わたしのカウンセリングを受けてくださったかたから先ほどご質問をいただきましたので、お答えさせていただきます。
【質問】
私はすごく小心者で心配性で
「あれ、今言ったことって失言かな...」
と思うことがしばしばあります。
嫌な気分にさせてしまったかもしれない。
傷つけてしまったかもしれない。
そう思うと、自己嫌悪に陥り、
なんて自分は思いやりのない人間なんだと
責めてしまいます。
心理学的に「失言してもいい!」と思うことで
少しでも変わっていけるのか。
それとも、もう失言してしまう自分は変えられないと諦めるしかないのか。
諦めるのはすごく嫌だな、
変わりたいのになと思ってしまいます。
このことが頭の中でぐるぐるしています。( ; ; )
まとまりのない文ですみません。
【ご回答】
カウンセリングの手法で文中にあるように、今までタブー視していたことを許可する言葉を言っていただくというものがあります。
失言など無礼千万!絶対にすべきではない!!
と定義付けていたところを
「失言してもいい!」を許容し、
イメージを書き換えるわけですね。
で、その「失言してもいい!」。
この言葉の中に含まれている
別の意味もあるんですよね。
例えば失言してしまったことによる
○冷えきった空気感
○相手から嫌われること
○またやってしまったという自分への罪悪感
など、
失言から引き起こされる一切合切を受け入れることも含めての、「失言してもいい!」なんです。
「失言してもいい!」と思うことで少しでも変わっていけるのか。
そう書かれていますが、それって心の底から失言したくないと思っていらっしゃる表れですよね。
「(失言による後遺症ごと受け入れて)失言してもいい!」
というのと
「失言してもいい!(ただしこの言葉を唱えることによって劇的に対人面の変化がありますように)」
というのでは大きく異なります。
結局ね、損したくないんです。
で、本当は失言とかどうでもよくて
「小心者で心配性」で人目をオドオド気にしてしまうわたしが嫌なんですよね。
文中には「嫌な気分にさせてしまったかもしれない。傷つけてしまったかもしれない。」こう思うと自分を責めてしまうと書かれています。
ノンノンノン。
人を傷つけることを恐れているようで、要は自分が傷つくことが一番怖いんです。
これでもくらえ~( ´ ▽ ` )ノ
失言したかもといちいち気にしてへこんでるのを見るのは、S属性にとってはうざ可愛いですよね。ごちそうです。
あ、こちらもどうぞ。
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