まさか、まさか、である。平年より3週間以上も早く、今日(6月29日)、気象庁は、関東甲信地方が梅雨明けしたと思われると発表した。おいおい、いくらなんでも早過ぎないか。まだ、太平洋高気圧はそんなに強くないよ。ま、梅雨入りや梅雨明け宣言は、それで社会や経済を大きく変化させるものでもないし、各地の気象台のメンツだけのものだから、どうとでも言い訳できると思う。秋には最終発表があり、いくらでも修正できるし・・・。早々の梅雨明け宣言にメリットはあるのだろうか。やはり、私には気象台のメンツしか思い浮かばない。当たれば自慢、外れても蛙の面にションベンたる梅雨宣言だ。

 

梅雨は、暖気と寒気の境界に出来る前線が小笠原高気団という高気圧(太平洋高気圧)の勢力拡大に伴って北上し、日本列島の真上に停滞する「時期」を言う。だから、雨が降ろうと降るまいと梅雨は梅雨なのである。そこそこ雨は降る(はずである)。でも、当然ながら南海の水温で高気団の勢力が左右され、梅雨前線の日本停滞時期は変わる。「二十四節気」のように暦で決められるものではなく、該当する日付は流動的だ。

 

梅雨の有り様はどんどん変化して来ている。ダラダラ雨を表した言葉に「五月雨」があるが、今はそのダラダラ感がかなり薄れて、からっとした日が多い。でも、気象用語は便利で、そういう梅雨を男性的だといい、ジメジメと降り続くのを女性的な梅雨という。女性蔑視だといわれても仕方がないから、最近はあまり使われなくなっているが・・・。

 

旧暦の五月にあたる今の6月に入って3~4日間も雨模様が続くと梅雨入りだと騒ぎ、すぐに晴れが続くと梅雨の中休みと言う。でも、その中休みが何日も続いたり、何回もやってくることになっても、訳のわからないカッコ悪い言い訳が平気でされることになる。そして、7月に入って締めの「送り梅雨」で梅雨が暴れ、豪雨の洗礼を受けて梅雨明けとなる。今年は、少し前に新潟や秋田で、また先日は岐阜で、昨日は九州北部で。集中豪雨があったし、それをもって送り梅雨だと気象庁は判断したのだろう。

 

梅雨入り、梅雨明けの定義は一応あるようだが、玉虫色のファジーなものだと私は思う。「晴天が2日以上続いた後、梅雨前線の影響で、前日と本日が雨で、さらにその後1週間の天気予報が5日以上雨または曇り」である場合に梅雨入りしたとし、「雨が2日以上続いていた後、梅雨前線が北上して、前日と本日が晴れで、さらに週間天気予報で5日以上が晴れまたは一部曇り」の場合に梅雨が明けたとしている。だが、前述の通り、前線は北上南下を繰り返している。同じ定義の日々が幾度も現れる可能性は結構ある。大自然の現象を簡単な言葉で言い表せるはずがない。そんな大それたことを思わずに、文化として梅雨を受け止めればよいではないか。

 

くり返すことになるが、このところ高気圧の張り出し方がまださほど強くはなく、日本海上から朝鮮半島に北上した梅雨前線は再び戻ってくるかもしれない。特に、オホーツク海の寒気団が不安定で、勢力の増減を繰り返しているうちは梅雨明け宣言は難しいと思う。ま、どうとでも言い訳できるし、その結果で暮らしが大きく変わることもない。多分、今回の梅雨明け宣言は外れるだろう。ただ、真夏期の水源確保という観点からはこの宣言は外れたほうがいいのだから、言い訳材料の最右翼になるだろう。

 

実は、この時期のまとまった降水は日本の農林業にとってはまさに恵みの雨なのだが、降り続く雨を忌み嫌う人たちにも「梅雨」という言葉であきらめ、納得してもらってきた。じめついた心を少しでも晴らす方便として「梅雨」は存在してきたのではなかろうか。よく知られていることだが、一年を通して梅雨の時期の降雨量は最多ではない。秋雨の方がずっと多い。

 

かつては、梅雨の時期は高温多湿下でカビや雑菌が繁殖しやすく、疫病が流行する元となっていたため、体調を労わる時期であるという意味でも暮らしの中の戒めとして「梅雨」という言葉が用いられてきたと思う。それは今でもいえることだ。だが、こんなに早く梅雨明け宣言をして、人々の気持ちは緩まないだろうか。ただでさえ冷蔵庫を過信し、空調機に頼り、病気になっても医療機関に行けば治してくれると思っている人が実に多いのに・・・。

 

この時期の旬の食材といえば、野菜ではなんと言ってもトマトとニンニク、ラッキョウだろう。新生姜や紫蘇もいい。総じて、においの強い野菜がいい。食欲が落ち始める時期だけに、あっさりの素麺には薬味としてラッキョウや紫蘇のみじん切りがいいだろう。或いは、香辛料の効いたトマトカレーや、いっそ熱々のニンニクを利かせたトマトラーメンなどが好きだ。

 

魚は、夏の魚が出始める時期で、総じて6月は美味しくないと思う。7月まで待とう。一年中食べられる遠洋もののマグロ類で我慢することだ。でも、どうしても何か旬の魚を食べたいのであれば、イサキか鰆かな。当然ながら、生はやめたほうが良い。食欲の減退は体力の減退を意味する。体力の減退は怖い病魔が取り付く絶好の機会だ。夏痩せをダイエット効果と勘違いすることなく、栄養のバランスをとって、しっかりと食べることが大切である。

 

いずれにせよ、私が生息している大阪泉州はまだ雨が降り続いており、関東甲信地方のような「お手つき」はないだろう。東京追随などせず、手柄を焦らず、住民が心から納得できる宣言を願っている。

今日(25日)は急遽休みを取って、友人と昼間から飲んでいた。赤い顔で電車に揺られ、目が覚めたら自宅最寄り駅だった・・・。

 

とだけ書くと、暇な年寄りが怠惰な余生の過ごし方をしている、と思われるだろうな。ま、否定は出来ないが、多少の言い訳もさせて戴こう。

 

ことの起こりは22日の通院日の昼頃。それまで10日間ほど右目に違和感があった。おそらく瞼の真裏に生えているであろう「逆さ睫毛」が原因だと思う。怖がりの私は、そんなところの睫毛は自分では抜けない。右目は、左目が殆ど見えない私にとって、人生を左右する目だ。これが使えないと街を歩くことも出来ない。勿論、このような日記も簡単には書けない。その右目が、処方された薬を院外薬局で購入しようと出来るのを待っている時に突然の激痛を発した。痛さよりも不安が膨らむ。いつも携行している目薬の中から、幾つかの組み合わせを取り出し、相当量を用いて点眼した。痛みは少しずつ引き始めたが、それでも立つ事もできない状態で、15分間ほどじっとしていた。

 

この日の事は先に日記に書いたが、散髪や買物をして家に着くまではいつもと同じ行動パターンをくり返した。でも、「失明」という字が頭をよぎる。心は穏やかではなかった。読書も控えていた。帰宅後に職場に連絡し、月曜日に休むと支障がないことを確認し、眼科病院へ予約変更が可能かを打診した。病院の予約が取れたので、再度職場に電話し、年次有給休暇を申請した。その後、家族や友人たちにその日の通院検査(癌の経過観察)の結果をメールで報告したら、友人から月曜日の午後から大阪市内でフリーになるが都合はどうか、とのこと。まるで私の動きを千里眼で見通しているかのような誘いに、当然ながら喜び勇んで応諾した。

 

そして今日、朝から千里丘の病院へ足を運んだ。既にあの時の痛みは無くなっていたが、違和感が続いていたので診て貰った。再現性がないため医師も断定しかねるようだったが、一応の推論を聞き、納得した。処置と薬の処方をお願いし、次回予約を取り直した。前回、2時間も待たされたから、今回も遅くなることを覚悟していたが、意外にもすんなりと完了し、千里丘の駅に戻ってきたらまだ11時だった。

 

駅前の寿司屋でいつもの昼を済ませ、電車を乗り継いで着いたのはJR環状線「玉造」駅。時計を見ると12時05分。友人とは14時30分の約束だったので、商店街の入口にあるカラオケボックスで独りカラオケ。声の調子が良くないな、と自分に言い訳しながら90分間シラフで歌った。歌うのは主に古いJ-POPSで、英悟の曲も幾つか。団塊世代の年寄りではあるが、演歌は2曲だけ。それは気持ちよく楽に歌えるから、咽喉の調子を整えるために毎回歌う定番曲だ。

 

私の声は、男性にしてはレンジが少し高いほうだ。若い頃は声に張りもあったが、今はかすれ声になり、声域も狭くなった。何より、息が続かない。それでも、横隔膜を精一杯動かして、腸の動きを活性化させるように歌った。カラオケは身体にいい。でも、独りカラオケは別の意味でメリットとデメリットがあり、相殺されるような気がする。やはり、楽しい雰囲気の中で歌うのが一番だろう。独りは良くない。

 

友人と待ち合わせて行ったのは「関東煮」屋さん。関東煮、これを「かんとうに」なんて読んだらケツを蹴飛ばしたくなる。「かんとだき」と読む。大きな鍋に色々なネタを入れて煮る、あれだ。いつからか、大阪でも「おでん」という言い方になってしまったが、私が子供のころはずっと「かんとだき」だった。

 

昔からある店だが、私はこれまで3回ほど行っただけ。先日、お初天神の近くの有名な「おでん」屋で期待が外されていたから、そこへ私を案内した友人に関東煮のなんたるかを語りたくて、本日のロケーションとなった。梅田や法善寺や福島の有名な「おでん屋」には連れて行ったこともあったが、やはり玉造にあるここの関東煮は私が小さい頃に食べていたあの晩ご飯の雰囲気を今も保っていて、私が言いたい事をいちばん語ってくれていると思う。庶民的な店で、生中でたくさんの美味しい関東煮を胃袋へ流し込み、うどんまで食べて一人2,600円ほどと、当然ながら安い。いい店だ。友人も満足していた。

 

商店街に戻り、鶴橋まで歩いた。鶴橋はコリアンタウンの入口だ。駅前のショッピングゾーンをくまなく案内した。友人は社会に出てから殆どを大阪で働いてきたから大阪通であるとの自負を持っているが、実はあまり知らないと思う。今日もガイド宜しく散策を楽しんだ。で、次回の昼酒は鶴橋編、ということになった。その後、桃谷、寺田町と平日の昼酒を続けるつもりだ。

 

鶴橋といえば焼肉、韓国料理・・・? いや違う。実は、私が子供の頃は鶴橋が、生野区はもとより天王寺区、阿倍野区の鮮魚店が魚を仕入れる市場だったのだ。伊勢志摩から近鉄の「魚電車」で毎朝届けられていた。それは、昔ほどではなくなったが今も続いている。と、ここまで書けば食いしん坊の諸氏にはお分かりだろうが、魚を食べさせてくれる隠れた名店があるのだ。別に店としては隠れてなどいないのだろうが、あまり有名ではないため、こういう表現になった。つまり、価格的にも名店なのだ。それを友人に話すと、よだれを拭く仕草をして見せた。

 

世の人たちが汗して働いている時に、不埒にも歌を歌い、酒を飲み、今日はそれなりに楽しい時間を過ごせ、私の体内のNK細胞など免疫機能はかなり元気になったことだろう。

今日(23日)は朝からしっかり雨が降っていた。目覚めるとひんやりとした風が無精して寝間着に着替えなかった半ズボンからはみ出た脚に当たっている。携帯電話で時刻を見ると11時。よく眠った。でも、寝たのは空が白んできた4時30分だから6時間半ほどか。耳鳴りは消えない。このところずっと、だ。もう慣れたが、やはりしないほうが良い。

 

外からの風には湿り気が多いようだ。以前は室内がカビるとカミさんは雨の日の窓の開放を嫌っていたが、私が薬の副作用で皮脂や汗の分泌が止まって苦しむようになったため、今は嫌々ながらも黙認してくれている。でも、そのおかげで顔や首、手足に痒みはない。5月は高温に苦しむ日もあったが、6月に入って気温も平年並みのようで、自分としては凌ぎ易い日が続いている。

 

雨は有難いのだが、水曜日(20日)は出勤時にひどい驟雨で悩まされた。50m先がまるで見えないほどの強い雨で、長い傘をさしていたのだが下半身がずぶ濡れになった。その日は電車を使って出勤した日で、雨で早く歩けないため駅から15分もかかった。その間濡れていたわけで、水中にはまった時のように靴の中には水が溜まっていた。

 

職場に辿り着いた時は胸ぐらいまで濡れており、ユニフォームに着替え、濡れた靴下を履き替え、衣服と靴を乾くように干したりしたが、昼前に大阪市内へ移動するために着替えた時はまだかなり湿っていた。雨は私が職場に到着してすぐに小降りになった。何か罰当たりなことをしたのだろうか。自分の精進の悪さを痛感した。その日は終日雨に降られた。今の私は、雨は好きなのだが、外出する時はやはり降られない方が良い。

 

木曜日(21日)も終日小雨模様だったが、金曜日(22日)は一転晴れ渡り、気温もかなり上がった。しかし、前日までの降雨で湿度は上がっており、私的には快適だった。その日は通院日で、朝から大阪市内の病院へ行った。いつもの検査を受けたが、結果は良好で、「ホッ」として明るい気分で病院を出た。院外調剤薬局で処方された薬を購入し、駅への途中で散髪をし、薬局で絆創膏を買い、本屋で文庫本を3冊購入して、百貨店の地下で食品を漁り、帰宅したのは14時過ぎだった。カミさんは昼食を作って待っていてくれた。

 

そして、今日、雨の中をカミさんは友人と会うために出掛け、夕方遅くに帰ってきた。楽しんできたようだ。彼女の明るい顔を見ると嬉しくなる。日頃は出来事をあまり話したがらないカミさんだが、今日は結構話してくれた。自宅でいるよりはどんどん外に出掛ければ良いのに・・・。私は一歩も家から出なかった。

 

今、週に4日働き、3日を休んでいる。このペースになって1年以上経つ。今の私の体調におそらくベストだと思われる過ごし方だ。仕事をしていると決まった時間に起きて動くことになるし、適度な緊張、我慢やストレスがモチベーションを保たせ、体内の免疫機能を活性化してくれる。何よりも、何も背負わない仕事ではあるが自分のスキル、ペースでさせてくれるし、それなりにやりがいもあり、楽しい。起床した時や帰宅した時に見るカミさんの顔が新鮮に見えているような気もする。まだカミさんに恋してるから、かな。

 

夜半に雨は上がったようだ。明日はまた蒸し暑い日となるのだろう。私には嬉しい気候である。熱中症には気をつけて、家から出ないようにするつもりだ。

6月18日、7時30分過ぎに出勤し、いつものようにコーヒーを淹れ、着替えもせずにスケジュールやメールを確認し、週明けの勤務をイメージ付けて、大好きな読書タイムに入ろうとバッグから文庫本を取り出したら、ガタ、ガタと大きな揺れ。えらいこっちゃ、訓練ちゃうで・・・。すぐに同じフロアの反対コーナーに走った。テレビがあるのだ。うわーっ、大阪北部が震源。なに、震度6弱? こりゃ大変や。すぐに更衣室に急いだ。緊急出動に備えてだ。いつもはスリッパー履きなのだが、規定どおりに安全靴を履き、安全帽に軍手を持って席で待機した。

 

職場ではつい2週間前に緊急時対策の訓練があったばかりだ。条件が違うのはみんなが出勤前で、今いる顔ぶれが非常に少ないことだ。揺れの大きさから、公共交通は運行を見合わせることが容易に推測され、職員の動静を確認しつつ、施設の点検や被害の大きかった事業所への応援など、対応するべき項目を少ない人数でこなして行かなければならない。企業の本部から続々と状況の連絡や指示が入ってくる。すぐに大会議室に事業所の対策本部が設置された。しかし、事務系の嘱託職員である私は、オフィスで留守番して電話受付など雑用係をするのだろうと、地図やメモ用紙、付箋の用意をしていた。

 

すぐに巡視(点検)班が編成され、みんなが準備にかかっている。始業のチャイムが鳴ったが、出勤で来ている職員はあまり増えていない。次々に入ってくる出勤途上の職員の現在位置情報を報告しながら、コーヒーでも飲もうと思っていたら、「平野さん、巡視をお願いします」とのこと。職場はまさに猫の手も借りたい状況で、施設の機能確認は急を要する。丑年の俺は猫よりましかなと独り言をいいながら、用意していた安全帽や軍手に携帯電話、財布、お茶ボトル、地図を持って同僚の待つ車へと急いだ。必要な資材の積み込みはすでに終わっていた。

 

車中で携帯電話を見るとメールが幾つか届いていた。みんな心配してくれている。有難いなと思いながら、返事はあと回しになる無礼を心で詫びた。カミさんとマンションの管理人さんには車中から電話した。なかなかつながらなかったが、何度か掛けているとようやくつながった。状況を聞き、幾つかの指示をした。我が家がある街は震度4だという。ということは、10階建ての10階にある我が家は震度5ぐらいの揺れだろう。ちょっと怖い言葉も聞いた。

 

それから昼過ぎまで指示された経路を見て回った。業務の内容をここで書く訳には行かないが、車で走り回るだけでこの段階での目視点検は出来る。経路を示した地図にあくまでも忠実に、遺漏なく辿った。都度、連絡を入れる。仲間の車両とすれ違うこともあった。私の中には組織の一員としての意識がしっかりと出来ていた。こういう感情は久しぶりだ。このほど良い緊張感が体内の免疫機能を高めてくれるのだ。若い人と一緒に働くと気持ちまで若くなってくる。仕事をするって本当に素晴らしいことなんだと思った。

 

帰還して報告し、当直室で遅めの昼食を食べた。テレビで交通機関の情報が紹介されている。大阪の北部では倒れてきた無筋ブロック塀で亡くなられた人たちのニュースが出ていた。家族の無念さを思うと胸が締め付けられる思いだ。涙が滲んできた。それにしても、大都市直下のM6.1(震度6弱)地震にしては被害は思ったよりも小さいなと思った。度重なる大震災を目の当たりにして、地震への備えが着実に出来ているからだろうと思った。反復訓練の大切さを改めて思い知った。

 

戴いたメールに返事を送った。いろいろと書いたが、3人目からはかなり言葉を煮詰めた。面倒だからではなく、その方がいいと思ったからだ。

「メールありがとう。私(平野)は無事です」

 

その後も各所へ向かう応援勢を送り出しながら、合間に本来の事務作業をこなし、一日の勤務を終えた。普段よりもかなり濃く働いた。退勤し、自宅に帰ると、家の中はひどい有様だった。その情報は既にカミさんから受けていたし、自室は自分で片付けると言っていたので覚悟はあったが、実態は予想したよりもひどかった。本棚から本やDVDディスクが落ちて散乱していた。重い辞書が落ちて、下に置いてあったノートブックPCが破損していた。本棚の上に置いていた私専用のパン焼き器や電動ミルが落ちて樹脂部が壊れ、使えなくなっていた。これがもし夜中ならば、これらの機器が私の頭部を直撃していたはずだ。ホームセンターで売っている揺れ止め程度ではあまり役に立たないことが判った。

 

夕食後、足の踏み場もない部屋を整理し、元の部屋然に戻した時、夜中になっていた。目まぐるしい一日だった。

ふと替えたチャンネル、BSではあまり観ない公共放送局だ。通りすがりのチョイ見のつもりがすぐに釘付けになった。阿蘇の景色が飛び込んできたのだ。これまでかの地には数回しか行ったことはないが、雄大で時の流れを超越する風景にはいつも心の底から大きく揺すられる思いをしてきた。自分という一人の人間の小ささを思い知らされ、それでも不思議と前を向くように諭される原点のような場所として、そこに立つだけで涙が出てくるところだ。その場所を、何組かの若いクリエーターたちが自分の持ち味で表現し、心に感じた何かを語る番組だった。

 

その中で、この地域を励ましのパワースポットとして描くCM作家が創る作品の出来上がってゆくプロセスに心を動かされた。そう、彼は分別のある年代ではあるが、私の子供たちよりも年下の今どきの若者だ。その彼が現地の多くの人にインタビューしていた。みんな、地に足をつけて生活している大人たち、噴火や地震のたびに被害を受けながらもそれでも当たり前のように蘇って従前の暮らしを取り戻そうとしている人たちで、そのCM作家は、街の若者が失敗してくじけそうになっているシーンに励ましの言葉として、インタビューした人々の言葉を短いカットで追いかけさせていた。

 

くくりのコピーは若者の心を捉えるであろうと思われるフレーズだった。でも、私が心を動かされたのは、そういう若者が、出演していたクリエーターたちが、表現は違えど皆同じように、ずっと年上の人たちの言葉をきちんと聞き出し、大切に扱っている姿勢が見えたからだ。何ものにも勝る大自然の有り様に畏敬の念を強く抱きながらそこに代々暮らす人々の素朴で、しかし、偉大な生き様に、若者は明らかに心を囚われていたと思う。阿蘇というロケーションに対して抱く気持ちも大きいが、何よりも現地の人との短い時間でしかない交流に感動の源があったのだろう。私の緩い涙腺は制御機能を失い、番組の終盤では涙で画面がぼやけて見えにくかった。

 

俺ならこうする。いつもそんな目で物事を観てきた私は、番組のタイトルをさっと眺めた時に、どうせ今どきの若者が、物事の本質もわからずに、受けた印象を感覚に訴えるだけの掘下げの浅い番組だと決め付けていたようだ。そんな自分が恥ずかしくて仕方がなかった。そして、録画していなかったことを悔やんだ。もう一度最初から観たいと思った。阿蘇に生きる人々の不撓不屈の姿勢から力をもらい、若い人の素直な言葉で心の汚れを洗い流して欲しいと思った。

 

私は、「今どきの若者は・・・」という言葉が好きではなく、出来るだけ使わないように努めて来た。自分たちが先達から言われた時に反発したからだ。しかし、私も若い人たちに対してやはり心のどこかでこの言葉を吐いていたと思う。老害を生み出す典型的な言動だ。最も嫌いな尊大という姿勢から脱し得なかった。「忘年交」などと、さも若い人と同じ目の高さでいるかのような主張をしながら、実はかなり上から見下ろしてきたのだろうと胸が痛くなった。老いて立ち位置を正さねばならないことを失念していた。意識して謙虚になろうとは思わないが、少なくとも先入観を捨て、ニュートラルで人と接するぐらいの事は今すぐでも始められるはず。はだかの王様にはならないために。

6月6日、近畿地方は梅雨入りした。今年は前線の動きが判り易く、入梅予測が比較的に容易ではなかったかと思う。ほぼ平年並みの梅雨入りで、梅雨明けも同じく7月20日前後と思われる。その日は1学期が終了し、夏休みの突入する日だ。私はずっとこの日が歓迎される日だと思っていた。ところが、SNSで主婦の声を聞くと、子供の夏休みは大変なのだという。本来家庭が担わねばならないのにいつもは学校に押し付けている子供の生活との接触時間が戻ってくるのだ。楽が出来ないのだろう。そういう見方があるのだと始めて知った。いやはやである。

 

夫を早く亡くし、若くして寡婦になった私の母は、一所懸命働きながら私や弟、妹を育ててくれた。平日は働きに出て、週一日の休日は洗濯などの家事に追われていた母にとって子供たちの夏休みは、子供のリスクが高まる分、気が休まらず、やはり大変だったろう。でも、遊び盛りの当時の私はそういう母の苦労も汲み取れず、ただただ毎日を楽しんでいたアホボンだったと思う。

 

ただ、よその子と違う点は、給食がないために増えた平日の昼と、いつもどおりの夜の食事は自分たちで作って食べていたので、手間は余りかからなかったはず。そういう点では母にとっては普段と同じ暮らしだったのかなと思う。怪我をせず、病気にかからず、迷子にならず、人さらいに遭わず、元気にいることが何よりの親孝行だったのかもしれない。兄弟妹三人は、そういう点では良い子だったのかな。母の顔を思い出しながら、ついふり返ってしまった。7月20日については書きたい事は一杯あるが、その日が来たら書くことにして、梅雨に話を戻そう。

 

皮脂や汗の分泌が止まってしまった私にとって、ジメジメとした梅雨の湿度の高い日は身体が楽になるように感じる。近頃はそれがはっきり判るようになって来ている。露出している首から上や手の皮膚が突っ張らず、ひび割れも少なくなるのだ。そう思うようになってから、嫌いだった雨が好きになった。

 

確かに、雨は動きを抑制し、行動範囲を狭くする。洗濯物は溜まり、カミさんの機嫌が悪くなる。カビや殺菌は繁殖しやすく、食物が傷みやすくなる。健康を損ね易い梅雨は昔から五季の一つとして扱われ、要注意の季節だった。そんな季節を乗り切る工夫はいろいろとあったのだろう。

 

特に、食欲が落ちるこの頃は、抗菌性の高い食品や容器を用い、食欲が湧くさっぱり料理に濃い目の味付け料理を組み合わせた献立があった。その代表選手が「酢の物」と「佃煮」だろう。何にでも酢をかける人がいるが、あれは正解だと思う。「酢はスタミナの酢」というキャッチフレーズがあったと思うが、トンカツや親子丼にまで酢をかける人を以前は軽蔑したものだが、今はエライと思っている。でも、私はそこまでしないが・・・。

 

目に楽しい雨具を揃え、レインファッションを工夫し、雨にまつわる曲を聴き、風鈴にてるてる坊主をぶら下げ、雨を楽しむ。そして、つかの間の晴れ時を有難く感謝し、有効に使おうとする。そんな心を大切にしたい。

 

梅雨に溜められた水源地の水がその後の夏の渇きを癒してくれる。梅雨前に植えられた苗が雨で育ち、夏の日差しを浴びてやがて秋に実りを与えてくれる。日本の素晴らしい四季をくっきりと彩ってくれるのはもう一つの季節である梅雨だ。嫌われものなのに一所懸命尽くしてくれる。そう思うと梅雨の健気さがいとしく思える。だから、他の季節よりもこまめに接しなければいけない。食事や住まいに気を遣い、家族や自身の健康に細かく 注意する。そう、横着で怠惰な姿勢を整え、治してくれる有難い季節なのだ。梅雨さまさまなのだ。

 

大阪に住んでいると、雨がずっと降り続く事は滅多にない。大抵は降らない日の方がはるかに多い。しかし、高温多湿ではある。気温の変化勾配の角度が急であり、熱中症という大敵が潜んでいる。そんな一ヵ月半の梅雨であるが、それを長く感じるか、短く感じるかは自分次第。多分、私はあっという間に・・・と感じるだろうと思う。さあ、この楽しい季節を味わって、快適に過ごす自分なりの工夫を重ねるとしよう。

6月1日金曜日、この日は家から一歩も出ずに、籠ってひたすら衣料の整理をしていた。今季2回目の衣替えだ。薄物衣料を入れ替えた。主に、シャツ類、室内着だが、作業量は結構あった。シャツ類はかなり廃棄して減らしたのだが、それでもドレスシャツとカジュアルシャツを併せると、半袖だけでまだ50枚以上ある。なぜ、そんなにあるのかというと、サラリーマン現役当時から出張にはその日数分を用意して持参するため、シャツや靴下、下着類は安物でも数量を揃えていた。その名残りに加え、安いものがあればつい買ってしまい、さらに「断捨離」がなかなか出来ないという貧乏性で、箪笥やハンガーラック、衣装函からはみ出して収納しきれないものが多くなって来ている。だから入れ替えも結構大変なのだ。

 

まずは季節の役目を終えて仕舞いこむ長袖シャツを売場に置いてあるような形で畳む。このほうが効率的に収納できるし、再度登場させる時に皺が少なく、アイロン作業が少なくて済むからだ。出してある長袖は基本的によく着ていたもので、およそ30枚あった。それらをきちんと畳むだけでもかなりの作業だ。ほぼ同量の半そでシャツを選出し、広げてハンガーに掛ける。ただ、出した半袖の枚数分の長袖を仕舞えるかというとそう簡単にはいかない。半袖の方が体積が少ないからだ。自ずと長袖はギュウギュウ詰めに押し込むことになる。十月の入れ替え作業時に夏よりも多くのエネルギーが要る結果となる。

 

かつて息子が使っていた部屋をウォークインクローゼットに改装したいと思っている。それが出来れば衣料品は入れ替えなしに年中掛けておける。虫にやられ易い重衣料はカバー掛けや防虫剤添加など若干の作業を残すが、薄物はいちいち畳んだりする必要はない。皺になりにくいセーターなどのニット類や、皺になっても構わない室内着やパジャマなどは衣装函収納なので入れ替え作業はあるが、衣替えで一番大変なアイロン作業は大きく軽減される。

 

早くそうしたいのだが、改装は簡単には行かない。業者に支払う費用の工面もだが、納戸として既に置いてしまっているいろいろなものを廃棄したり動かさないといけないのだ。だが、我が市は廃棄にカネがかかる市だ。数年前から日常の可燃ごみも専用袋を買わなければならないようになった。不用品は別に費用を請求される。高い市民税に加え、こういう費用負担が増え、ボディブローのように老人家計を圧迫している。関西一高い南海電車の運賃も含め、健保料や水道料金など、とても居住をお薦め出来る自治体ではないと断言する。住み着いてもうすぐ20年になるが、転入前にもっと調べておけばよかったと後悔している。地場産業が衰退し、勢力を大きく後退させている自治体は福祉や施設の整備面で辛いものがある。そういう事情に加えて、「断捨離」できない私の性分もなかなか切り崩せない要塞だ。で、毎回の衣替えにエネルギーを消耗させている。

 

昨日に引き続き、今日(土曜日)も朝からアイロン掛けをしていた。当てた枚数はかなりのものだ。職場のユニフォームやハンカチなど、日常の洗濯物もある。性格上、ある程度丁寧に当てないと嫌なので、時間がかかる。きっと電気代も増えるだろうな。一部を明日(日曜日)に残してしまった。

 

実は、今日は大変なことが起きてしまった。夕食を始めた途端、急に悪寒がしたのだ。それもかなり激しいもので、全身が痙攣を起こしている。発熱もあり、すぐに38℃を超えた。2015年から毎年1~2回発症しているもので、何よりも、心臓が止まるかと怖くなるほどの痙攣は相当にきつく、全身運動のように筋肉を硬直させるので、すごく疲れるのだ。これが始まるとすぐに薬を服用し、冬物のパジャマを取り出し、掛け布団にもぐりこむしかない。ただ、寝具は既に薄物に入れ替えしてあるので、何枚も重ねて着る。寝苦しさよりも悪寒のほうがきついので、ただ、寝床で唸って過ごす。

 

3時間ほど寝て、膀胱に圧力を感じて目が覚めた。トイレに立った。熱はまだ残っており、身体はふらついたが、悪寒はほぼ治まっていた。その後、再び眠り、夜中にもう一度トイレに行ったが、平熱に戻っていた。この症状への対応はもう慣れた。逆流性胆管炎だ。

 

私の身体は、十二指腸を切除し、胃に小腸を縫合してあるのだが、空腸部を作り、そこに膵管と胆管を接続している。食べたものがそこへ逆流して胆管に入ってしまうとこの症状が出る。発症頻度が少ないので再手術の必要はないが、爆弾を抱えているということを自覚し、きちんと対処すれば、厳しい症状ではあるが早期に解消されるので、あまり心配していない。ならば、再発しないように出来ないかということになるが、身体へのリスクを考えると新たに開腹することは得策ではなく、現状で対症療法に徹するほうを選んだ。だから、発症の原因として最も大きな便秘は厳禁なのだ。今回は排便がきちんとされている中での発症だ。原因を考えても思い浮かばない。でも、何かあるはずだ。よく考えて見よう。

 

現在午前2時30分、体調はほぼ元に戻った感じがする。これから歯を磨き、着替えをしてなるべく早く寝ようと思っている。入浴は出来なかったので、明朝、シャワーを浴びるつもりだ。運動量を少しずつ増やして、いつもの生活に戻るにはそう時間もかからないだろう。明日の午後には車の運転もできるようになると思う。明日は買物に行きたい。また余計な安物衣料を買うだろうな。懲りていない。

5月だというのにもうすっかり夏の気候だ。体温調整を苦手としている私には「熱中症」との闘いの季節である。紫外線もきつく、目が弱ってきている私にとって光の拷問の季節でもある。自ずと日陰を探し、つたい歩きする。しかし、躍動感が溢れ、日中時間が長いこの季節は、子供の頃から大好きな季節だった。それは今も変わらない。

 

先日、堺の白鷺公園に花菖蒲を見に行った。市の花であるとのこと。形がはっきりしない花は余りすぎじゃなかったのだが、水辺に咲くブルーやホワイト、イエローの花を見ているうちに、花が語りかけてくるような錯覚を覚え、魅入ってしまった。照りつける太陽が為したいたずらのような気がした。写真はたっぷりと撮ったが、どうも私は構図のとり方が下手くそで、とても見せられるようなものではないため、ここで掲載はしない。でも、この1時間余りだが公園でのひとときは、花を愛でる風雅の心を少しは取り戻せる機会となった。

 

このところ電車で通勤している。自宅の最寄り駅から南海本線の急行に乗って天下茶屋まで揺られる。乗車時刻が早いので混雑はまだ少なく、本を読んでも周辺に迷惑をかけることもないのがありがたい。天下茶屋で南海高野線の泉北高速鉄道直通準急に乗り換えるが、こちらは大阪市内から遠ざかる方向であるため、空いていてゆったりと座れるから嬉しい。混雑した車内では使用が憚られるイヤホンオーディオも楽しむことが出来る。大きな音でしっかり聴くわけではなく、電車の騒音の中でもまあ聴こえる程度の音量で、まさにBGMだ。隣席の話し声も気にならず、読書に集中できる。

 

職場は駅から遠く、行きは上り坂なので、ゆっくり歩きながら、車道の騒音に負けない音量で、やはり耳タコ曲を聴いている。最近よく聴くのは1曲の繰り返し演奏だ。まさに耳にタコが出来る状態で、横着モノの私の真骨頂かもしれない。聴く曲目は相変わらずの無節操な選曲で、飽きもせず聞き流している。

 

レパートリーにあまり季節感はない。晴雨昼夜も関係ない。通勤時間帯のみならず、自宅での自分の時間は殆どといっていいほど聴く。誰かのブログに目を通している時も、こうして日記を書きながらも耳に入れている。勿論、難聴にならないように音量はかなり絞っているが・・・。そのまま寝床に入っても、である。

 

『星を求めて(ビリーボーン楽団)』『メモリーズ・オブ・ユー(ベニー・グッドマン楽団)』『ティコ・ティコ(パーシー・フェイス・オーケストラ)』『She(エルヴィス・カステロ)』『スコッチ アンド レイン(南佳孝)』など、など。いつもながら代わり映えがしない曲たちだが、私には自然に聞き流せるもので、耳のタコもリズムを取ってスイングしているようだ。

 

今日(25日)はそんな曲たちに癒されながら、すぐ近所の病院に行った。今の家に引っ越してきた時からの主治医といえる医師への定期的な「挨拶」の如き通院だ。20分ほど雑談をし、少し身体を診断してもらって、時に必要な医薬品の処方箋を書いてもらっている。6年前、この医師に癌を見つけてもらった。受術は紹介してもらった大阪市内の大きな病院だったが、それ以外の健康に関しては今もこの近所の病院を頼っている。駅前に住んでいるとメディカル面ではかなり恵まれるが、私の場合は何でもかんでもこの医師を優先させてしまっている。気安さと信頼の反映だと思う。

 

今日、雑談の中でその医師からとんでもないことを聞いた。ポロリと本音が出たのだ。それは私が癌の手術を受けて退院してから肝臓に転移が見つかり、きつい抗癌剤を目一杯投薬したためにその副作用で苦しんでいた時の姿を回顧し、「あの時は正直言ってこの人はもうダメだろうと思った」という爆弾発言だ。今の私がそれなりに元気で暮らしていることを讃える中で医師が話したことなのだが、そう思われるほど私は衰弱していたのだろうなと思うと、よく頑張って来られたものだと自分でもその足跡を誇らしく思う。

 

ただ、毎日を、その時々を、必死に生きてきただけなのだが、それが時を重ねることで価値を呼んでいるのだろう。味覚障害で食べられずに痩せ細り、手足が傷だらけのボロボロになり、家の中を這って暮らしていた私が、普通の人と同じように歩き、PCを駆使し、車に乗って、仕事をしているなんて、あの頃から考えると確かにすごいと思う。でも、医師から爆弾発言を受けた時、讃えられたことの感涙を堪えることよりも、「もうダメだろう」と引導を渡されそうになったことのショックのほうが勝っていた。ほんの数瞬だが私が寡黙になり、天井を見上げていたため、医師が焦り始めたようで、その様を私は醒めた気持ちで感じていた。

 

でも、この医師が近くにいてくれたから私は助かったのだし、今もこの人には心の中を見せられると思う。実にありがたい存在だ。順番を待つ患者のカルテが並べられている時ではあったが、いつものようにひとしきり話して辞去した。私は家族や友人を始め、多くの人に支えられて生きているのだなと痛感した。

 

当然のことだが、受診中はイヤホンをバッグの中にしまっていたので、ご安心を。

本日(5月13日)、夏向けの第1次衣替えを行なった。交換したのは重衣料が中心で、冬物のコートや合いもののスーツ、ジャケット、ズボン、ブルゾン類を仕舞い、薄物を出した。ただ、今月一杯はシャツも長袖を、ズボンもグレー調の薄地のウール地を着用するので、真夏物は一応のスタンバイという体だ。

 

黄金週間に入れ替えようと思っていたが、一時的に気温が乱高下したので、予定よりも2週間遅れの実施となった。例によって、「あれないか? これないか?」と賑やかにワンマンショーを繰り広げ、カミさんに「懲りないオトコやね」と呆れられていた。

 

6月に入るといつものように半袖のBDシャツと綿パンで通す。ローテーション分のアイテムはすでに用意出来ている。職場でも簡易ユニフォームとして制定されているポロシャツを着用する予定だ。ただ、一年中同じものもある。Tシャツ、トランクス、靴下などの下着類だ。靴も含め、このようにシーズン性のないワードローブも多い。その辺が女性とは違うところか。

 

といっても、私は女性の下着類についてはあまり知識を持っていない。カミさんは私の前では決して下着姿にならないし、青春期より神秘のベールに包まれたものとして非常に興味をそそられたものだが、それも何とか卒業でき、今ではまったくといっていいほど女性の下着姿に興味を失った。ま、自慢して言うほどの事ではないが・・・。それでも、電車などで大胆な座り姿を見るとドギマギしてしまう。まだまだ修行が足りないのだろう。

 

体重のチェックだが、目標のマイナス8kgは実現せず、マイナス5kgという未達のままにダイエット大作戦は一応の終止符を打つこととなった、私としたことが実に情けない結果だ。「あと3kg」がなかなか進まなかった。これからはリバウンドを起こさぬように気を引き締めながら、現状を自然体として定着させるように努めて行くつもりだ。

 

次の仕掛けは夏、気温が上がり、食欲が落ちてあっさりしたものを欲するようになった時に再びの展開を考えている。でも、作戦の内容は大きく変わるだろうな。「食欲の秋」に立ち向かえることが出来るように頑張って体重の「貯金」をしなくてはいけない。

 

ただ、マイナス5kgとしての効果はかなりあった。職場のユニフォームのボトムスがすんなり入るようになったし、膝や足首も痛くなくなった。えらいものである。街のガラスに映った自分のシルエットがビヤ樽から緩いエンタシス調に変化した。あと3kg、なんとしても落としたい。食べたいものをちゃんと食べながら健康的に痩せる事は、この先の人生を楽しいものにするためには必要なことだと考えている。でも、無理はいけない。夏までは現状をしっかりキープするぞ。

 

明日は眼科通院で、吹田まで行く。西区の病院で お世話になっていた先生を追っかけしているのだ。昼食はいつもの寿司屋だろう。そして、午後からは梅田で友人二人と会うことになっている。少し歌い、早い目から「給油」して、免疫性を向上させようという魂胆だ。こういうささやかな楽しみを継ぎ足しながら、今、私は瞭然と前向きに生きている。ま、いうなれば、可愛いおじいちゃんだろう。

黄金週間も終り、春の長閑さを暫時享受すれば、その後は梅雨のじめついた空気が徐々に濃くなる。例年ならばそういう気候の流れとなるのだが、どうも今年は勝手が違う。平均気温が2度近くも低い冬季がようやく過ぎたと思っていたらいきなりの陽気が短い花の盛りを更に短くし、三寒四温と受け流すつもりの私を熱中症にしたり鼻水攻勢で困らせたりしている。

 

どうも近頃の気候は振幅が大きく、その変化も速度があり、老人の体調を遠慮容赦なく苛める悪鬼のようだ。自分自身の立ち位置を客観的に見ると、まごうかた無き高齢者。昔から季節の変わり目は医療機関と葬儀屋の繁忙期といわれているが、本気で注意を払わなければいけないと諭されている気がする。

 

数日前から鼻水に加えて時々悪寒を覚えている。咽喉も痛い。風邪の症状だろう。2月にかかりつけの病院で処方してもらった風邪薬の残り7回服用分があったので、それを飲んだ。今日からまたも4連休なので、この休みの間には体調も戻ると思う。「またも」と書いたが、今年の黄金週間は10連休にはせずに中2日間は出勤したので4連休が2回あった。そこに今回の4連休があり、この半月ほどの間だけ見ると殆ど働いていないなと我ながら怠け癖がつかないかと不安になっている。

 

ところで、何気なく使っている「薬を飲む」という表現だが、固形の錠剤でも「飲む」という日本語はおかしいですねと上海駐在当時に中国人から言われたことがある。中国では固形薬剤を服用する場合は「吃」を使う。食べるという意味だ。日本では薬剤といえば煎じ薬が主流だったから「飲む」という言葉が根付き、そのまま固形薬剤にも使われていて、使い分けはしていない。このように、日本語はかなりファジーな面を持っていて、動詞を厳密に使い分ける事をすることが少ない。この弾力的な用い方に、2種類の表意文字である仮名と表音文字の漢字の併用が加わり、世界でも特有の高い知識吸収力の源となっていると私は思う。

 

それでも日本語は、応用さはあるが曖昧な言葉ではない。英語のように多意多用なtakeを用いることで話し易くするという要素はあまりない。その分、高い表現力が求められ、日本語を難しくしている。それは、世界共通語の位置から見れば日本語を馴染みにくい言葉に組み入れている要素だと言えるのだろうが、悪いこととは私は思わない。なぜならば、そこには格調と美しさが窺われ、日本語を高度な文明の言葉に押し上げてくれていると思うからだ。胸に日の丸を持つものとして、日本製品のクォリティの高さと同様に、日本という国や日本人の文化度の高さを示すものとして日本語を誇りに思いたい。

 

とはいうものの、およそ文化という言葉から程遠くティッシュペーパーのお世話になりながら、鼻をグシュグシュ言わせて身体を小刻みに震わす様は決して格好の良いものではない。私が只の老人であることを証明している。それを潔く認め、今日ぐらいは部屋にいて、衣替えで仕舞いこんだカシミヤのセーターでも出してきて、温かくしながら本を読んで過ごそうと思っている。