映画「ホワイ・ノット」1時間50分全編を見てみたい人は?という問いかけに手をあげたのは、わけのわからないものと一緒にいる時間に喜んで身を投じる私の友人、ヨーコさんだけだった。
だいたい何か作品をつくっている人は、潜在的に「つくりものをきらっている」と思う。どうしたら、「つくりものくさく」ないか、たとえば演劇の人なら、よりリアルで自然なセリフに少しでも近づこうとする・・・(それならば「つくる」のを止めればいいじゃないかと言い返されそうな話ですけど) この映画の女の子の動きは、つくりものではない。 製作者が大切なものをこぼさずに撮りきろうとしたら、こんな映像になるのかもしれない。ちょうど、「サプリメント」として栄養をとろうとしても、たぶんとりこぼしている「とりだせないもの」がまるごとの食物のなかにあるにちがいないように。
「かたちをつくらなければ動けないけれど、かたちを押しつけたら動きが死んでしまう」、これはダンスも同じなのです。もしかしたらサッカーの岡田監督も、同じような発想で「選手の自主性」を待っているのかもしれません。
だいたい何か作品をつくっている人は、潜在的に「つくりものをきらっている」と思う。どうしたら、「つくりものくさく」ないか、たとえば演劇の人なら、よりリアルで自然なセリフに少しでも近づこうとする・・・(それならば「つくる」のを止めればいいじゃないかと言い返されそうな話ですけど) この映画の女の子の動きは、つくりものではない。 製作者が大切なものをこぼさずに撮りきろうとしたら、こんな映像になるのかもしれない。ちょうど、「サプリメント」として栄養をとろうとしても、たぶんとりこぼしている「とりだせないもの」がまるごとの食物のなかにあるにちがいないように。
「かたちをつくらなければ動けないけれど、かたちを押しつけたら動きが死んでしまう」、これはダンスも同じなのです。もしかしたらサッカーの岡田監督も、同じような発想で「選手の自主性」を待っているのかもしれません。