ニトリな日々 -6ページ目

病気

週末風邪を引いて寝込んだ

仕事の疲れからか、夜中に突然おなかの調子が悪くなりそれからずっと下痢と吐き気、全身のだるさ、頭痛で食欲もない・・・

折角の休みの日だというのに寝ているしかない。

一緒に遊ぶことを期待していた息子は退屈そう。

申し訳ない・・・と思いつつも体中が痛く、どうしようもない。

夕方、息子が枕元に来て

僕の薬あげるから、早く良くなってね!

といって先週自分が風邪になって病院でもらってきた薬を置いていってくれた

来週一緒に遊べるように早く元気にならなければ、と思う次第である。

(ニトリの羽毛布団で暖かくして早く治そう)

羽毛ふとん(ウモウフトン NT-043 Q)

がんばれっ!北海道!!

ダイエーが北海道から撤退!!


というニュースをネットで知った。
産業再生機構下、丸紅連合の支援を受け再生計画を進めるダイエーは従来計画53店舗に加え、北海道からも撤退する方向で検討しているということらしい。

日ハムファイターズ、コンサドーレといった地元密着のスポーツチームをはじめ、何とか北海道をもりたれようとしている中、”ニトリ”も北海道から生まれ企業として様々な活動をしている、とのこと。

一つが、”北海道応援基金”の創設だろう。(詳しくは同社HPに記載あり)

また数日前の日経新聞の朝刊に、北海道を応援する企業の一つとして”ニトリ”が載っていました。(写真通り)



がんばれっ!北海道!!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050312-00000025-mai-bus_all

おじゃる丸

久々に早く帰宅したので子供と一緒に

NHKのおじゃる丸

を見た。

話の内容はこたつから出たくないので家族揃ってこたつごと台所に移動して料理を作ったり、最後は買い物に出たりとたわいないことではあったが、おじゃる丸がキャラ的に

癒し系

なので子供と安心して見ていられた・・・。

アンデス音楽

今日たまたま降りた駅で

アンデス音楽

の路上ライブに出くわした。
ん~懐かしい・・・

実際楽器的にはギターくらいしか経験ないがなんともいえない音の響き

サンポーニャ・・・チチカカ湖に生える葦で作った吹奏楽器
チャランゴ ・・・アルマジロの甲羅で作った弦楽器


中でも有名な曲は「コンドルが飛んでゆく(El Condol pasa)」や「カルナバリート」である。

♪ケダンド・エスタ・カルナバール、ケブランド・ミチョリタ~♪

スペイン語とケチュア語のミックスの歌詞だ・・・

えっ、フライドポテトが!!

今日のニュースの中で一際目を引いたのが、

フライドポテトなど有害の恐れ

という見出しでした。
詳細記事は次の通りでした。


フライドポテトなど炭水化物が多い高温加熱食品に“副産物”として含まれる化学物質アクリルアミドについて、国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)の合同専門委員会は6日までに「健康に有害な恐れがあり、食品の含有量を低減させるべきだ」とする勧告をまとめた。
  アクリルアミドは土壌改良剤などの原料として工業的に広く使われ、動物実験で発がん性が指摘されてきた。食品への含有は2002年に初めて分かり、食品として摂取した場合の危険性は評価が定まっていなかった。




うちの息子がフライドポテトが大好き!なのでよく外出すると食べさせるのですが、少し与える量を考える必要がありそうです。

仙台牛タンいつまで!?

久しぶりに仙台に来ました。
思ったほど

楽天イーグルス

の歓迎看板などが見られなかったのは驚きでした。

それ以上に驚いたのは未だに元気に営業してました

牛タン通り

奥のほうはすし通りに変わってましたが・・・

ちょうど今週前半、アメリカの農務省長官が未だに解禁せぬ日本政府の遅い対応に苛立ちを表明していました。

一体でも仙台の牛タン屋は原料を仕入れているのでしょうか?

閉店したところも数多くあると聞いてますが、以前はほどんどが米国産だったことを考えると在庫を長期に持っていたのか、豪州産で代替しているのか・・

いずれにしても仙台の目玉ですのでがんばって欲しいです。ハイ。

雪だるま

今日は首都圏でも雪が降った

夜中から降り出したのか朝には積もっていたが

”ボタン雪”

で道路はぬかるみ歩くのが大変だった


また雪の影響で電車も大幅に遅れ出勤もぎりぎりであった

そんな雪の悪影響ばかりに気を取られていたが
夜帰宅してマンションの入り口に

かわいい雪だるま

が飾ってあった。誰が作ったのか判らなかったが写真を撮っておいた

帰って聞いてみると幼稚園が休みだった息子が作ったという

疲れて息子は寝ていたが一日の終わりにこの”雪だるま”を見て心が和んだ

世界のエアライン~SAS

数多くのエアラインに乗ったがホスピタリティという面で記憶に残るのは

SASスカンジナビア航空

である。
昨年デンマーク・コペンハーゲンから帰国のルートは

コペンハーゲン → パリ SAS
パリ      → 成田 JAL

という乗り継ぎであった。丁度日本から皇太子がデンマーク王子の結婚式に
御出席の為デンマークを訪問されている際の帰国。

何故か理由は分からないがコペンハーゲン発パリ行きのフライトが1時間以上遅れいていた。パリでの乗り継ぎに多少の時間的余裕はあったものの少し不安であった。

そして、パリに到着して乗り継ぎに余り時間がないことが判明。到着ターミナルと出発ターミナルはかなり離れていた。

そこに

SASの制服を着た女性

が私達の名前のプラカードを持って出口で待っていた

乗り継ぎ時間が余りないので私が案内します

そういって歩き出す彼女

通常の旅客が通る道とは別の裏道を使い私達を案内してくれる

そしてバスを乗り継ぎどうにかJALのチェックインカウンターに到着
無事JAL便に乗る事が出来た!

SAS便が遅れたことによりJAL便への乗り継ぎ客を探し出し案内してくれた

SASのサービス

にあらためて感謝した。

リオでの経験(2)

それからはリオの観光を楽しんだ。

ポン・ジ・アスーカル(Pon Do Azucar)



と呼ばれる大きな丘はあの007の映画の中でジェームスボンドと鮫男が戦ったロープウェイのシーンでも有名である。

砂糖パン(塊)


という意味で形が似ていることから名づけられたという。
(そういえばミスドのポン・デ・ケージョはチーズパンという意味だ)


一通り歩いて観光を終え、一路サンパウロに戻ろうと朝のバスステーションで
バスを待っていた時。ブラジル人の若い兄ちゃんが近づいて話しかける。

「よう、どこへ行くんだ?」

「サンパロに戻るんだ」僕はスペイン語で答えた。

「お前は中国人か?それとも日本人か?」

「日本人だ」ポルトガル語なので一寸勝手が違う。

「バスの出発まで時間あるからゲームでもしないか」

「ああいいよ」

「じゃあ、まずジュースをかけようぜ。いいか小銭を適当につかんでそれぞれ金額を答える。数字が近いほうが勝ちだ。それ」

これは僕が勝った。

「じゃあ、次はピザをかけるぞ」

こうして2,3回僕が勝ってはいたが段々とかける物の値段が上がっていった。

4回目には金額100ドルをかけることになった。

そして案の定、僕が負けた。そして僕にすぐに100ドル払えと言う。
僕は抗議するか、拒もうかと考えたがやつの懐に何か膨らみがあることに気づき、おとなしく従った。なけなしの財布の奥に隠しておいた日本円1万円札を渡しもうゲームは終わりにしたいと告げた。

幸い奴はその1万円札を持って去っていった。


憧れのリオの苦い経験であった。

リオでの経験(1)

やっと憧れの地、ブラジル、リオ・デジャネイロに着いた。

空路で30時間、首都サンパウロに着きそれから夜行バスで2時間半。
特に我々日本人はブラジル入国の際短期でもビザが必要になる。
今どき日本人でビザがいる国は珍しいがこの国から日系人と名乗る不法就労者が跡をたたない為日本がこの国にビザを課している報復措置と見られている。

バスステーションにはブラジルの各都市から到着したバスが数多くあった。
バスを降りると聞きなれないポルトガル語に耳を澄まし、どうやらタクシー組合のストが行われていることがわかった。ここから町中心部まではかなりの距離がある。だが歩くほか方法はない。

重い荷物を担いで中心街があると思われる海の方向へ歩いていった。

以前ブラジルの首都だけあって建物も荘厳な中世のものが多く見受けられた。
天気はよかったが真夏ではなく初秋で灼熱の太陽というわけではなかった。

但しいくら歩いても海岸には中々たどり着かなかった。肩に担いだ荷物が重い・・・。

「やはり事前の下調べもせず、無謀にも一人で来るんじゃなかったな。」


と後悔はしたものの、もう前に進むしかない

しばらして漸く海らしい景色が遠くに見えてきた。先ほどよりも歩調を速めその先の海を目指した。

そしてやっと海岸までたどり着き生まれて初めて


大西洋



を見た。後を振り返ると高い丘の上に


コルコバードのキリスト像


が見えた。

次号に続く


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タイトル: 未来世紀ブラジル スペシャルエディション