子供の日に、
私は、祖母と二人で昼ごはんを食べに行きました。
大正12年生まれ今年90歳になる祖母は、食事を食べながら、
「孫と食べるご飯が一番美味しいよ」
と
何度も言っていました。
確かに、食事というのは、一人で食べるより、誰かと食べた方が美味しい。
だけど、私は、この「孫と食べるご飯が一番美味しいよ」という、
この言葉の本当の意味はまだ分かっていないなと思いました。
祖母が言いたいこと、伝えたいことというのは、この言葉以上の意味があるのだろうなと思うのです。
言葉の本当の意味を理解するということ。
それは、ただ、言葉を、意味として、頭で理解するということではなく、
言葉を「なるほどな」という実感を伴った感覚として、言葉を理解するということ。
そういうレベルで祖母の話を理解するには、
自分はまだまだ人生経験が浅いなと思いました。
老人ホームで一人で暮らす祖母。
生まれ育った、広島の地を遠く離れて埼玉県に住んでいる祖母。
4人いた兄妹の中で、誰よりも長生きし、残りの3人とは死別した祖母。
今年の1月に夫に先立たれた祖母。
そして、孫は、1年に2、3回しか会いにこないという現状。
そういう情報を思い出して、
改めて、祖母の「孫とたべるご飯が一番美味しい」と言ってくれたあの言葉を思い出してみると、
その言葉の重みとか、意味とか、そこに乗せられている感情とかが、
ちょっとはわかるような気がします。。。
最近私は、コミュニケーションというのは、ただ言葉だけを理解するのではなく、
その言葉に乗せられている思いと感情をどれだけ、同じ立場に立って共有できるか?
そういうことに、コミュニケーションの深さがあるなと思っています。
特に大きな病気をしているわけではありませんが、
祖母とこの世で、過ごせる時間だって、
もうそれほど永いわけではありません。
祖母の話す一言、一言や、祖母と過ごす一瞬一瞬を、しっかりと実感を伴ったものとして、感じて、生きて行きたいなということを思いました。
そして、言葉の本当の意味を理解するというのは、
毎日の臨床でも一緒だと思うんです。
「もう一度この足で立ちたいんです!」
「こないだまで、できなかった車椅子の乗り移りが一人でできるようになりました!」
「もう一度、元気だった時のように絵が書きたいんです!」
そういう、患者さんの言葉を、ただ患者さんのhopeとして、頭で理解するっていうんじゃなくて、
本当の意味で、実感を伴う言葉として、理解して、共感することができるかどうか?
(この場合「理解」という言葉は適切ではないかもしれません。)
そういうコミュニケーション力がリハビリ職には、必要なのではないかと??
最近、自分も含めてそう思います。
私は、そういう本当の意味での深いコミュニケーションをできるようになりたいし、そういうセラピストが世の中に増えたら、素敵だなと思っています。
それからおばあちゃんにも、もう少し頻回に会いに行くようにしようとも思いました。