先日、長男へお手紙を書きました。


そのことについては、

こちらで詳しく書いていますので、

良ければお読みくださいね。



古事記の中で

あの世とこの世の境とされる

黄泉比良坂(よもつひらさか)。


その場所には、

なくなった大切なあの人への

お手紙を投函できるポストがあります。


私が長男に宛てたお手紙は

先日、両親の手によって、

その黄泉比良坂にあるポストに

投函されました。



そして、その投函する様子や

黄泉比良坂の写真が

両親から送られてきました。



それを見ながら、私は

涙があふれてきて、

しばらくとまりませんでした。


たまたま私は、その写真を

職場の休憩中に見ました。


他にもまわりにたくさん人がいたので

なんとか涙をこらえようかと

思いましたが。


全然無理でしたえーん






本当に長男は

あの世といわれるところにいるんだ。

この世にはいないんだ。


改めて強く突きつけられた

感覚になりました。


でも、あの世とこの世の境ってことは、

この世の中では

一番長男と近づける場所ってこと。

いつか私も行きたい。


月命日が近いこともあったのか、

心が、気持ちが、

強く揺さぶられました。


それと同時に、

普段は長男がいないことを

深く考えないようにしているのだと。


その自覚はありましたが。

そう、改めて強く思いました。


それは、

忙しい日常のせいもあってなのか?



あれだけ日が浅い頃は、

何をしていても、どこにいても、

長男のことばかり考えて、

苦しくなることも

たくさんありました。


でも今は。

ある意味うまくというか、

日常をこなすことができている。


そんな術を身につけたんだと、

そんなふうに思います。



そのことが最初の頃はなかなか

受け入れられず。


なんだか長男のことを想うことが

減ってしまったような

そんな感覚になって、

罪悪感を感じたりもしていました。



でも、まだ日が浅かったあの頃の

苦しみを思うと。


長男がいない世界で

生きていくためには、

うまく日常をこなす術も

必要なのかなとも

今は思えるようになりました。


こんな複雑な気持ちを抱えながら。

ときには気持ちが揺さぶられて

涙しながら。

ときにはうまく日常をこなしながら。


これが、

長男がいない世界を生きていく

ということなんだろうな。





今日は月命日でした。

いつものように、

お寺さんにお参りに

来ていただきました。


お参り中、長男の声が

何度も聴こえてきたようで。


悲しいような、寂しいような、

うれしいような。

いろんな想いで

涙があふれました。


長男へのお手紙、

読んでくれているといいな。