
平和宣言を読み上げる生徒。向かって左から盈進高校生徒会長、沖縄尚学高校生徒会長、大阪偕星高校生徒会長、盈進高校ヒューマンライツ部部長
自分の育ったふるさとを愛し、その歴史を学び、伝える。他者のふるさとも同じように愛し、その歴史や文化を互いに尊敬しあう。そして、「共に生きる」。
それが、いつかきっと、世界の平和につながると私たちは信じます。「ふるさと」。それは、私たちの平和の原点です。
ここに集う私たちのふるさとは、核兵器(原爆)、沖縄戦、空襲によって多くの命が奪われた歴史があります。

沖縄尚学高校では琉球空手が必須科目として伝承されている。攻撃のために使うのではなく護身のための空手道精神が沖縄の人々のやさしさにつながっているような気がする。
「軍医が、麻酔が効いていない兵隊さんにメスを入れた。叫ぶ兵隊に、軍医は『貴様、それでも軍人か!』 と怒鳴った。砲弾の中を逃げながら、切断された兵隊の手足を外へ捨てに行った・・・・・解散命令が出た。 北部はアメリカ軍で埋め尽くされ、南へ南へ逃げたが、もう限界。手榴弾で死ぬ覚悟を決めた」。 白梅学徒として、沖縄戦を生き抜いた中山きくさんの証言です。
考えなければいけません。私たちと同じ少年少女が、なぜ砲弾の中を走らなければならなかったのか。友の死を目の当たりにしなければならなかったのか。家族を失わなければならなかったのか。そして、死ななければならなかったのか。
国土面積 0.6%の沖縄に、在日米軍約 74%が配備されています。私たちが大好きな沖縄は、いまも、私たちの平和な生活の犠牲ではないでしょうか。


大阪偕星高校ダンス部による創作ダンス
昨年 5月27日。広島、日本、いや世界にとって歴史的な日となりました。 現役米国大統領オバマ氏の広島訪問。広島は揺れました。
「謝罪はいらない」 「謝罪は当然」 などです。 そして、いままさに、国連で 「核兵器禁止条約」 締結の交渉が開始されました。 大きな歴史の節目に、私たちは、いま、こうして集いました。
戦争にはもちろん加害、被害の両面があります。 ただ、行きつく先は同じです。多くの犠牲と死を伴うということことです。 私たちは訴えます。
「悪い平和はない。 正しい戦争はない」 と。
非人道の極み。 それが核兵器です。 核兵器廃絶は、人類の悲願なのです。


盈進高校ダンス部による創作ダンス
71年前の大阪。大空襲で約1万5千人が亡くなりました。 福山も同じように空襲で尊い命が奪われました。 失った命の重みはヒロシマ、ナガサキ、オキナワと何ら変わりません。
いまなお、核戦力強化を主張する核保有国。 私たちは、「核廃絶はできない」 という世間の厳しい意見にもさらされます。 しかし、「自分と同じ思いをさせてはならない」 という、敵対と復讐を超えた素朴で崇高な被爆者や戦争体験者の言葉が、いつも私たちを奮い立たせます。


沖縄尚学高校地域研究部によるインド舞踊
2011年3月11日午後2時46分。 東日本大震災発生。 ふるさと、家族、仲間・・・・・日常が根こそぎ破壊されました。 福島の原発事故。 71年前の 「放射能被害」 は、再び繰り返されました。
あれから6年。悲しみは現在進行形です。 福島からの避難者に対するいじめ事件に胸が締め付けられます。 福島の悲しみもまた、私たちの平和な生活の犠牲ではないでしょうか。
阪神淡路大震災から、22年。 私たちが自ら、他者の悲しみを知ろうとすれば、戦争、紛争、天災、人災によって悲しむ人々に寄り添い、「共に生きる」 社会になるはずです。



沖縄尚学によるカマドさん体操
「人類は生きねばならぬ」 「Humankind must live. Small is beautiful.」。 広島で被爆し、生涯で約500回、核実験に抗議し、原爆慰霊碑の前で座り込みを続けてきた故・森瀧市郎先生の信念です。
「ぬちどぅ宝」 という沖縄の魂と重なります。
年齢、性別、民族、国境を越え、連帯すること。 私たち中高生の活動は微力だけど、いつか、きっと、大きな力になると信じ、行動し続けます。
「No more Hiroshima, Nagasaki, Osaka, Fukuyama, Fukushima.」
2017年3月29日
盈進中学高等学校 沖縄尚学高等学校 大阪偕星高等学校
「2017年 第4回 中高生平和サミット in Hiroshima」 実行委員会
