世間は連休だったと思うのだけれど、関西のバレエ関係者にとっては、バレエ・コンクールやフェスティバルが重なって、「お休み」とはあまり縁がない時期。

バレエコンクールについては、TVでローザンヌ国際バレエコンクールなども放映されているので、一般の方にも少し知られているかと思う。バレリーナの卵たちは、これに立ち向かうプロセスで確実に成長するし、今どこでどんな人が踊っているのかわかる場にもなるので、とても大きな意味はある・・・でも私は最終的には「バレエは競技ではない」というスタンスでいる。

おそらくみんなそう思っている。受験だって選挙だって、「それが終わったあと」の方が大切なのに、どうしてそれ自体が目的化しがちなのだろう。 私が願っているのは、コンクールで燃えつきないで、そのつちかったチカラを、やがてはアーティストとして舞台に注いでいってほしいということ。 受験生が受験勉強を終えてたどり着いた入り口から、学問の森にわけいってくれることを願うのとおなじように。
  
私が受講している植島啓司先生の講座で、「この世でもっとも心に残る映画」のひとつに取り上げられた、ターセム監督「落下の王国」を見る。 物語の舞台になった数々の世界遺産の映像の素晴らしさなどについては他に詳しいサイトがあると思うので、主役の職業「スタントマン」にライトを当てましょう。

映画の原タイトル「ザ・フォール」は、さまざまな落下を表しているが(実際映画の中でも、たくさんのものや人が落っこちる) 「スタントマン」という職業自身の凋落も含んでいるのではないかと思う。 CGの発達は、スタントという行為を「不要なもの」に押しやりつつある。映像処理で何でもできる時代に、身を賭して「実際に落ちる」なんて、ばかげている・・・でも本当にそうだろうか?

「人が実際にやっていること」は、「今のところこれ以上はできない」臨界点も同時に教えてくれる。すれすれのところにいる人間の、どこかこっけいな感じのするすごさもまた。3DやCGに慣れ親しみすぎたら、人は生身の身体の不完全さや、できることの少なさ遅さを嫌悪し始める(あるいは見ないことにする)ような気がしてならないのです。
門真市で生徒たちの出演する舞台があったので、この土日は楽屋に缶詰め。 早朝に気持ちのよい陽に当たったきりで、外に出たら夜でした。

劇場の朝はまた特別なものです。 楽屋の化粧前のあたたかなライトに舞い飛ぶ白粉のにおい、壁にかけてあるたくさんの衣裳。 あちこちでウォームアップする踊り手をよけて舞台袖に行くと、高い天井につられた照明機材の下で、スタッフが忙しく動き回っている・・・この時間一番静かなのは誰もいない客席だけれど、開演したらそれが逆転してほしい、静まり返った舞台袖から拍手に沸く客席を見たい、と思うわけです。