26/6/19、MUFGスタジアム(国立競技場)でのスタジアムライブの前日に、「ALPEN GROUP MAGAZINE」に瀧脇笙古のマラソン関連のインタビュー記事がアップされました。

この記事では幼い頃からのマラソン経験やサブ4に挑戦した時期のストイックなトレーニング、今後の目標なども詳しく語られています。

(ここには出てきませんが。イコラブのわりと初期に箱根駅伝を見物に行って、そのまま走って帰ったといった驚きのエピソードもありました。)

 

東京マラソンでのサブ4達成(4時間切り)は2023/3/5のことでした。

イコノイジョイチャンネル(3グループの公式YouTubeチャンネル)でもこういう密着動画が当時アップされました。コロナ禍の終わり頃なので、ほとんどのシーンでマスクをしています。

 

その後、芸能人対抗駅伝(テレ東の正月番組)とか最近ではTBS「オールスター感謝祭」名物の「赤坂5丁目ミニマラソン」にも出演しました。「SASUKE」にもよく出場します。

しょこちゃん(瀧脇笙古)は「とくべチュ、して」の大ヒット以降、目立って人気が上昇したメンバーの一人でもあり、SNSフォロワーも1年でXが12万弱、インスタグラムが18.5万ぐらい増えています。

(国立競技場ライブ用のキーヴィジュアル写真)


 

(後日、保存用にインタビュー本文を再録する予定ですが、以下は冒頭部のみ。閲覧・引用は上記の元記事からお願いします。)

 

サブ4の先で、もう一度楽しく走る。=LOVE(イコールラブ)瀧脇笙古が42.195kmで見つけたもの。

 

そのアイドルは、なぜ42.195kmを走るのか。

人気アイドルグループ =LOVE(イコールラブ)のメンバー瀧脇笙古さんは2023年3月5日に開催された「東京マラソン2023」でサブ4を達成した。

幼い頃に家族で参加したマラソン大会の思い出、初フルマラソンで直面した30kmの壁、そして目標達成のために見直したトレーニングや食事管理。

走ることは、いつしかステージに立つ自分を支える大切な習慣にもなっていた。

 

MUFGスタジアム(国立競技場)でのライブを控えた2026年5月、あらためてサブ4達成の舞台裏やファンからの応援、MUFGスタジアムでのライブへの思い、そしてこれからのランニングとの向き合い方について語ってもらった。今回は、そのインタビューの模様をお届けする。

 

■原点は、家族で走ったキッズマラソン

 

――そもそも、ランニングにハマったきっかけは何だったのでしょうか?

もともと父がフルマラソンに出場していて、小さい頃から家族で親子マラソンやキッズマラソンに参加していたんです。

そのうちに走ることが好きになって、学校の持久走でも「私、長距離に向いているかも」と思うようになりました。

――持久走は得意だったんですね。

そうですね。「1位を取れるかも」と思えるくらいでした。中学生の頃はソフトテニスもやっていたので、持久力もついていたんだと思います。後衛だったので、そこでさらに体力がついた感覚があります。

――実際に大会に出るようになったきっかけは?

最初は家族で「一緒に走ろうよ」という感じで、キッズマラソンや親子マラソンに参加していました。

自分の意思で出た大会として覚えているのは、相模原のマラソン大会です。5kmのレースで、父と兄と私の3人で走っていました。毎年恒例のように参加していたので、それが大会に出る原点に近いかもしれません。


■初フルで知った30kmの壁。「あとちょっと」が全然ちょっとじゃなかった

 

――最初にフルマラソンを走ったのは、いつだったのでしょうか?

フルマラソンは東京マラソンからスタートしました。2021年の大会が延期になって、実際に走ったのは2022年で、タイムは4時間19分26秒でした。

――当時はどれくらい練習していたんですか?

月間100kmを目標に走っていました。自分でトレーナーさんも探して、スケジュールを組んでもらいながら練習していました。

自分では「サブ4」を目標にしていたんですけど、そもそも自分がサブ4で走れる人なのかもわからなくて。ハーフのタイムが速かったので、「じゃあサブ4いけるよ」くらいのテンションで決めた感じでした。

でも、どこまで練習すればいいのかはわからなかったので、できるだけ練習に付き合ってもらいました。

――初めてフルマラソンを走って、どんなことを感じましたか?

スタート直後は、みんな勢いがあってペースが速くなると聞いていたので、自分の時計を信じて、周りについていかないことを意識しました。

いくら抜かされてもいいから、自分のペースを守ろうと。実際、いろいろな人に抜かされながら、ゆっくり入りました。

ただ、30kmの壁は本当にあるんだなと思いました。

30kmあたりから「あとちょっとだよ」と沿道の方々から声援をいただいたのですが、「その“ちょっと”ってどのくらいなんだろう。」と思いながら走っていて。

1年目は、30kmを超えたあたりからが本当に苦しかったです。

(以下、後日再録予定)

 

【取材・文章】池田鉄平【写真】軍記ひろし

「Alpen Group Magazine」HP(26/6/19up)より引用