備忘録 -5ページ目

土幕民から在日コリアンへ

前スレ http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=110088

では、ノスタルジーをそそる穴居民、貧困に喘ぐ善良な庶民

…というイメージとは程遠い土幕民の悪質さが露わになりました。

続けて、酒井利男,1929,「土幕から見た朝鮮_人住宅問題」『社会事業研究』第17巻第12号

から、土幕民の「モンスターネイバー」ぶりを紹介していきます。


 更にこれを本市について見るに、元雞小屋であった生野区国分町所在のバラックは その所有者が何れも3円乃至8・9九円の家賃で鮮_人労働者に賃借しているが、その内 家賃を完納したものは殆どなく 大部分は滞納に滞納を重ねている状態であり、また鶴橋署の調査によるも鶴橋木野町における鮮_人居住の借家20戸中 家賃を完納したものは 僅かに2戸だけで、他は悉く二ヵ月乃至1年間の滞納者である。
 これらの例が示す如く、彼等朝鮮_人借家人は朝鮮にあっても内地にあっても 殆ど例外なく家賃につい
ては無頓着である。単に家賃について無頓着なばかりでなく、借家に入ったが最後 大勢の仲間を呼び入れて酒は飲む喧嘩口論はやる、南京虫は湧かす、畳はやぶる、戸障子は持ち出す、油断をすれば床板を外して薪代わりに使用するといった風な まったく手のつけられない不心得者が少なくない。

 そこで鮮_人の借家申込といえば、どの家主も 怖気を振って警戒するというのが本市の実情で、鮮_人の借家受難の真原因も亦そこにあるが、次に揚げる大阪毎日の記事を一読することによって 更にそのことが確信づけられるであろう。

 借家受難の朝鮮_人借家明渡問題で取り調べ中綱島署で 端なくも朝鮮_人なるがゆえに貸さないという事を逆用して八人の家主から数百円の立ち退き料を取り それを生活費にして次から次へと転宅してゆく朝鮮_人のあることが判った―――朝鮮全羅南道生れ 当時大阪市北区南同心町一丁目29 青木幸一 事 金学(25)同 杉本松太郎 事 林基成(35)の両名は 失業で困っている内地人 大阪氏帰宅澤上江町十丁目4 岡崎竹次郎(46)及び大阪市東成区中浜町222 横井定治(37)を手先に使い 紳士風を装わせ「友人の某会社員が借りるのだ」と詐り契約させて住み込んだが、家主が行ってみると 内地人に貸したはずの家に朝鮮_人が17人もゴロゴロしているという始末に驚いて「出てくれ」というと「立ち退き料を出せ」と頑張り 結局家主は早く出て貰いたいから泣き寝入りとなって立ち退き料を出す それをいいことにして、本年二月ごろから住吉区東天下茶屋岩橋 北区東野田町二丁目竹村、同中野町三丁目中島、同与力町田節、東成区国分町島田 同小橋町大鋸等の家主から立ち退き料をせしめたのであるが、岡崎、横井の両名は3円乃至10円の手数料を貰っていたもので 同署ではまだ他にも被害がある見込みで取り調べ中である。


迷惑行為によって自分たちの悪評が広まると、それを逆手にとって詐欺の道具に使う。
まったくプライドの欠片もない不道徳者たちです。

前スレでsibural7氏に教えてもらったのですが、朝鮮_人による上記のような詐欺行為は、決して珍しくなかったことが金素雲の自叙伝にも記されています。


日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいというのが、その当時、同胞の間では常識化していた風習だった。「お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!」――こちらにはこんな腹があったが、引っかけられた日本人の側では恨み骨髄にならざるを得なかった。家賃をもらうどころか5,6ヵ月分の家賃に当たる金を<立退料>という名目で払わなければならなかった。こんなとき、その仲介の役割を果たすのが、いうなれば叔父の職分だった。(同胞が集団居住する町には、こんなブローカーが必ず何人かいた)
1,2年ただで住んでは<立退料>をせしめて家を空けてやることもあったが、時には引っ越した次の日に大家から立退料を取ってまた引っ越していく、そんな場合もあった。その立退料の半分ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの懐に入ってくる。もちろんこれは4,50年前の昔話ではあるが、こんなやり口がその後長い間い年月を通じて、大多数の日本人の生活感情の底に<チョーセン○ン>を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも事実である。


このように元来性質が悪い朝鮮土幕民ですが、内地(日本列島本土)に渡ると更に

粗暴化する傾向があったようです。


 ところが土幕生活者の多くは各地からの寄合世帯で その土地に馴染みのないものばかりであるから、お互いの間に情誼もないし隣り付き合いもない。少しの油断を見ましては お互いにコソ泥をやる。野合密会が行われる、朝鮮_人一流の甲高い声で喧嘩口論が繰り返される、8・9円内外で土幕の売買が行われ 移動も かなりはげしいという有様であるが、彼等の気質は総じて温順で 内地の各所で見るように徒党を組んだり、血を見ねば おさまらないような粗暴なものは少ない。
 内地 殊に本市付近における鮮_人労働者の殆ど総べては感情に激しやすく、少しの言葉の行き違いや感
情のもつれに対しても 直ぐさま竹槍隊や棍棒隊を組織する、賭博や酒や女を原因として物凄い血の雨降らすことは新聞紙が毎日報道しているというわけで、兎に角 鮮_人労働者は物騒がられている。従って在阪鮮_人労働者の失業も大分この物騒さに祟られていると見ることが出来るが、それにしても朝鮮では

あんなに柔順な労働者が 内地に来ると まるで別人のように粗暴な振舞をするのは 在鮮識者の言葉を俟つまでもなく全く不思議である。


日本人の感覚で言うと、海外では自民族の評判を落とさないように心掛けるものですが、土幕民は…いや、朝鮮_人は逆であるようです。


 これは察するに出稼ぎ人の通用性である心のすさびと僻み根性が 彼等を かつて不知不識の間に粗暴残忍性を助長せしめたのであろうが、その一半の責任は内地人労働者もまた免れることは出来まい。


優しい筆者は このようにフォローしてあげてますが、内地人労働者は毎日流血沙汰を起こしていたのでしょうか?





備忘録-土幕民の悪質さ



 序に衛生方面についていうと 野糞野小便金銀蠅の横行、饐えた残飯、芋の子を洗うような穴居生活、なに一つとして私共をおどろかさないものはないが、それでいて他部落に比し格別に病人が多いわけでもない。これは このあたり一帯が斜面をなした高燥な土地柄である関係によるのであろう。尤も土幕生活者は大概病気になっても医者にかかるようなことがないから、伝染病なども場合によっては闇から闇に葬られることもあろう。
 然らば本市における鮮_人部落の衛生状態如何というに、船町あたりの部落になると全てに於いて殆ど
京城付近の土幕部落と同様であるから 衛生状態の如きも大差はないが、鶴橋大今里などの朝鮮_人町になると、全く日光のはいらない、小さな家に十数人の男女がウヨウヨと雑居し、一度雨が降れば下水が床下に流れ込んで 下駄もバケツも浮かび上がるというような有様で 前者よりも却ってひどい。従って一度伝染病がこの密住地区を襲ったが最後 ほとんど一たまりもなく全滅しなければならない危険に曝されているわけで、全く寒心に堪えないばかりでなく 火薬を抱いて炉辺にねむるの不安さがある。


穴居・不潔・粗暴・不道徳まるで絵に描いたような野蛮人ぶりです。


こうして半島から流入してきた土幕民は、日本各地で勝手に土幕を広げて

「怖い・臭い・汚い」

で知られる朝鮮_人部落をつくり、日本各地に侵食させ、現在の在日コリアンとなったのでした。


在日も含めた韓国人は よく「自分たちは日帝に強制連行された」などと訴えたりしますが、日帝に こん無頼の厄介者どもを無理やり連れてくる必要性は全く無い…というか、どう見ても「頼み込まれたって受け入れたくない存在」でしかありませんが?


http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=8&nid=110130&start_range=109972&end_range=110279

土幕民 海を渡る


備忘録-土幕から見た朝鮮人住宅問題


これまでは朝鮮半島内での土幕民について紹介してきました。

ここで想像してみてください。

こんな無法貧民が日本本土に渡ってきたら…


考えただけで恐ろしいことですが、事実渡って来ています


昭和初期の大阪の状況について、

酒井利男,1929,「土幕から見た朝鮮_人住宅問題」『社会事業研究』第17巻第12号

からの引用で示していきます。


 近時本市外における鮮_人の増加は特に際立って目につく。それもそのはず、大正元年において男246、女248人しかいなかった鮮_人が、現在では男33,775、女11,358 計45,133人、即ち わずか2、30年間において約182倍の増加を示しているのだから全く素晴らしい。
 かように年々激増しつつある鮮_人移住者の群は、本市に於けるどん底社会を色彩づけるに甚だ有力ではあるばかりではなく、近来しきりに増加しつつある夫婦連出稼ぎ者渡来に依って本市における鮮_人住宅問題を強調している。
 今本市における鮮_人戸数について見るに その総数は4,749戸に上っているが、内144戸は亜鉛板、板片及び丸太などを使用して鮮_人自身又は土木請負業者が工事の都合上一時的に建設した、家とは名ばかりの掘立小屋式のバラックである。而も このお粗末な少ない住宅に上記45,133人からの鮮_人が住み込んでいるのであるから一戸当たりの居住者数は約9人強となり、そこに繰り返される幾多の不道徳や非衛生な生活は、けだし想像に難くないところである。


日本本土に来ても、朝鮮_人は土幕民でした。

なぜ彼等は、日本に来てまで土幕に住んだのでしょう?

答えは、日本人家主が部屋を貸してくれないからです。


「本市における普通家主又は貸家経営者は一様に鮮_人借家人の これまでの遣り口には懲り懲りしているはずであるから、好き好んで鮮_人に家を貸したり鮮_人向け借家を経営するものはあるまい」


<#`Д´> <朝鮮_人差別ですね!


そう言いたい気持ちも分かりますが、ちょっと待ってください。

これも、君たち朝鮮_人のせいなのです。

「実際鮮_人借家人が総じて家賃に無関心なことは真に 驚くべきことで事実で、京城府においては内地人のためには相当借家を経営する人もあるにも拘わらず、特に鮮_人向けの家屋を建てて収入を挙げようとするもののないのは 鮮_人借家人が申し合わせたように家賃を支払わず、これまでの家主は一様に 皆手古摺らされた苦い経験を持っているからのことで、かの鮮_人住宅問題の如きも謂わば彼等自らの蒔いた種子の芽生とも見ることが出来る。」


朝鮮_人は家賃を踏み倒すから貸さない。

家賃未払い以外にも、借家人としての常識が大きく欠如していたようです。


「単に家賃について無頓着なばかりでなく、借家に入ったが最後 大勢の仲間を呼び入れて酒は飲む喧嘩口論はやる、南京虫は湧かす、畳はやぶる、戸障子は持ち出す、油断をすれば床板を外して薪代わりに使用するといった風な まったく手のつけられない不心得者が少なくない。そこで鮮_人の借家申込といえば、どの家主も 怖気を振って警戒するというのが本市の実情」


ここまで信用を失っている訳ですから、日本人のせいにするのはお門違いですね。


正当な住居を借りられないから、不法占拠の住宅に住む。

この選択肢も、文明人には理解し難い所です。

「一体朝鮮というところは妙な風習をもつ国柄で、昔より他人の所有地 殊に市街地近郊における空地に、所有者に無断で住宅を建てても一般に黙認する風習があったようだ。否、ある時代には官有地公有地にして不毛の土地には寧ろ住宅を建てることを奨励したこともあったとさえ云われている位であるから、この長年の習慣が鮮_人の頭から土地自他有の区別を奪い去ったこと勿論で、彼等は今日においても なお空地さえあれば所有者には一切お構いなしにドシドシ家を建てて行く。而も その家たるや謂うところの土幕であるから、築造費も安く誰にでも容易に建てられるし その上彼らの生活には ぴったりと当てはまっているから高速度に増加する。これを内地 特に本市の実情について見るに、鮮_人来住者が私有地或いは民有地を無断無料で使用し 而も平然と そこに居住する訳が頷かれる。」


家を貸しても貸さなくても、結局は迷惑行為に至る訳です。なんと厄介な連中でしょう。


僅かな家賃すら支払い得ないもののあること、家賃地代の支払い能力あるも 習慣的に支払いを延滞するものが極めて多く 従って住宅の貸し手が無いこと 及び土幕生活は何かにつけて利益であり安易である言うようなことが、土幕増加 言い換えれば土幕生活者の発生原因の主たるものと見ることができる。


朝鮮_人が土幕民になるのは自業自得の一面があるのです。

つまり、朝鮮_人は なるべくして土幕民になる。


土幕民は 豊な場所の周辺を狙って寄生する。


規制した土幕民はどんどん増殖し、宿主の栄養を吸い取る。


まったく厄介な存在でした。


http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=110088

約束を守った韓国政府

これは珍しいw。日本との約束を守った韓国政府。

日本による徴用被害者に国家が慰労金を支給


日本の帝国主義による植民支配時代(1910~45年)の太平洋戦争当時、強制的に動員された被害者らに対し、国家が慰労金を支給するという決定が下された。慰労金の支給は31年ぶりとなる。

国務総理室の傘下にある「太平洋戦争前後に国外へ強制動員された犠牲者への支援委員会」は30日全体会議を開き、計834件、約49億3000万ウォン(約3億9千万円)にのぼる慰労金の支給を決めた。

太平洋戦争の当時、労役などに強制動員された韓国人に対する政府の慰労・補償は朴正煕(パク・チョ~ンヒ)政権時代の1975~77年以来、初めて。

今回の決定で、強制動員被害者のうち死者225人の遺族に2000万ウォンずつの慰労金が支給されることになる。511人の生存者には毎年80万ウォンの医療支援金が与えられる。7人の生存者や遺族には負傷障害への支援金として300万~2000万ウォンが支援され、91人に対しては1円=2000ウォンの換算で、強制労役当時に受領できなかった賃金などが支給される。

今年策定された支援金の予算は約2400億ウォンだ。委員会は2010年6月まで市、郡、区など基礎自治体を通じて被害者を受け付ける。



この韓国の記事では、重要な部分を隠蔽し、事の本質部分を誤魔化そうとしていますがw。

こちらの日本側の共同通信の報道では・・・


強制連行被害者遺族に慰労金 韓国、初の支給決定


【ソウル30日共同】韓国の首相傘下機関「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者支援委員会」は30日、日本の植民地支配下で軍人や労働者として強制連行され死亡した225人の遺族に対し、初めて死者1人当たり2000万ウォン(約159万円)の慰労金を支払うことを決めた。聯合ニュースが伝えた。

 盧武鉉前政権下で公開された1965年の日韓国交正常化交渉に関する外交文書で、連行された韓国民への補償義務を韓国政府が負うと確認していたことが判明し、昨年11月に支援法が成立。これに基づく申請を受けた初の支給決定。生存者511人にも年間約80万ウォンの医療支援金が支給される。

 韓国は74年にも約8500人に金銭を支給したことがあるが、あまりに低額だとの評価が多く、同ニュースは被害に見合う金額の実現は今回が初めてだと伝えている。

http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008103001000968.html


赤字部分が重要ですねw。

なぜ、韓国政府が、慰労金を支給せざるをえなかったの理由も、分かります。


日本との約束を40年以上経ってから、はたした韓国政府。

可哀想な遺族らw。

40年間、日韓基本条約の真実を隠蔽する事によって、愚かな国民を騙し、日本に対して慰労金を要求していましたよねw。この部分では、日本側も被害者だなw。


http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=3&nid=112149&start_range=111884&end_range=112169

「創氏改名」を どれくらい知っていますか?

世間でまかり通っている創氏改名の通説・・・

「日本が朝鮮植民地支配の際に、皇民化政策の一環として朝鮮インから固有の姓を奪い、

日本式の名前に強制的に変えさせた。

これを拒否しようとしたものは非国民とされ、

様々な嫌がらせを受け、結局は日本名に変えた

日本では、なぜかこのような認識が真実かのようにいつのまにか浸透している。韓国ではどうですか?

ところで実際はどうであったのか



まじめに読み、感想をいただける嬉しいです。


実際の創氏改名とは。


第二次大戦、戦時中の朝鮮関係の本や資料には


1940年の創氏改名後であるにもかかわらず、日本式の名前ではなく明らかに名前を変えていない朝鮮インが少なからず見つかる。

この人達は強制的に日本名を付けられようとされても本名を通してきた人なのだろうか、

きっと日本帝国主義の創氏改名政策に最後まで抵抗した人なのだろうか、と現在の日本では多くの人がそう思うかもしれない。こんな人はおそらく今の韓国では特殊例外の民族的英雄として見られるのかもしれないと。韓国ではどのように考えられていますか?

日本名に改名しなかった人を祖父や祖母に持つ子孫は、そのことをとても誇らしく受け止め先祖を尊敬しているのですか?

日本名に改名しなかった人々は、決してごく少数の例外ではなく、わりとよくあるケースであった。

(文献での例)

◆『朝鮮侵略と強制連行』(解放出版社 1992)

[福岡県の炭坑で死亡した2名の朝鮮インの名前。]

1943年付けの死体検案書二通の写真が掲載されている。

名前は「金川成振」・「閔福仁」。後者は朝鮮名そのものである。


◆『韓国巨文島にっぽん村』(中公新書 1994)

[1942年以降戦死した巨文島出身の朝鮮イン6名の名前。]


李権熙・金村実智夫・草川明輝・二木鐘南・二木長福・金村尚眩

この6名うちの1名、李権熙は明らかに朝鮮名である。


◆『近代庶民生活誌 (4)流言』(三一書房 1985)

[憲兵司令部資料の中で記載されている「流言飛語を行なった」として検挙されたりした朝鮮インの名前。]

全49名。 (他に日本人か朝鮮インか不明の名前が5名あり)

その49名のうち、以下の9名は本名(=法律上の名前)を日本式の名前に変えていない。

南圭一・趙明鐘・河奉根・林鳳爍・李基世・張仁洙・金達順・朴鄭与・川口龍夫コト呂永根

(最後の「川口龍夫コト呂永根」とは、本名は朝鮮名のままであり、通名を日本名にしているケース)


なお、これ以外に、鄭和欽コト日高輝男・金漢寿コト金光秀雄との2名の記載があり、

この2名は、本名は日本名だが通名を朝鮮名で名乗っているケースである。

(これら以外に記載されている名前はすべて日本式の名前である。)


◆『慶州ナザレ園』(上坂冬子著 中公文庫 1984)

著者は、著書の中で、昭和一五年(皇紀2600年・西暦1940年)の小学4年生時代の思い出として、

クラスメートのなかに朝鮮イン2名がいて、そのうちの1名は中山静子と日本式の名前であったがもう一人は崔順礼という名前を変えなかったと書いている。



さまざまな資料に目を通してみれば

当時の朝鮮インが朝鮮名を本名としていた例はわりとすぐに見つかるのである。つまり、創氏改名後においても朝鮮名を通した朝鮮インは多いとは言えないが、ごく少数の特殊例外とも決して言えるものでもなく、


そしてこの歴史的事実は創氏改名が


「朝鮮インの先祖伝来の固有の姓を奪い、日本式の名前に強制的に変えさせた」という通説に対し、

大きな疑問を抱くに十分な点なのである。


なぜ、朝鮮式の名前を本名として維持している朝鮮インが少なからず存在していたのか?


そもそも創氏改名とはいったい何か?


創氏改名令の内容

 1939年(昭和14年)11月10日朝鮮総督府制令第19号で、朝鮮民事令11条の第三次改正が発布され、翌年2月に施行された内容。

(1) 氏に関する規定

(2) 裁判上の離婚

(3) 婿養子縁組みの無効・取り消し

(4) 異姓養子を認める



ちなみに俗に言われる創氏改名とはこのうちの(1)のことである。それはすべての朝鮮インに日本式の「氏」を創らせるというものであるが、これには韓国(朝鮮)での姓に関してもう少し詳しく説明する必要がある。


韓国(朝鮮)の姓は、周知のように結婚しようが何しようが変わることがない、というのが古来の慣習である。

それは朝鮮の「姓」が、父系の血縁関係を示すものであり「姓」が異なるということはその関係がないことを意味し、

「姓」を変えるということはそれを否定することを意味している。

だから朝鮮インの家庭では、

結婚した女性は嫁ぎ先とは血縁がないため、また、自分の出自の父系一族とのそれを否定できないから「姓」を変えることをしない。

従って例えば金さんという家があったとすれば、祖母は朴さん、母は李さん、兄嫁は鄭さん、妻は張さん、長男の嫁は呉さん、次男の嫁は崔さん‥‥というような具合に名前が異なってくる。

そこで大日本帝国は、一つの家の中で法律上の名前の違う人が存在するというのを、日本風に家族名として「氏」を持ちなさい、そしてその「氏」はその家で決めて届け出よ、というのが創氏改名令の趣旨である。


<二種類の創氏>

設定創氏法定創氏

届け出るということは、例えばある金さんの家では「金川」と創氏を届け出て、家族全員が「金川氏」となった。この場合を「設定創氏」と言う。氏の下の「名」の変更は任意だったようで、多くの場合は改名していない。

著作家の金賛汀(キム・チャンジョン)さんの創氏改名後の名前は金川 賛汀(かねかわ・さんてい)さんである。

ところが届け出なかった人たちがいる。

『朝鮮を知る辞典』(平凡社 1986)によれば、


届け出たのは322万戸(約80%)とあるので、創氏を届け出なかったのは全朝鮮インの約20%ということになる。


しかし創氏は法律で定められていることなので、すべての朝鮮インは創氏をせねばならない。届け出のなかった場合は、その家の戸主の姓が例えば金さんなら、その家族全員を「金」と創氏させたのである。これを「法定創氏」と言うが、これによって金さんの家では嫁に来た女性もすべて「金氏」になったということになる。


つまり1940年の創氏改名令の施行時に創氏を届け出なかった人は、戸主の先祖伝来の男系の金とか李など)権力によって法律上で強制的に「」とさせられた、ということである。


また先に例示した文献における6人中の1人49人中の9人が朝鮮名であったという割合は、創氏を届け出なかった約20%という割合に近似しており、朝鮮名を維持した者は創氏を届け出なかった者であるということの裏付けとなる。


創氏改名は

日本名を強制するものではなかった

「創氏」は、家族名としての「氏」を新たに設けることであり、先祖伝来の「姓」には変更はなかった。


朝鮮戸籍には「氏」が書き加えられたのみであり、 「姓」は抹消されずに本貫欄に残った

そして本貫欄は日本戸籍にはなく、朝鮮戸籍独特の物である。

創氏改名後はこの欄に本貫とともに「姓」が記載されることになったのである。日本が朝鮮の「姓」を抹殺したという説は明らかに誤りである。

これで創氏改名後の、あの戦時中でも朝鮮インの少なからずが朝鮮名を維持していたことを理解することが出来るだろう。そして20%という数字は全体では少数ではあるかもしれないが、この20%という数字は、「法律上の本名も朝鮮名のままである朝鮮イン」を容易に見つけることが出来る数でもあることに着目するべきでもある。





日本名

創氏改名を届け出て「日本式」の名前になったと言うが、なぜ彼らは「日本名」にしたのか。

朝鮮インの名前のままでは朝鮮インであることが丸分かりだと考える人が多かったからである。

大日本帝国時代、

多くの朝鮮インは、日帝統治を満足に受け入れていたわけでもないながら日本国民であることを良いことに中国人を堂々と見下してもいた。

実質日本統治だった満州や、中国各地で朝鮮インは「日本人」として我が物顔で振舞った。

そして伝統的に朝鮮を見下す中国人から見下されない為に日本名を名乗り朝鮮インであることを隠す朝鮮インも多くいた。


時には「日本人」になりすまし横暴も働いた。それにより現地の中国人からの朝鮮インに対する感情は良いものでもなかったのだ。

当時の、弱肉強食が当然の世界で、「日本人」であることは国際舞台の中で有利に働くことが多いことを当時の朝鮮インは理解していた。


その上で、日本内地(現在の日本国内)の朝鮮インは日本人からの差別を免れようともした。

また、純粋に大日本帝国国民としての意識を純粋に持とうとした者もいたであろう。

当時の朝鮮では、朝鮮インとしてのアイデンティティを保とうとする気持ちを持つ者が少なくなかったとしても、現在の韓国が言うような独立の気運は統治期間全体として決して高くなく、常に独立を叫ぶ者はたいてい土地を奪われた者や貧困層の、そしてその原因を日本統治によるものだと考える者たちであった。


ところで現在の韓国が言う「土地を奪われた」のというのは、法に則ってのものだった。だからこそ、その資本主義の法整備の中で富を築いた朝鮮インもいたことも事実でありそれを見落としてはいけない。サムスンの創始者が日帝時代にどのような経緯で財を成したかを知ればいいだろう。


また、創氏改名を体験した在日一世のお年寄りたちから話を聞いても、実際には創氏改名に関してほとんど気にかけておられず、ましてや屈辱とは全く感じておられない方々も多いのである。

創氏改名が「朝鮮インの固有の姓を奪い、日本名を強制した」というのは、根拠のない俗説であることは明らかである。


<創氏改名令の真の意図>


それでは創氏改名令を発した日本の意図はいったい何だったか。

それは前述の1939年朝鮮民事令改正の内容のうち、(4)の異姓養子を認めるということに典型的に表れる。


古来、朝鮮では父母や祖先に対する祭祀(チェサ)というもっとも重要な儀式は、直系男子しか行ないえない。もし妻に子供ができない、あるいは男子が生まれなかったとしたら、同族の中の他家の二・三男坊を貰いうけることはあるが、それはあくまで男系の血の繋がりのある者に限られる。


血の繋がりのない者を養子にすることは、赤の他人が祭祀(チェサ)をするのと同じことで、朝鮮ではおよそ考えもつかないことなのである。

ところが日本は、自らの(日本の)養子制度をその朝鮮においても施行した。

これは男系の血の繋がりを重視する朝鮮の家族制度を否定し、

血の繋がりつながりよりも「家」の存続を重視する日本の家族制度を導入しようというものであった。


これが分かってくると、血の繋がりを示す不変の「姓」ではなく自分の所属する家を示す「氏」を創れとする創氏改名も同じ意図からの政策であることが容易に理解できるだろう。


「朝鮮の家族制度を否定し、日本の家族制度を導入する。」これが1939年の創氏改名を含む民事令改正の日本の意図であった。そしてそれは当然、朝鮮の民族性を否定しようとするものであったかもしれない。かし日本は皇民化政策のなかで朝鮮においても日本の家族制度を行ったのであり、名前によって民族性の否定を考えたのではないということなのである。日本式の名前への改名が強制ではないという日本側の主張も、これにより幾らかは理解できるのではないかと思う


1940年の創氏改名の施行後わずか5年で朝鮮は「解放」を迎えた。

韓国では1946年10月の朝鮮姓名復旧令によって戸籍に掲載された創氏改名を遡って無効とし、

また1949年の大法院(日本における最高裁判所)で、婿養子は「公序良俗に反するので、成立当初から無効」と判決された。

これは、朝鮮民族とって日本の家族制度は「公序良俗に反する」ということであり、これを押し付けようとした日本は何と愚かであったか、と言うことである。

これに対してこちらの韓国人は「韓国における一般常識としての創氏改名」と比較してどう感じ、どう考えますか?

もしも今までの認識と全くもって異なるという人、もしくは知らなかったという人からのこれに対する感想を聞きたいと思います。

私の言いたいことは、創氏改名は強制だったが「日本式の名前を名乗ること」は強制ではなく日本式の名前への改名当時の韓国人の自主的な行動だったと言うことです。

もちろんそこには様々な面で「日本人」として生きたほうが有利という時代背景はあったものの、日本人のような名前への改名そのものは、韓国人の自主的な行動だったと言うことです。


軍人の中には朝鮮名で活躍した者も少なくありません。

そのほか一般人の当時のさまざまな名簿などを見ても朝鮮名のままの朝鮮インの名前は簡単に見受けられます。

本名を日本名に変えたが通名(=ふだんの名前)は朝鮮名を名乗る者、

本名も通名も朝鮮名のままの者、いろいろなケースがあり、

そしてどれも大日本帝国で暮らせていた事実があることを、どう受け取めますか?


今までの韓国での認識が誤っていたかもしれないと気付けば、これからはその誤りを無理に貫き通そうとせずに冷静に真実を見つめ直してみようという姿勢に変われば、それは韓国での反日教育と反日の世論のなかで「韓国での模範的な韓国人」として育ってきた皆様方にとっては、人としてとても大きな前進だと思います。


http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=2&nid=112319&start_range=112184&end_range=112447

韓国人曰く「日本が朝鮮の独立を邪魔した」と言うが..^‐^

現実は・・・
韓国人は自ら独立も独力近代化の道も閉ざしました


下関条約
第一条

 清国は朝鮮国が完全無欠の独立自主の国であることを確する。よってその独立自主を侵害するような朝鮮国から清国への貢納や臣下の儀礼などは,将来全く廃止すること。

下関条約によって清国の冊封体制から朝鮮は独立。
独立後の朝鮮には、独立をして、防波堤となることを期待した日本の願いとは裏腹に親ロシア派内閣が成立した。

しかし、その政権の下では、腐敗はさらに進み朝鮮半島の莫大な利権は欧米諸国に売り渡されることになった。

1896年
【ロシア】
咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権
豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
【アメリカ】
京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
【イギリス】
財閥顧問の派遣と海関管理権
【フランス】
京義鉄道敷設権

1897年
【ロシア】
財政顧問の派遣と海関管理権
【ドイツ】
江原・金城、金鉱採掘権

1898年
【アメリカ】
ソウルの電車・電灯・水道経営権
【日本】
京釜鉄道敷設権
【イギリス】
平南・殷山金鉱採掘権

1899年
【ロシア】
東海岸における捕鯨権

1900年
【ロシア】
慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
【日本】
京畿道沿海の漁業権

1901年
【フランス】
平北・昌城金鉱採掘権



1903年5月

ついにロシアは朝鮮北部の龍岩浦に軍港を建設

シベリア鉄道の完成も近づき

極東アジアの情勢は著しく悪化した

ロシアの極東南下
(既に満州の一部は侵略支配されロシア沿海州になっている)


結局、全てを売り払い破綻した無策な朝鮮は、日露戦争の直接的な原因を引き起こした後、日本に外交権を没収され保護国となって出直すことになった。

しだいに朝鮮国内では併合賛成派と反対派の声が高まり朝鮮の指導者たちは日本に併合を要請することになった。

併合を要請するnida


そして、売り渡された利権も日本が買い戻すことに...


日帝の植民地支配…米国ハーバード大学で国際討論

「日帝の韓国併合の法的問題点」、世界の学界が討論の場に


 1910年、日本帝国主義による韓国併合は、国際法上適法な手続きによってなされたのか。韓国人の見解から見た時、日帝の韓国植民支配は、もちろんあってはならない罪悪であった。しかし、少なくとも日本側は、法的・外交的には過失なく、順に手続きを踏んでなされたことだという主張を繰り広げた。


 このような双方の見解の差を、国際学界で深く掘り下げてみようという学術会議が、米国ハーバード大学の3つの研究所主管で開かれる。25日から4日間、米国ハワイのアラモアナホテルで開かれる「韓国併合の歴史的、国際法的再検討」会議がそれだ。


世界各国の学者を招いて、90年前の日帝による韓国併合の法的の問題をハーバード大学が扱おうという点も史上初めてのことだが、国交樹立を控え、日本の過去の謝罪と補償を強力に要求している朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)側の学者も参加するという点で、非常に関心を集める行事だ。


 今回の集いには、社会科学院歴史研究所のリ・ジョンヒョン教授を代表に、チョ_ン・ナムヨン、シム・ソンワン、キム・グァンギ氏ら北朝鮮最高の学術機構である社会科学院の専門家が参加する予定だ。北朝鮮側の参加者4人に対しては、米国政府が既にビザを発給していることが伝えられた。


 韓国側からは、ペク・チュンヒョン、キム・ギソク、イ・テジン(以上ソウル大)、イ・グングァン(建国大)教授の4人が出席、日本からは、アライシンイチ(駿河台大)、ハラダタマキ(広島女子大)教授などが参加する。アレクシス・ドゥーデン(米国コネチカット大)、ウォルフガング・ザイフェルト(ドイツハイデルベルク大)、アンソニー・カーティー(英国ダービー大学)など、第三国の専門家も参加する。


 ハーバード大学アジアセンター、東アジア法研究所、韓国研究所などが主催する今回の行事は、韓国・北朝鮮の学者が合併関連の1次資料を紹介するワークショップに続き、4月26日から4日間にわたって東京で開かれる日本側の資料説明会と、10月初めのハーバード大学の本会議で構成される。1次ワークショップでは、ペク・チュンヒョン教授の経緯報告に続き、「1876年~1910年の韓日間の条約史と問題点(イ・テジン)」、「1905年~1965年の保護条約無効化運動」「1876年~1910年の韓日間条約に対する国際法的争点(イ・グングァン)」が発表される。北朝鮮側の発表文はまだ公開されていない。



 今回の会議は、昨年2月に米国ハワイで開かれた韓国関連学術会議に参加した、イ・テジン、ソン・ドゥユル(ドイツミュンスター大)教授とエドワード・シュルツハワイ大韓国学センター所長などの発議が契機となった。日本の時事月刊誌『世界』で、98年7月から韓日併合に対して韓日両国の学者が建設的論争を繰り広げて来たことも、一役買った。北朝鮮側の専門家の招請は、ソン・ドゥユル教授の斡旋でなされた。



 今回の行事は、学術振興財団と国際交流財団、日本の日韓文化交流基金などが支援する。 イ・テジン教授は「日韓議定書など、韓国併合関連の5つの協定は、どれも外交協定の要件を揃えていない。国内外の専門家による韓国併合問題に対する学術的検討を通じ、併合の不当性を自然と世界に知らせる契機になるだろう」と語った。



             



                         




■欧米の学者ら「日韓併合不法論」支持せず



韓国主張崩れる



日韓の歴史認識問題で大きな争点になっている
日韓併合条約(一九一〇年)について合法だったか不法だったかの問題を
めぐり、このほど米ハーバード大で開かれた国際学術会議で第三者の
英国の学者などから合法論が強く出され、国際舞台で不法論を
確定させようとした韓国側の計画は失敗に終わったという。


会議参加者によると、合法論は国際法専門のJ・クロフォード英ケンブリッジ大教授らから出され


「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点から
その国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は
国際法上は不法なものではなかった」と述べた。



また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても
「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(一九一四-一八年)以降の
もので当時としては問題になるものではない」と主張した。


この学術会議は米ハーバード大アジア・センター主催で十六-十七日開かれた
が、韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し韓国の学者の主導で
準備された
。これまでハワイと東京で二回の討論会を開き、今回は韓日米の
ほか英独の学者も加えいわば結論を出す総合学術会議だった。


日本からは海野福寿明治大教授や笹川紀勝・国際基督教大教授、原田環・
広島女子大教授ら五人が参加したが、海野教授の「不当だが合法」論や
笹川教授の不法論など見解が分かれた。


韓国側は「条約に国王の署名がない」ことなどを理由に不法論を主導している
李泰鎮・ソウル大教授はじめ全員が不法論で、会議をリードしようとした。


しかし日本の原田教授は併合条約に先立ち日本が外交権を掌握し韓国を
保護国にした日韓保護条約(一九〇五年)について、皇帝(国王)の日記など
韓国側資料の「日省録」や「承政院日記」などを分析し、高宗皇帝は条約に
賛成し批判的だった大臣たちの意見を却下していた事実を紹介し注目された。


併合条約に国王の署名や批准がなかったことについても、国際法上必ずしも
必要なものではないとする見解が英国の学者らから出されたという。

日韓併合条約については韓国や北朝鮮からは いまなお執ように不法論が
出され謝罪や補償要求の根拠になってきた。
日韓国交正常化の際も激しく対立したが、合法・不法の結論は出さず
「今や無効」との表現で国交正常化(一九六五年)にこぎつけた経緯がある。


http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=112989&start_range=112699&end_range=113877

国際法に基づく日韓基本条約の竹島紛争の解釈

私は竹島が日本の領土であろうと、韓国の領土であろうと どちらでもかまわない。

しかし、現在のように、この島を巡り両国が争う状態を続けるのは好ましくないと考えている。

この様な問題は、早期に決着をつけるべきである。

日韓基本条約締結時に この様な日韓両国間の問題解決方法について、合意が成立している。


その合意事項に則り解決を図るべきであろう






この本は「日本外交主要文書・年表(2)」という本である。

この本の中に、日韓基本条約締結時の日韓往復文書が書かれている。

この往復文書で日韓両国は合意事項の確認を行い

この合意事項に基づき日韓基本条約は締結された





この中に注目すべき書簡がある。


韓国からの書簡                                      

 書簡をもつて啓上いたします。本長官は,両国政府の代表の間で到達された次の了解を確認する光栄を有します。
 両国政府は,別段の合意がある場合を除くほか,両国間の紛争は,まず,外交上の経路を通じて解決するものとし,これにより解決することができなかった場合は,両国政府が合意する手続に従い,調停によつて解決を図るものとする。
 本長官は,さらに,閣下が前記の了解を日本国政府に代わって確認されることを希望する光栄を有します。
 以上を申し進めるに際し,本長官は,ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。

 千九百六十五年六月二十二日
         外務部長官 李東元

日本国外務大臣 椎名悦三郎閣下







これに対し日本側は、以下の回答をしている


日本からの返答                                      


書簡をもつて啓上いたします。本大臣は,本日付けの閣下の次の書簡を受領したことを確認する光栄を有します。
  本長官は,両国政府の代表の間で到達された次の了解を確認する光栄を有します。
  両国政府は,別段の合意がある場合を除くほか,両国間の紛争は,まず,外交上の経路を通じて解決するものとし,これにより解決することができなかった場合は,両国政府が合意する手続に従い,調停によつて解決を図るものとする。
 本長官は,さらに,閣下が前記の了解を日本国政府に代わつて確認されることを希望する光栄を有します。
 本大臣は,さらに,前記の了解を日本国政府に代わって確認する光栄を有します。
 以上を申し進めるに際し,本大臣は,ここに重ねて閣下に向かって敬意を表します。


  千九百六十五年六月二十二日
       日本国外務大臣 椎名悦三郎
 大韓民国外務部長官 李東元閣下





訳文だけを載せると捏造nidaと言われるので、わざわざ、国会図書館で原文を探してきた。

それがこれ↓








ここで問題となるのが、紛争の解釈である。
紛争とはどのような状態を指すのであろうか。






国語辞典:する事がもつれて争うこと。揉め事・
例:領土問題で紛争する。
類語辞典:争い、問題

日本語の意味としては、国同士、あるいは人と人との主張が合意せず、争っている状態だということである。



他の辞書ではどうだろうか?

左が三省堂国語辞典・右が韓国語辞典


紛争とは揉め事をさすのである。
揉めるとは
意見の相違などで論争が戦わされることである。

つまり、紛争状態(日韓の互いの主張が合意に達しない状態)になった場合 武力に訴えるなど 野蛮な行為は慎み、平和的に解決する為 問題解決手順について約束をしたのである。

日韓両国は日韓基本条約締結時の合意事項に則り「まず,外交上の経路を通じて解決する」ように努力し、これにより解決することができなかった場合は,両国政府が合意する手続に従い,調停によって解決を図る」手続きを踏まなくてはいけないのである。
この合意を守ることが、平和を愛する国家のとるべき道である。

しかし、韓国は この合意を守らず、日本の外交交渉の呼びかけにさえ応じようとしないのである。

韓国国民は韓国が この様な、条約無視をする国家と思われて良いのですか?

平和を愛する両国国民は 両国政府に対し早々に外交交渉を行い、合意が無理であれば 現在国際調停を行っている唯一の国際機関である国際司法裁判所で調停を受けるよう要請しなくてはいけない

http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=113862&start_range=112699&end_range=113877

中川秀直と暴力団、と特亜

中川秀直は愛人と覚醒剤を使用していたスキャンダルで住吉会に金玉を握られ、それを隠蔽してもらうために官房機密費を暴力団・住吉会に流した。中川秀直はどうもそれ以来住吉会と二人三脚というか、住吉会の族議員といった存在ではないかと思われる。

中川秀直が官房機密費を住吉会に渡していたことの、2000年の新聞赤旗記事↓

2000.10.26 内閣委員会 中川官房長官〔森内閣時〕が辞任 暴力団系右翼と交際疑惑

 中川秀直官房長官は26日夜、右翼団体幹部との交際疑惑や国会での虚偽答弁、「第三国発見案」についての政府見 解の手直しなど重大問題が相継ぎ、その責任を問われ、辞意を表明しまし た。

 中川秀直官房長官の進退問題が26日、中川長官の出席した衆院内閣委員会でとりあげられました。日本共産党の松本善明議員ら野党側は、右翼幹部との会食など同長官との関係をただすとともに、週刊誌で報道された写真、テープの公開を求め、官房長官と両立しないとして中川長官の辞任を求めました。

 松本議員は、右翼団体の「日本青年社」最高幹部と中川長官が会食して いた写真が週刊誌に報道された問題について 、「『日本青年社』幹部には指定暴力団の住吉会幹部もついている。事実であれば指定暴力団とつきあっている内閣ということになる」と指摘。中川長官は「写真の人物には記憶がないし、一 度もあったことはございません」の一点張り。愛人関係にあったとされる女性に中川長官が警察情報を漏らしたとされる会話を記録したテープの存在にも「記憶に ございません」と否定しました。

http://gooyan.kitaguni.tv/e375073.html


「右翼団体の真実」

右翼団体の代表者の多くは在日コリアンであり、
国をイメージダウンさせるために事件を起こしています。

主要右翼一覧

※は逮捕歴あり

右翼団体「松魂塾」(豊島区) - 極東会(構成員数 1500人)
松魂塾最高顧問:松山眞一こと曹圭化

右翼団体「祖国防衛隊」(大阪) - 七代目酒梅組(構成員160人)
七代目酒梅組組長:金山耕三郎こと金在鶴
六代目酒梅組組長:大山光次こと辛景烈

右翼団体「松葉会」(台東区) - 松葉会(構成員1400人)
松葉会六代目会長:牧野国泰こと李春星

右翼団体「日本皇民党」(高松) - 山口組宅見組系
※日本皇民党行動隊長:高島匡こと高鐘守

右翼団体「日本憲政党」(世田谷区) - 中野会弘田組
日本憲政党党首:呉良鎮
※日本憲政党最高顧問:金敏昭
※金俊昭の実兄:金銀植

右翼団体「双愛会」(千葉)- 双愛会(構成員320人)
双愛会会長:高村明こと申明雨

右翼団体「三愛同志会」(下関) - 六代目合田一家
五代目合田一家総長:山中大康こと李大康

右翼団体「東洋青年同盟」(下関) - 四代目小桜組系
四代目小桜組組長:末広誠こと金教換

右翼団体「日本人連盟」(会津若松)
四代目会津小鉄会長:高山登久太郎こと姜外秀

右翼団体「アジア建国党」
※アジア建国党最高顧問、金相洙

右翼団体「亜細亜民族同盟」
三代目山口組柳川組、柳川次郎こと梁元錫

右翼団体「国誠塾」
※塾長:崔正夫

そのほかの右翼団体

稲川会系右翼
「大行社」「交和青年隊」
※「稲川会系組長、金永七」
 ※「稲川会系青山組組長、金昌英」

住吉会系右翼
「日本青年社」「大日本同胞社」「大日本朱光会」
※「住吉会系暴力団組長、李弘吉」
※「指定暴力団住吉会、高成仁」

山口組 弘道会系右翼
「司政会議」

國粹会系右翼
「國粹青年隊」



自民党、加藤紘一議員宅の放火を行った自称右翼団体
「大日本同胞社」は指定暴力団「住吉会」

右翼たちは、堀米正弘容疑者(住吉会系暴力団組員)を支援するために
1000人規模の集会を開いています。

指定暴力団「住吉会」は、在日に占められているだけでなく、中国人の構成員が多いのが特徴です。


http://uyoku33.hp.infoseek.co.jp/




住吉会のヤクザ組長を逮捕 → 中国人でした
http://jp.youtube.com/watch?v=Kh2DQ0iu2BI

移民受け入れ政策の愚

テオ・ファン・ゴッホの暗殺:オランダが得た教訓


被害者の身分と犯罪の性質がその背景にある。被害者は、有名な絶対自由主義者、映画制作者、テレビプロデューサー、新聞コラムニスト、トークショー担当者、あらゆる不正の強い批判者、テオ・ファン・ゴッホ(47)であった。彼は、かの有名なオランダの画家ヴィンセント・ファン・ゴッホの親戚でもあった。最近では、イスラムを批判し、注目を浴びていた(2003年の著作Allah Knows Best と2004年の映画Submissionを参照)。

彼は11月2日の朝8時40分、出身地であったアムステルダムの混んだ街路を自転車で出勤中、殺害された。繰り返しナイフで刺されていた間、加害者に向かって「やめて下さい、やめて下さい、命だけは」と懇願したそうだが、加害者はナイフを胸に突き刺し、切り落とさんとばかりに首を深く切りつけた。

加害者は、オランダ生まれのモロッコ人、二重国籍者のモハメッド・ブーイェリ(26)である。オランダ語とアラブ語で書かれた5頁の手紙を被害者の体にナイフで突き、その場を去った。手紙は、名指しで5人のオランダの有力者と西洋全体に対してジハードを呼びかけ、脅迫を声明する内容であった(「ああ、ヨーロッパよ、必ず破壊されると確信している」)。

犯人は事件の2週間前から警察に追跡されていたイスラミストであったことを捜査当局はすぐさま突き止めた。(イスラムテロ組織の)Hofstadgroepネットーワークの一員であることも判明しており、他の6人のメンバーと共に、テロを目的とした陰謀の容疑で指名手配されていた。 Takfir wa'l-Hijraや Al Qaeda等のテロ組織とも関わっていた可能性が高いと捜査当局は指摘した。

非ムスリムのイスラム批判者が、自分の意見を芸術的に表わしたため、儀式的に殺害されたという事件は、オランダのみならず、西洋世界にも類例がない。この事件は、世界で最も寛容深い国を激変し、オランダの寛容な心までをも揺るがした。名指しで脅迫された1人、リタ・ヴェルドンク移民融合政策大臣は、イスラム原理主義の存在が国内で長く無視されてきたことを公の場で批判した。「長い間、私たちの国には多文化社会が存在し、たやすく相互理解が出来るといってきたが、あまりにも単純に人々が共存出来ると思い込んでいた」と。

ジョジアス・ファン・アートセンWD党(自由民主党)国会対策委員長は、「ジハード (聖戦)はオランダに来た。何人かのジラドテロリストは我が国の根本原則を攻撃している。彼らの目的は私達の社会を変えることではない。破壊することである」と更に強い批判を表明した。

事件の翌日に行われたデモには2万人が参加し、この事件を非難した。対ムスリム憎悪を誘発したとして、30人が逮捕された。ヨーハン・レムケス内務大臣は、「緊張が高まっている」とした上で、動乱に対処することは出来ないと表明した。その発言通り、次の二週間には、モスク、教会や他の建物などで、20件以上の放火事件や爆破攻撃・反撃が相次ぎ、更に警察の襲撃も行われ、あたかも小規模な内戦であるかの様だった。

ムスリムへの待遇も直ちに激変し、厳しくなった。ある世論調査では、40%の回答者が、オランダに在住するおよそ100万人のムスリム集団との共存を消極的に感じていると答え、その倍に当たる回答者は、移民に対して更に厳重な移民政策を支持すると答えた。

狂信的なムスリム過激主義者に対して公的な取り締まりを求める、事件前では考えられないような社説も主要新聞De Telegraafに掲載された。左翼政治家でさえも、ムスリム系移民の間の過度な犯罪率を踏まえて、「移民の厳しい実態」について注意を促している。


http://www.danielpipes.org/article/2599




中国人不法朝市報道

大阪で中国人が道路を占拠して露天を開いている。違法な物も売買しているがマスコミも 警察も対応に及び腰らしい。

違法朝市を取材する人たちを力づくで排除しようとしたり、民家のガレージ前でも平気で駐車したり、民家の脇に大便をしたり、注意した人に対し「火つけたろか!」と威嚇したり、駐車違反を注意した人に「日本は中国を侵略した、反省してるのか!?」とかわけのわからんこと言ってきたり。

http://jp.youtube.com/watch?v=lhli_6GYMoA




警察の目の前でも暴力を振るう支那人!【長野聖火リレー】


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反日教育を施している特亜から移民を取ってどうする気だ。

数が増えるとイタリアで起きた暴動みたいのを起こしかねないぞ。



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ミラノ支那人暴動の異様…中華街=ミニ国家の危険性


赤い旗を振り回す大騒乱。ミラノのシナ人暴動は用意周到なものだった。チャイナタウンを操る中共の影…我が国にとって他人事ではない。中共の狙いは中華街を工作拠点に変えることだ。


http://dogma.at.webry.info/200704/article_13.html

【必読】日本人による日本人のための日本人の国家

以下の文はMixiで日記に書かれた方のを頂いたものです。

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国籍法改正(悪)案が閣議決定しています。
11月14日には早くも国家提出、可決される可能性も。

この件について簡単に要約するよ(´^ω^`)頑張ったから読んでね


☆最大の論点である国籍法3条とは?
1、日本国内で外国人女性が未婚のまま日本人男性の子を出産した場合、出産前後にかかわらず両者が結婚し男性が子を実子と認知すれば子には日本国籍が与えられた。
2、逆に男性が結婚しなかった場合(早い話がやり逃げ)、子の親は外国人女性のみとなるので子の国籍は女性のそれに順ずる。これは認知(結婚はしないけど、この子は俺の子だよ宣言)したとしても認められなかった。

1のケースにおいて婚姻届受理が出産より後だった場合、子には「外国人シングルマザーの子」→「両親(片方日本人)の子」という身分が与えられる。これを婚姻準正といい、国籍法3条とは「準正による国籍取得」を指す。

だが2008年6月、最高裁にて2のケース上にあった子に対し「国籍法3条は憲法14条の元において違憲」という判決が下る。
14条とは所謂平等権。このケースでは「人種」上の平等権に反するとの判断だったと思われる。

これにより父親が不明(たとえ日本人でなくても)でも、日本国籍を持った誰かが「これは俺の子だ」と言ってしまえばその子どもは日本国籍を取得できる最高裁判例ができあがってしまった。

そして今月はじめ、公明党が先導しこの判例を元にした「国籍法改正案」を閣議決定。←今ここ

今週中にも国会提出される。


☆なぜこれが改「悪」案なのか?
1、DNA鑑定が不要
概要によると、「出元不明の検査書が提出されるかもしれない」「単純にコストがかかる」との事。

実の子であるという事を証明するのは簡単(俺の子宣言すればいい)だが、虚偽の申請を見抜く確実な方法が無い(所謂悪魔の証明)ので悪用を防止する手立てが無い。

2、出生後の「子供」が認知できる
法律上、「子供」とは20歳未満。

19年前の件でも自己申告のみで認められる。

3、虚偽の申請に対する罰則は20万円以下の罰金、懲役1年以下
非常に緩い。

抑止効果に疑問。


☆もし改正(悪)されるとどうなるか?
これまでは婚姻していないと実子として認められなかったため、「偽装国際結婚」までする必要があったが今後婚姻届を出す必要がなくなるので単なる「国籍販売ビジネス」が行われる。

ここ(日本国内)に不法滞在中の外国人女性がいます。

不法滞在中の外国人男性がいます。二人が行為の末出産します。この時点で親子三人は外国籍。この両親は現時点ではまだ未婚です。

両外国人が国籍販売ビジネス業者(当然非合法)に金を払い、業者は経済苦の日本人(借金持ちやホームレス)に、この外国人国籍の子を実子として認知させます。

認知の証明は一切要りません。ただこの日本人が「俺とこの外国人女性の子どもです」と申告すればいい。

子供は「日本人」に。さらに子の親権がある外国人女性も「日本人」になります。

ここで先の不法滞在中の外国人男性が元外国人「日本人」女性と婚姻します。

すると男性には「在留特別許可」が下ります。つまり不法滞在者ではなくなるということ。現にオーバーステイしていた外国人に日本人配偶者がいれば「在留特別許可」が下りる例が存在している。

さらに結婚しているので日本国籍がその男性にも与えられます。

振り返ってみれば今3人とも日本人。ふしぎ!
両親にいたっては元不法滞在者。犯罪の温床にもなりかねない。

覚えておかなくてはならないのは、「子供」とは20歳未満である事。なので現時点でシングルマザーの外国人女性が、経済的に有利になりたいがために非合法業者を頼って日本人国籍を取得し、かつ不法滞在中の人間を囲って国籍を与える事ができてしまう。

さらにこの子ども達が同じような事を続々やって発展途上国から人を呼び寄せれば、たちまち元外国人「日本人」スラム街が日本のあちらこちらに出来上がる。 彼らには国籍もあるのでどんどん税金は投入されるし参政権も与えられる。ある地域に固まれば議員を選出する事も可能。


☆我々に何ができるか?
まず知る事。マスコミはいつものごとく沈黙。残念ながら今の日本の大手ニュース番組や新聞を見ていても知る事はできない。
自分だけでなく、憤りを感じたなら周囲にも話してみるのも吉。マスコミほど力は無くても、何かを伝え、広める力は個人個人にある。

↓そして反旗の声を上げる事。

<取り上げる見込みのあるマスコミ>
□ 産経新聞 TEL 03-3275-8864 FAX 03-3270-9071 u-service@sankei.co.jp
□ 週刊新潮 FAX 03-3266-5622  shuukan@shinchosha.co.jp
□ 産経新聞 政治部記者 阿比留瑠比 http://abirur.iza.ne.jp/blog/
<省庁・政党>
□ 法務省  http://www.moj.go.jp/mail.html
□ 首相官邸 http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
□ 自民党  http://meyasu.jimin.or.jp/cgi-bin/jimin/meyasu-entry.cgi


☆まとめ
国際化が進んでいる今、複雑な家庭で生まれた日本在住の他民族の血を持つ子どもに日本国籍を与える必要性は出てきている。
だが、このような不正防止対策ゼロ、確実な証明ができない法律を作り出してしまって良いのか?

推進派の頭は河野太郎。あの談話でおなじみ河野洋平の息子。早い話が売国左派。
現在保守派議員による反撃が遅れていて、河野としては早いうちに推し進めてしまいたいようだ。

知ってください。真実を。

http://www19.atwiki.jp/kokuseki/


☆この日記は全文オリジナルのコピペフリーです。
よければどんどん転載しちゃってください。