冬の大三角 | アイビーの独り言

アイビーの独り言

加藤りつこのブログ


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   高山植物・梅鉢草とハート



出会いは不思議?

出会いは必然に?
確かな位置に確かな形を作って現れる星座のように…。
きらきら煌めいて闇を照らし航路を導く南十字星のように…。

アイビーの独り言
            石内の四季より


2009年5月17日。
震災14年目から4か月後の月命日に、陶板になった手紙「親愛なる母上様」のコンサートが開催された。
徳島県鳴門市にある大塚国際美術館のご厚意による企画であった。
システィーナホールの最後の審判(ミケランジェロ)の大壁画の前に設置されたステージでマサのコンサートが始まったのは、13:30からだった。
より多くの来館者が自由にコンサートを聴いていただけるようにと、美術館側から5月の日曜日を提案してくださった。
何と不思議な廻り合わせであろうか?
17日が日曜日だったのだ。
5月17日は、タカの命日である1月17日から4ヶ月後の月命日だった。
こうしてコンサートの日程は即決した。


アイビーの独り言
儚くも未来へ冬のたんぽぽ 石内の四季



2008年12月、大阪府大東市で19年の短い人生を閉じた女子大生がいた。
宮部奈々さんという純粋で知的で優しく美しい女性だった。
彼女は9歳の時、医師から脳腫瘍を宣告され、その日から10年間病と闘って亡くなった。
9歳といえばまだまだ幼い女の子。
苦しく辛い開頭手術、放射線治療などの間でも、周りの人たちを悲しませないように、いつも笑顔を絶やさず前向きに生きてきた。
「泣かないで」って。
「大丈夫」って。
奈々さんの優しさが溢れる言葉や笑顔を、ご両親やお友だちは忘れない。


アイビーの独り言
奈々さん18歳天使のように・・・  


奈々さん故に、七のつく日5月17日に小さな旅を計画され、ご両親とご友人5人で、鳴門の渦潮を見に行かれたが、当日は小雨混じりの強風のため、渦潮は見ることができなかった。
仕方なく雨宿りも兼ねて、屋根のある大塚国際美術館へ入られた。
そこでポスターに目が止まり、震災で亡くなった学生が書いた手紙を歌にしたコンサート開催を知られたのだ。
13:30開演の直前に入館されたのも、風雨のため渦潮観光ができなかったからという不思議な廻り合わせからの奇跡の重なりだった。


アイビーの独り言
    徳島県鳴門市 大塚国際美術館

コンサートの間、客席で奈々さんのお母さんは泣き続けておられたという。
会場にいた私の友人が彼女に声をかけ、5ヶ月前にお嬢さんを亡くされたお母さんだということが判った。

コンサートが終わって、その友人が宮部さんのご事情を私に伝えに来てくださった。
驚いた私はお話を聞かせていただくために彼女に会った。

そこには、鳥肌が立つ衝撃的な出会いが待っていた。

宮部さんがコンサートに臨まれるまでの経緯は勿論のことだが、それ以上に驚愕の事実がある。


アイビーの独り言
 想い溢れて 冬のバラ  石内の四季

「奈々ちゃんはいつ亡くなられたのですか?」
「昨年の12月20日です」
「えっ?・・・!! 何故?本当に?!!・・・その日は亡くなった息子の誕生日なんですよ!!」
「・・・えーっ??!!」
「奈々は二人兄妹なんですけど、兄の啓輔の誕生日は1月17日なんですよ!!」

何という廻り合わせであろうか!

タカの誕生日が奈々さんの命日。
タカの命日が兄、啓輔さんの誕生日。
私は返す言葉を失い、流れ落ちる涙も一瞬止まってしまった。
奈々さん兄妹とタカの深いご縁に、私たちは腰が抜けるほどの衝撃を受けた。

こうしていただいた出会いは、出会った時間の長さより深く出会った絆の強さで今私たちはお互いの心を占めている。

生前出会ったこともない奈々さんは私の娘のように・・・
タカは智子さんの息子のように・・・

彼等の出会いは、冬の大三角のように必然に結ばれていたのか?

出会いは星座のように、確かな位置で美しく輝き合う。


アイビーの独り言
  冬の大三角   石内の四季より


素敵な出会いをいただく度、若くして亡くなった人たちに、もっと多くの出会いを経験させてあげたかった。と嘆いていた私に彼らは伝えたかったのだろうか?
『私たちはもっと多くの素晴らしい出会いをいただいています。だから悲しまないでください』と。