南小谷ゲストハウスKNY1泊

 

南小谷の山奥にある古民家ゲストハウスに宿泊した。江田さんの勧める宿なので値段が高いのだが、一泊だけにして早めチェックイン、遅くにチェックアウトすれば楽しめると踏んだ。折しも実家の撤収中だったので、この方針は時間もかからずよかった。宿泊代は7500円。温泉とビール2杯とコーヒーで9600円にもなってしまった。私のたびにしては破格だ。だか結構楽しく過ごせた。

 

・出会った人:Sさん夫婦&小6の子供、Hさん夫婦&赤ちゃん三ヶ月、宿主Gっさん、ひっちさん

・Hさんは他人に関心がない?

・Sさんは、最初はとっつきにくかったが、一番話せた。ゲストハウスはほぼ初めてで、前日にいきなり奥さんが探してきたらしい。

・Sさんは、スカイラインに乗っていた(インフィニティーQ35)父の代からスカイラインに乗り継いで、これが最後と買ったらしい。

・Sさんの職業を訪ねればよかった。

・古民家再生のデザインについて相談を受けた。3D CGをかく約束をしたが、やれていない

・(後日鬱がひどくなり、書く気がなくなった)

 

・帰りの大糸線で列車が停まり、長野市一泊をした

映画のタイトルになっている同名の書籍を40年ぶりに読んでみた。

実家の物品を廃棄しているのだが、その中から出てきたのだ。

最初に読んだのは中学生の時だと思う。担任の佐野先生に勧められて読んだ。戦前の金持ちが主人公になっている点が気になっていたが、感銘を受けたことは覚えていた。しかし、内容は殆ど忘れている。デパートの屋上から雨の東京都見下ろして人々の生活を想った行だけは鮮明に覚えていて、今でも高層ビルからの風景を見ると君たちはどう生きるかを思い出す。しかし他のエピソードは忘れていた。

 

若い頃の記憶は忘れにくいはずだが、内容を実感するまでに成長していなかったのだろう。

 

読み返すと、だんだん思い出してきた。

我ながら情けなくなったのはコペルくんが浦川くんの家を訪ねたときのエピソードだろう。

おじさんは「貧しくても毅然と生きる姿勢」を説いていた。

できてない。私は全くできていない。考えてみれば恥ずかしいことばかりだ。

「課長」をやっている弟に対して毅然とした態度で望むことができない(課長という肩書だけが存在意義の弟そのものも問題であるが)誇りを持って生きているかというと、全く逆である。

今なんか更に酷い。自営業者、であればいいが、ほとんど無職である。そんな自分を恥じて、平日日中に外出することすら人の目が気になってしまう。

「誇りを持って毅然と生きる」には、最もハードルが高い存在になってしまった。そんなときだからこそ、意識して生きていきたいと思う。

 

君たちはどう生きるか、は、まだまだ続く。読み続けるのが楽しみでもあり、今の自分に照らして怖くもある。

I井さんの農園にラベルの納品に伺う。外は雨。灼熱地獄のビニールハウス内は快適な温度だった。

「メソさん、ラジオに出ませんか?」I井さんが唐突に。驚いたが、ラジオはこの地域のコミュニティーラジオで、I井さんも先般出演し、収録が終わったところだという。

「適当で大丈夫です。あとはみなさんがやってくれますから。」「宣伝にもなりますよ」といい話っぽい。

しかしながら、私は未だにグラフィックデザイナーとしての自信がない。

「私には自信がない。Iさん、CまCまご存知ですよね。あそこにも専属のグラフィックデザイナーがいるんですが、びっくりするくらいの大学を出てるんです。私、経歴しょぼいので」とか言い訳して。

でもなかなかIさんは許してくれない。

 

で、とりあえずIさんが出るラジオを聞いてからということにした。

で、やはりだめだった。Iさんは志が高く、社会に貢献する姿勢でビジネスを始めている。なので質問を掘り下げられてもしっかりとした答えができるのだ。

一方の私は、ネガティブな動機でしか独立に至っていない。

うつ病から、デジタルノマドになりたいなんて志の低い夢を見て、大陸横断するなんて思い描いて独立。

会社をやめたあとも5年もまともに仕事をしていない。

5年間、実際には障害年金で食いつないでいるのだが、そんなことラジオではとても言えない。

しかし、5年もやっているにしては経験・実績が少なく、語れることがほぼない。

かといって、確固たるポリシーがあるわけでもない。

5年という経歴を1年と偽ってはどうか?

年金を隠すために、メインの仕事は「前の会社のプロダクトデザインの仕事をもらっている」ことにして、なおかつその仕事については機密なので詳細答えられないことにして・・・と組み立てれば格好がつく。しかし、、、いやこれはひどい。嘘の上に嘘で塗り固めている。ここまでしてラジオに出る意味はないだろう。

とても一時間質疑応答に耐えられるビジネス(ビジネスという言葉を使うのがはばかられるくらいだ)ではないのだ。

 

I井さんには丁重に断りを入れた。彼は残念そうな顔をした。

 

デザインやってきて35年。学生時代もいれると今年で40年。

I井さんは当年28歳。彼が生まれてくる前からデザインをやっているのに、いまだにデザインというものを自信を持って語ることが出来ない。

 

*このあと、待ち一番のメキシコ料理屋さんのホームページ制作の話があった。多国語対応、予約フォーム付きで受けられるか悩んでいたら他の方に決まってしまった。

なにかのブログで「50歳を過ぎるとアパートを借りるハードルが一気に高くなった」という記述を見た。その方は、子どもの契約で乗り切ったらしい。調べてみて驚いた。55歳を過ぎると不動産屋に相手にされなくなり、内覧すらままならなくなると多くのサイトに記載されている。常識的には65歳からという認識があったが、大間違えであった。

今の住まいは私が53歳のときに契約した。7-8年位住み、65歳前に終の棲家へ引っ越すつもりでいたのだ。だからエレベーターのない階段の四階である。

 

大失敗である。

 

妻に相談すると、ここはあと3年位にしておいて、私が55になる前に新しいところに契約すればいいんじゃないという温かい言葉だったが、探すのは私だから困難を伴うだろう。

 

耐震危険性と実家への近さを考えずに失敗した前の川崎市のアパートに続き、今回もまた大きな失敗をしてしまった。家族信託の失敗に続き、取り返しのつかない失敗ばかりである。死にたい。

 

しかし、特に人に迷惑をかけているわけではないのに、なんでこんなトラップばかり社会は仕掛けてくるのだろうか。敵は銀行に不動産業界。いずれも社会切っての強者だ。弱いものはをとことんいじめ抜く彼ら。社会運動も裁判も彼らには通用しない。強すぎるのだ。もう、怒りすらわかない。仮に怒りが湧いてきたとしても一体どこへ向かえばいいのだろうか。

 

これらの失敗でどうなってしまうのか。

15〜20年先がめちゃくちゃになるということである。家もない。金もない。金はあったのだが、どうせ母が施設で長生きするので、彼女の介護費用に我々夫婦の老後費用はすべて費やされることになる。もうFIREとか言ってられない。金を稼ぎたいが、5年も働いていない55歳に給料の良い仕事は絶対にない。

八方手詰まり。

いや、いい方法がある。死ぬことだ。

 

母が先になくなれば私がその分長生きできる。母が長生きすれば、私がその分はやく死ななくてはならない。

妻が副業でやっていた編集の仕事を、正社員でやることになって一ヶ月経つ。東京の東寄りの職場のため、最初は通勤が心配だったが、なんとか通っている。一番変わったことは妻の話題が激増したことだ。セミナーやら取材やらで圧倒的にコミュニケーション量が増えたようで、毎日が変化に富んでいて面白いらしい。

私としては社会的信用の点で非常に助かっているのだが、妻がいきいきとしている姿を見せてくれるのは二重に気持ちが軽くなる。

反面、平日の日中は私の生活はだめになりつつある。妻はリモートワークも可能な職場なのだが、試用期間の3ヶ月はリモート禁止とのことで、日中は自宅にいない。

暑いのでどうしても特に午前中は惰眠を貪ってしまう。一体いくら寝れば気が済むんだろうか。こんなことをしていては本当に認知症になってしまう。するべきことは山積みなのだが。

 

妻がいる土日が楽しみでしょうがない。

最近の土日の過ごし方は、実家の片付けだ。片づけと言っても、両親の残した物の処分である。途方もない料があったのだが、妻の凄まじい集中力と働きのお陰で、なんとか底が見えてきた。妻は入院前から一人ででも実家に行って片付けを進んでやってくれていたのだ。押入れという押し入れに詰まっていた思い出の品々や意味のない高級品は青い燃えないゴミ袋に詰められていった。私なら出来ない。一品一品で手が止まってしまっていただろう。実家に行くたびに呆然とする私に見かねて妻がやってくれた。感謝しても仕切れない。

片付けのルーチンは、朝6時位に出発。現地に7時には到着し、片付けを開始。朝ご飯は食べず、ツアmの入れてくれたコーヒーと茶菓子だけで10時くらいまで働く。10時くらいに撤収し、近くのファミレス(ロイホ、サイゼ、す◯家)で朝食。この朝食が楽しみでやっている感がある。妻は朝食からビールを飲む。

この頃は、I井さんの農園で月に一回、体験農作業をやっている。芋の植え付けやら草取りやら、マルチ剥がしなどが主な作業だ。今月は熱くて特に大変だったが、終わったあととれたて野菜をもらえるのがいい。

今私はI井さんの農園のWebサイトなどを作っているので、納品の際などにも野菜をもらう。採れたての枝豆というのは最高。妻が大好きな枝豆、それも引っこ抜いてから1時間のものはたまらないらしい。

こんなささやかな幸せを積み上げていると、旅なんかしなくてもいいのかなって時々思う。

 

介護施設には週1、妻は1週おきにいっている。仕事も畑もない退屈な生活を父と母は過ごしている。母は実家に連れていけという。実家に行って、おいてあるもので必要なものがあるかもしれないからという。

すっかり空になりつつある実家を見せて、彼女は耐えられるのだろうか。