだけに、音や振動は気にはなるが、近頃では開き直って、眠くなれば寝るだろうとあきらめている。

 

幸いにして、今回は土曜日の夜の来襲で、日曜日の午後には天候も回復するだろうから、寝不足で仕事中に舟を漕ぐ事はないと思う。NHKの鸚鵡返しの台風情報を観ていても仕方がないので、本を読んだり、日記を書いたりして、眠気の到来を待っている。外気は26℃に満たないようだが、窓を開けるわけにはいかず、エアコンを止めて30分ほど経つ室内はかなり高温になって来ている。あと2℃上がったらまたエアコンを点けよう。

 

ビールを飲みたいが、何かあったらいけないので、酒は控えている。でも、夕食時に少し飲んでいる。それから9時間30分経ち、酒は抜けていると思うが、朝まで車は運転しないつもりだ。ただ、海抜ゼロメートル地帯であるだけに、前面道路が冠水するといけないので時々注意して外を観ている。車が立体駐車場の地下ピットに入っているからだ。いつもこれで気疲れする。平面化工事が終り、一応の安心を見る10月までは仕方がないとあきらめている。

 

カミさんは部屋のドアを閉めている。灯りも消しており、どうやら眠っているようだ。でも、怖くなったらリビングに来て照明を点け、私の寝室との境の襖を開けたりする。一度寝入るとなかなか目を覚まさない私は、それに付き合うこともあるが、2回に1回は眠ったままで、カミさんの怒りを買うことになる。それなら私の部屋で一緒に寝ればよいものを、「そのほうが台風よりもおぞましい」と憎まれ口をたたき、カミさん曰く「本心」を吐き捨てる。

 

「その言葉に、愛はあるのか」

「ないっ!」

速攻だ。

 

なんとも哀れな空しい定番の会話である。

 

まもなく午前4時。すでに台風は生駒山を越えて大阪府に入っているだろう。泉州は進路の左側になっているため、風速が右側よりも毎秒20メートルほど低いはずだ。それでもかなり厳しい風だ。先日の地震で被害のあった北摂地域は大変だろうな。そしてこの先、豪雨災害の被災地を襲うようだ。大過なく通り過ぎてくれることを願っている。

今日は休み。でも、月一回の通院日なので、朝早くから病院に向かった。幾つかのCT検査が予定されている。自宅を6時45分に出たが、この時刻で駅までの1分あまりの徒歩がたまらなく厳しかった。いや、既に自宅の玄関扉を開けた瞬間から熱気に衣服が反応する。まるでヒーター入りのジャケットを着込んでいるようだった。私はこんな暑い時期に生まれた夏の子だ。そう、今日は誕生日、69歳になった。

 

病院での検査はいい結果で、「平野さん、異常ありません。術後6年、おめでとうございます」との医師の言葉を聞き、思わず目が潤んでしまった。あがき、苦しみながらの6年間ではあったが、苦しんだ分それを乗り越えた達成感、充実感が大きい。これも、カミさんや家族のみんな、友人たちの励ましと支えによるものと深く感謝している。

 

そんな私はいたって元気なのだが、この日、通院のために出られなかった葬儀があった。私と一緒に中国へ赴任した戦友とも言える人が亡くなったのだ。昨夜、通夜に行ったが、辛くて人目を憚らず泣いてしまった。彼はまだ若く、満50歳だった。子らはまだ小さく、私が父親を亡くした頃とほぼ同じだと思う。そんな家族を残して死んでいった彼はさぞ無念だったろう。心より冥福を祈りたい。

 

先日は職場のみんなと焼肉屋に行き、もらったガムを不用意に食べてしまった。とたん、左上の4番歯がポロリ。昔に処置された歯で、痛みも歯茎の腫れなどもなく、いたって調子よく使えていた歯だ。でも、中で劣化が進んでいたようだ。で、行きつけの歯科医院に4年ぶりで行く破目になった。いや、この表現は我ながら愚かしいもので、反省しなければならないな。こういうことでもなければ唯一健康保険で認められているデンタルの予防が疎かにされたままだ。実に勿体無いし、愚かなことだ。

 

案の定、私の歯はかなり傷みが進行していた。ポケットは深くなり、歯周炎が広がり、歯石はたっぷりつき、レントゲンで見ると下側の歯が殆ど下顎に刺さっていない悲惨な状態だった。実はこの間、歯痛に苦しむことがなかったので、歯科医院から遠ざかっていたのだ。もう40年近く通っている歯科医院で、以前は定期的に通院し、歯をきれいにしてもらっていたのだが、予約していても待たされるため、足が遠退いていた。

 

ひとは口から入るもので身体が保たれる。歯が損なわれると体調を維持しにくくなる。歩行機能も大切だし、柔らか頭脳も必要だが、老化を少しでも遅らせるには年齢と体調に最適で規則正しい食事を自分の歯で咀嚼して味わうことが不可欠だ。取り敢えずなくなった歯の処置をしてもらい、きちんと噛めるようになったが、この完全治療も含め、暫くは通院しなければならないと思っている。

 

7月20日生まれ、夏の申し子たる私だが、抗癌剤の副作用が未だに祟っており、体温調節が苦手で熱中症を恐れながら生きている。日中に外を歩くことなど難しく、ただひたすら日陰でおとなしくするしかない。今日も病院からの帰路、昼のアベノ界隈を歩いたが、殆ど地下にもぐっていた。新今宮駅ホームで電車を待つ10分間が辛かった。冷房の入った待合室は乗車位置から遠いので、そこまで行くのもつらいからあきらめて、風通しの良い日陰の場所で、扇子を使いながらじっとしていた。

 

帰国の途についていると思われる海外からの旅行者たちが肌を多く露出しながらスーツケースに腰掛けて犬のようにあえいでいた。旅の恥はかき捨てか、いや、他人事ではない。かつての経済アニマル日本人たちはまさにこれだった。他人の振り見て我が振り直せ、だな。

 

あと一週間ぐらいは猛暑が続くようだ。まだまだ冷房ゾーンからは出られない。19世紀に圧縮されたアンモニアを気化させてモノを冷やす技術を開発した人々に心から感謝したい。ただ快適なだけでなく、モノを保存し、命を守ってくれるこれらの技術は、今やなくてはならない設備だ。これからもその有難味を痛感しながら生きてゆこう。

梅雨前線が大暴れしている。台風7号に刺激され、3日ごろから西日本は断続的に雨が降っており、特に5日からは西日本に長く帯状の雨雲(線状降水帯)がかかり、数十年に一度という大雨が各地に甚大な被害を与えている。

 

我々が情報を知る手段としてテレビやラジオの放送がある。特に、NHKの総合テレビは終日、大雨情報を流しており、何度も、何度も同じ画面を映している。災害時における同局の放送は、誰がいつ見始めても状況が判り易いようにされているのだろう。そういう使命感が存在感と共に伝わってくる。有難いと思う。でも、情報量は多いようで意外に少ない。それについては私も何らかの意見を持っているが、今はそういうことを言う時期ではないだろう。出来るだけ整理された判り易い必要情報の報道をお願いしたい。

 

こういうニュースを観ていつも思うことだが、崩落した土砂に呑み込まれた家に取り残されて被災する人が実に多いし、また、川が氾濫して周囲が冠水している地域で、ボートで救助される光景を上空のヘリコプターから写すシーンが反復されている。こういう人たちはどうしてもっと早く避難しなかったのだろうかと思う。

 

一口に避難といっても簡単ではないだろう。知らない者が着の身着のままで身を寄せる避難所はさほど快適ではないだろう。枕が替わると眠れないという神経質な人もかなりいる。身体の不具合で一人では行動しにくい人もいる。幼子を連れているために避難所では気疲れするので避難を躊躇う人もいる。単に、家を空けたくない、という人もいるだろう。しかし、よく考えて欲しい。何かあってからでは遅い。被災すればもっと大切なものを失う。最も大切なのは身の安全なのだ。避難が無駄足になっていい。「大山鳴動して鼠一匹」の覚悟こそが災害を前にしての大切な姿なのだ。

 

日頃から避難場所を確認し、非常持ち出し用の荷造り訓練などをしている人は稀だと思う。大抵の人は、「何とかなる」という安易な気持ちでいるのだろう。だから、避難準備情報が出ても、避難勧告が出ても、無視し、楽に避難できる段階で動かず、いよいよとなって慌てて避難する。そんなときは、周囲の危険度がまして来ており、簡単には避難できない状態になっている。そこで、避難をあきらめ、被災する。災害をなめているからそうなるのだろう。

 

スマホなど携帯電話を過信しているのではないか。電話やネットで言えば誰かが助けに来てくれる、と思っているのではないか。しかし、自治体の職員も、消防隊員も、警察官も、自衛官も、みんな家族があり、家がある。みんな自分と同じの被災者なのだ。そんな中で救助作業に就いてくれている。従事者数も十分ではないだろう。だから、住民は出来るだけ自分で自分の身の安全を確保する努力をしなければならない。

 

最も有効なのは早期の避難行動であり、平生からの危機意識と災害など非常事態に対する避難訓練だ。防災グッズの用意も重要だ。大雨が続くと、国や自治体が河川に設置している水位監視用のカメラをネットで観るとか、自宅前の道路の水はけが悪くなっていないか、マンホールから水が出ていないか、くらいはチェックすべきだ。そして、避難所設置情報が携帯電話によってもたらされると、直ちにその場所を確認し、避難の準備を始め、いつでも出られるようにして、状況の変化を注視すべきだ。

 

私が子供の頃は、人は災害に対してもっと臆病だったと思う。裏山で変な音がしないか、濁った水が流れてこないか、川の水位が急に変わっていないか・・・。予め災害の可能性が予測される場合は、風呂に水を張り、ロウソクを用意し、麦茶を用意し、ご飯を炊いておにぎりを作り、濡れたふきんを被せて風通しの良い場所に置いていた。トランジスタラジオや懐中電灯の乾電池を確認し、帽子や服の上腕部に氏名・連絡先・血液型を記した布を縫いつけ、タオルやビニール袋を用意していた。親たちのそういう動きを見て、私たちも災害への対応を覚えた。だが、今はそういうことを子供に教えなければならない親が、何も知らない。

 

一年に一度、織姫と彦星が出会えるロマンチックな七夕の日だが、今年はどうやら天の川が氾濫して若い二人の逢瀬を妨げ、笹の葉に添えられた子供たちが願い事を記した短冊も強い雨に千切られ、流されてしまっているようだ。このところの異常気象には楽天家の私でさえ危惧を感じる。その因果を探り、対策を講じることも重要だと思うが、何よりも一人一人が自然の大きさとその驚異を胸に刻み、日頃から謙虚に危機意識を持って、無駄を承知で執拗なまでの避難の反復訓練をすることこそ大切なのではないだろうか。

 

ともあれ、これ以上に被害が拡大されないうちに降雨が終息することを切に願っている。

幸せだから時が速く経つ。今年も早や6月が終わる。そう、水無月の晦日は一年のへそに当たる。正確に言うと、今年2018年の折り返し点は7月2日であるが、半期毎に分けるとすれば、やはり切れ目は6月末日がふさわしい。

 

半年、一年があっという間に過ぎる。残された人生を考えると、一秒の重みがはっきりと伝わってくる。何かをしなければ、という焦りはない。が、もう十分に生きた、という慢心もない。ただ、自分の身の丈で今の暮らしが幸せに感じられるのだから、恥じることもなければ、臆することもない。ましてや、このまま果てることに不安を覚えたり、人生を終えることを無念に思うこともない。でも、なるべくならもっと、もっと、後の世を観て行きたい。

 

水無月は「水がない月」ではなく、「水の月」であるのは周知のことであるが、今年の6月の降水量はどうだったのだろうか。大阪泉州では平年の2割り増しというところだ。ただ、京滋は平年を僅かに下回っており、近畿の水源、琵琶湖からの供給量の安定を考えるともう少し雨があれば、と思う。夏季は特に水質の確保からもやはり雨が欲しいところだ。子供たちや外で働く人たちには申し訳無いが、雨乞いをしたい気分だ。こういう気持ちになるのも水に関わる仕事に就いたからかもしれない。

 

昨日(6月29日)、今年初めて我が家のリビングのクーラーが稼働した。7月までは我慢しようねと、カミさんと一緒に頑張ってきたのだが、私の体温がかなり上昇したので、あと2日だったがついにお世話になった。当然ながら、今日も冷房下で転寝。こうなると、もう冷房無しでは過ごせない。身体上のハンディキャップだけに仕方がないよとカミさんに慰められた。まだ暑さ馴れが出来ていないからな・・・。

 

6月初旬から夜具は敷布団のみ。タオルケットも使っていない。月の初めから扇風機は必須アイテムだ。更に昨日からは寝入りまでの1時間を自室でも冷房に助けてもらっている。熱中症は夜でも罹る。救急車で搬送されるのは嫌だし、下手をすれば朝まで誰も気付かずにポックリ・・・なんてことになりかねない。自分の身は自分が守らねばいけないな。

 

明日から7月、気温はさらに暑くなる。