今日は、療法士.comのブログテーマに答えようと思います。
今日のテーマは、「なぜ・・理学/作業療法士、言語聴覚士になりましたか?」
というものです。
私が、作業療法士になりたい!!って思ったのは、高校2年生の時です。
なぜ、作業療法士になりたいと思ったかについては、
以前のブログ記事 「 自分が作業療法士という仕事から得たいもの 」 にも書きました。
私は、高校2年生の頃、自分の仕事、将来何にしようかと?かなり深刻に考えていたように思います。
これは真剣に考えるというよりも、どちらかというと深刻に考え込むように考えていました。
何故その頃、そんな風に考えていたのかといいますと、
私は高校では、早稲田大学の付属校である早稲田高校って言う所にいました。
自分の周りのクラスメートの中には、将来の事をあまり考えずに、
「とりあえず、推薦もらって早稲田大学に行けばいいや!」っていう雰囲気の子がいました。
まだまだ若かった自分はそういうクラスメートにかなりの反骨精神を感じていたように思います。
私には、「周りのクラスメートのように、自分の将来をそんなに流されるように決めていいのか!自分は絶対自分のやりたい事を見つけて、自分の進路を決めるんだ!!」っていう気持ちが強くあったように思います。
そんなわけで、自分は、高校2年頃から、何か自分に合った仕事はなんだろうか?って、いろいろアンテナを張り巡らせていました。
そして、そんな中、「変わったもの」とか「ユニークなもの」とかが好きであった私は、
医療職でありながら、一番医療職っぽくなくって、
自分の発想次第でいろんな可能性のありそうな、
面白そうな仕事に見えた作業療法士の仕事を選んだように思います。
そのように考えて、作業療法士の仕事を選び、高校3年生になり、作業療法士の養成校を受験したのですが、
私は受験の2~3ヶ月前になって、急に怖くなった事を覚えています。
なんだか、18歳やそこらで、自分の仕事を決め、自分の一生を決めてしまうような気がしてしまい、急に怖くなってしまったのです。
もし、学校に入ってみて、自分に合わないとわかったらどうしよう?
とか
もし、学校には行ってみて、つまらなかったらどうしよう?
とか、そんな事をもやもや考えているうちに、勉強をする意欲をなくしてしまい、そのまま勉強せずにいたら、
どこの学校にも受からず、浪人する事になってしまいました。
結局、その後、色々と考え直し、やっぱり作業療法士になりたいのだという自分の気持ちを確認したあと、
1年間浪人してから、OTの養成校に合格しました。
今、思えばあの頃は自分の選択で、人生が幸福になるか、不幸のどん底になるか、0か100ほど、大きく変わってしまうような、恐怖感があったなと思います。
なんだか、あの18歳の頃の自分は、進路を決めるプレッシャーに自分自身が耐え切れなかったんだなって思います。
自分のキャパシティーいっぱいいっぱいまで、自分自身の事を考えていたように思い、あの時ほど自分に真剣に向き合った事は無かったなって思います。
今でも、自分の将来のこととか考えることはありますが、あの18の頃に比べると何だか余裕が感じられます。
それは、働いてみて、社会ってこういう事か?とか、仕事ってこういう事か?っていう事が、肌で感じてわかるようになったからだと思います。
18歳の頃の自分は、仕事とは何か?社会とは何か?、何にもわからず、ただ惰性で将来を決めたくないという、そんな反骨精神だけは強く持っていて、将来を決めたように思います。
そんな自分の選択に、自分自身でプレッシャーを感じていたんだあ~って思います。
今から、思えば、そんな若いころもありました。なんだか懐かしい感覚です。
まあだからこそ、今仕事においてどんな事があっても、
自分の選んだ道だからっと考えて、前向きに取り組んでいく事が出来る。
その高校の頃の経験がものすごいリソースになっているなってよく思います。
やはり仕事は、いっぱい悩んでも、自分で選んだものをやるのが一番。
私は自分の経験からそのようにいつも思っています。
もし自分に子供ができたら、そのように育てたいなって思う今日この頃です。