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SUNNY HOLIDAY

~好きなこと,人生の記録を書いています~

宣誓「この1か月間,1日も欠かさずに毎日走る」

 

1月3日から毎晩走っています.だいたい毎晩5~10キロくらい.

かつて月間400キロ以上走っていたときでも,毎日欠かさず走ったことはなかった.

マラソンにまた挑戦できるところまでもっていくために『この1か月間,1日も欠かさずに毎日走る』ことを約束します.

 

3年間のブランクで脚力も心肺機能も落ちている.

練習は背伸びせずに,ジョグメインで.

決められた距離を一度も歩くことなく走りきることに重点を置く.

“走ること”自体がいろんなトレーニングになる.脚力強化に繋がるのはもちろん,精神面の鍛錬にもなるし,気分転換,体重増加の防止にもなる.

ランを始めたころのような“泥臭い練習”が今のオイラには必要だと思う.

 

かつてキロ5分半だったジョグペースは,今ではキロ6分ちょっと.

どんなに寒くても半袖半ズボンで走れていたあの頃.今では長袖パーカーを羽織らないと寒くて走れない.ペースが遅いため身体が温まらないんだな・・・.

 

まずはハーフで2時間を切れるところまでもっていく.

何もしないで願望だけが叶うことはないからな.

 

また明日も走ります.

 

 

 

 

亀岡ハーフマラソンを走ってきました.

前回のハーフは,2020年1月の大阪ハーフのときだ.

もうあれから5年も経つんだな.

 

亀岡ハーフは今回で2回目.

1回目は2018年のとき.そっか・・・もう6年も経つんだ.

 

 

当たり前のように月400キロ,500キロ走っていたあの頃.

今では月50キロもいかない.

明らかな練習不足であるし,脚力も心肺機能も落ちている.

「はたしてハーフを制限時間内に走れるのか??」という不安が消えず,エントリー締め切りのぎりぎりまで悩んだすえ,オイラは走ることにした.

 

「かつて出場した大会に戻ってくる」ということは,復活の兆しであるし,今後のモチベーションにもなるし,オイラにとっては,出走することに意味があった.

 

 

1時間42分で走れた6年前の亀岡ハーフ.

今回は2時間17分ほどかかりました(汗)

14キロあたりから,着地のたびに,右膝が痛みだし,気にしながら走っていたら左足首も痛くなってきて,16キロ過ぎから歩いたり走ったりを繰り返していました.

足が痛くてペースが上げられない,超スローペースだから心肺は楽,もったいない・・・と思いながらラスト6キロはキロ8~9をうろうろしながらそのままゴール(苦笑)

 

でも,これが今の実力.

現状がわかったし,あとは,復習とトレーニングをするだけ.

ランから遠ざかっていた3年間のあいだに落ちた脚力を再度鍛えなおそうと思う.

 

オイラの理想のイメージは,ハーフを1時間45分ほどで走れていたときのあの感覚.

「脚より心肺のほうがキツイ」

「脚が痛くなりだす前にゴールできそう」

この2つ.これがいい感じにハマると好タイムがでていた.

 

 

ランを始めて以来,こんな遅いタイムになったことはなかった.

悔しいとかいう感情はなく,たんたんと,「これが今の実力,また頑張っていこう」と受け止めている.ランは楽しいし,亀岡ハーフもまた来年出たいな.

 

近江今津駅に来ました.

涼しくなってきたし,久しぶりに20キロちょっと走ろう.

ここは滋賀県高島市.ちょくちょく車で訪れるけれど,ここらへんの雰囲気好きなんだよな.

 

 

『饗庭』交差点

難読地名クイズによく登場する『饗庭』

『あいば』と読む.

近くに自衛隊の饗庭野演習場があって,オイラが『饗庭』を知ったのは饗庭野演習場がきっかけ.

 

 

近江今津を出発し近江舞子まで走るのだが,なんせ駅間がやたらと長い.

湖西線は高架だし線路もあまり見えない.

走り始めてすぐに飽き飽きムードになってしまった.

あれれ・・・鉄ランってこんなに退屈だったっけ・・・おかしいなぁ・・・.

とりあえず次の駅を目指して黙々と走った.

 

 

新旭駅

 

 

今回のお目当て『旧安曇川郵便局』

いつまで使われていたんだろう.調べてもあまり情報がない.

 

 

安曇川駅

 

 

近江高島駅

茶色の像はガリバーらしい.近江高島となにか関係があるのかな?

 

 

たまたま電車が来た.

 

 

線路沿いに南下すること10分くらいか・・・今回のお目当てその2

『江若鉄道の廃線跡』

 

 

振り返ってみたところ↓

写真ではわかりにくいが,左中央の架線柱が湖西線.

なるほどなぁ.今の湖西線とかつての江若鉄道の位置関係がよく分かる.

 

 

白髭神社

 

琵琶湖がすぐ横に見える.

 

 

北小松駅

 

 

24キロくらい走ったけれど3時間もかかってしまった.

まぁこんなもんか・・・.

 

近江舞子駅

電車の本数があまりないので,北小松に到着してすぐにスマホで近江舞子の時刻表を確認.

ここはなんとか13時53分発の京都行に乗って帰りたいところ.

普通に走れば間に合う距離と時間だったが,ペースが遅くなりすぎないように注意して走った.

 

 

近江舞子始発の電車に乗って帰った.

 

 

さてと・・・.

あとは,近江今津~近江塩津~米原を鉄ランすれば,とうとうランニングで琵琶湖一周したことになる.距離でいえば60キロくらいだろうか.

 

 

久しぶりにハーフマラソン以上の距離を走ったけれど,やはり長いなぁ・・・.

かつては,キロ4分50秒でハーフ走れたこともあったけれど,なんであんなに走れたんだろう・・・.今となっては想像できない.

 

とりあえずはハーフを2時間以内で走れるところまで走力を戻したい.

まだまだ頑張るよ♪

 

 

 場所は,滋賀県蒲生郡日野町鎌掛.

 ここに,2001年に廃校になった小学校が残っている.

 

 

 校舎は,1930年に建てられた木造校舎.

 

 

 

給食室

懐かしー・・・そうそう,小学校の給食,こんな食器だった!

 

赤の食品,黄の食品,緑の食品・・・うわぁ懐かしい涙.

 

 

保健室

懐かしい・・・座高計だ!体重計も!!

 

 

うわ~こういうパソコン懐かしい・・・.

 

 

昔の教科書

明治時代~昭和初期の教科書は,わら半紙のような紙に白黒印刷で文字だけ.

しかし,昭和30年代になると,徐々にカラー印刷のページがでてきて,イラストと文字が混ざったページも見受けられた.

それでも,教科書の内容自体は,私が小学校のときと全く変わらなかった.

小学校で習うことって今も昔もたいして変わらないんだなぁ.

 

 

 

あ~オイラの小学校も,こんなんだったなぁ.

 

先生用のコンパスだ!!そうそう,あったあった!!

 

 

図書室

こんなんあったなぁ笑.

本を借りるとき,この木の板を,借りる本と引き換えに置くんだった笑.

 

 

これは何?タイプライター?

私の知らない時代のものだ.

 

 

鎌掛小学校が廃校になった2001年はオイラもまだ小学生.

オイラが通った小学校は木造ではなく鉄筋で,この校舎と比べればまだ新しかったが,ここを訪れて“懐かしい”と感じるものにたくさん出会えた.

 

今は公立小学校も空調が効いた部屋なんだろうが,オイラが小学生の頃はもちろんエアコンがなく,夏はみんな下敷きやノートでお互い仰ぎながら授業を受けてたなー懐かしい.

 

懐かしい記憶,これからも大事にしていきたい.

 餘部駅に行ってきた.

 

 餘部駅は,兵庫県美方郡香美町香住区にある山陰本線の駅だ.ちなみに,地名としては『余部』だが,駅名は『餘部』である.これは,姫路にある余部(よべ)駅と漢字が重複するのを避けたためである.

 

 

 1986年12月28日,旧余部鉄橋を通過中の列車が,日本海からの強風にあおられ鉄橋下に転落するという事故があった.転落した列車は鉄橋下のカニ工場を直撃,この事故で工場の従業員と乗務員が亡くなっている. 

 

 今では,風速が規制値を超えると,列車の運転を取りやめたり,速度をおとして運転することが一般的になったが,当時は今ほど規制が厳しくなかったり,風速機の精度も高くなかったのかもしれない.

 

 さて,旧余部鉄橋が完成したのは1912年のこと.しかしそのときはまだ餘部駅はなかった.当時,鉄道を利用する際は,住民は鉄橋とトンネルの中を歩いて隣の鎧駅まで行っていたらしい.鉄橋とトンネルの中を歩いて隣の駅までって…そういう時代だったんだなぁ.

 事故後,旧余部鉄橋の橋脚の一部が残されている.

 

 鉄橋に駅を作ろうとなったのは地元住民の強い思いもあったのだと思う.1950年代になり,餘部駅の建設が決まったときは住民は喜び,地元の小学生も建設工事を手伝ったらしい.餘部駅併設の資料館には,当時の建設工事を手伝う小学生が写った写真がたくさん保管されていた.

 

 

 

 当時の線路は現行線に並行する形で当時のまま残されている.

 

 

旧鉄橋の真下から餘部駅を見上げたところ.

 

 

駅からは日本海の景色が広がる.

 

 

 この駅名標はかつて使われていたもの?

 

 

腕木式信号機もあった.

 

 

 余部鉄橋の歴史についてはまだまだ勉強中!