黄金週間も終り、春の長閑さを暫時享受すれば、その後は梅雨のじめついた空気が徐々に濃くなる。例年ならばそういう気候の流れとなるのだが、どうも今年は勝手が違う。平均気温が2度近くも低い冬季がようやく過ぎたと思っていたらいきなりの陽気が短い花の盛りを更に短くし、三寒四温と受け流すつもりの私を熱中症にしたり鼻水攻勢で困らせたりしている。
どうも近頃の気候は振幅が大きく、その変化も速度があり、老人の体調を遠慮容赦なく苛める悪鬼のようだ。自分自身の立ち位置を客観的に見ると、まごうかた無き高齢者。昔から季節の変わり目は医療機関と葬儀屋の繁忙期といわれているが、本気で注意を払わなければいけないと諭されている気がする。
数日前から鼻水に加えて時々悪寒を覚えている。咽喉も痛い。風邪の症状だろう。2月にかかりつけの病院で処方してもらった風邪薬の残り7回服用分があったので、それを飲んだ。今日からまたも4連休なので、この休みの間には体調も戻ると思う。「またも」と書いたが、今年の黄金週間は10連休にはせずに中2日間は出勤したので4連休が2回あった。そこに今回の4連休があり、この半月ほどの間だけ見ると殆ど働いていないなと我ながら怠け癖がつかないかと不安になっている。
ところで、何気なく使っている「薬を飲む」という表現だが、固形の錠剤でも「飲む」という日本語はおかしいですねと上海駐在当時に中国人から言われたことがある。中国では固形薬剤を服用する場合は「吃」を使う。食べるという意味だ。日本では薬剤といえば煎じ薬が主流だったから「飲む」という言葉が根付き、そのまま固形薬剤にも使われていて、使い分けはしていない。このように、日本語はかなりファジーな面を持っていて、動詞を厳密に使い分ける事をすることが少ない。この弾力的な用い方に、2種類の表意文字である仮名と表音文字の漢字の併用が加わり、世界でも特有の高い知識吸収力の源となっていると私は思う。
それでも日本語は、応用さはあるが曖昧な言葉ではない。英語のように多意多用なtakeを用いることで話し易くするという要素はあまりない。その分、高い表現力が求められ、日本語を難しくしている。それは、世界共通語の位置から見れば日本語を馴染みにくい言葉に組み入れている要素だと言えるのだろうが、悪いこととは私は思わない。なぜならば、そこには格調と美しさが窺われ、日本語を高度な文明の言葉に押し上げてくれていると思うからだ。胸に日の丸を持つものとして、日本製品のクォリティの高さと同様に、日本という国や日本人の文化度の高さを示すものとして日本語を誇りに思いたい。
とはいうものの、およそ文化という言葉から程遠くティッシュペーパーのお世話になりながら、鼻をグシュグシュ言わせて身体を小刻みに震わす様は決して格好の良いものではない。私が只の老人であることを証明している。それを潔く認め、今日ぐらいは部屋にいて、衣替えで仕舞いこんだカシミヤのセーターでも出してきて、温かくしながら本を読んで過ごそうと思っている。