さて晴雲坊をすぎれば、あたりはいよいよ七面山の神秘性を濃くする。参道の両側には、千古斧を入れたこともない巨木が天をおおって林立し、その梢には仙人の髭のような青い「お霧草」が垂れ下がっている。突如、」けたたましい鳥のはばたきにハッとする。鳥は一声、鋭い叫びを残して挟間を渡る。七面山では鳥までが何とはなしに神秘的な霊鳥のように思われる。

四十丁をすぎた頃、左に小さな無縁仏の祠がある。数名の信者が一心にお題目を唱えていたが、一般には、これを拝めば足が軽くなると言われている。

この時、勢いよく下りて来る一人の信徒に出あう。この人は麓の旅館に宿り、毎朝白糸ノ滝に打たれては山頂の本社へ日参しているとのこと。真剣な修行である。聞けば、こうした人は決して少なくないという。矢張り七面山は霊験の山、修行の霊山・・・・・・という感を深くする。

神秘の気、ますます深くなる参道を、もう一息、もう一息と登り行く中、やがて四十六丁の総門が見える。

どっしりとした黒い門・・・・・・・これを仰ぎ見る時、

「遂に、辿り着いた!!・・・・・・・・七面大明神の御膝元に・・・」

という感動に胸ふるわせない者はなかろう。

総門には高く揚げられた扁額に、「和光関」という大金文字が燦然として輝いていた。染筆は身延八十三世望月日謙上人、選字は立正大学学長 清水竜山先生という。(昭和35年当時)




(※本文は全て昭和35年発行当時のことです。)

中適坊より、三十六丁目の晴雲坊まで十三丁。突如、右手に視界が開ける。遙か麓に、今朝発って来た赤沢の地区が小さく見える。このあたりはブナの木が繁り、地形も、やや平坦である所から俗に「ブナ平」と呼ぶとか。

これより暫く行けば三十五丁あたり、右手の深い谷間に、滔々たる滝の音が聞こえる。いわゆる三十六丁の滝である。(現在立入禁止区域)参考までにと木の根づたいに数丁ばかり降りてみたが、途中大崩壊の跡があって、危険この上もない。滝へ近づくどころか、やっとの思いで引き返しはしたが、それにつけても、その昔、七面山を開き、この参道をつけた先師の労苦が思いやられる。

さて晴雲坊へ到れば、東方はるか、棚引く白雲の上に聳ゆる富士の霊峰を仰ぐ。この景観にあえば、今まで三十六丁の急坂を、営々として登って来た疲れも一度に吹き飛び、思わず歓声をあげざるを得ない。

坊は文化年間の改創によるもの。一たび坊の入口に近づけば、誰しも、

「いらっしゃい!!」「ごくろうさん!!」

という雷の如き歓迎の声に驚く。声の主は今年八十三歳になる白髪のお婆さん。(昭和35年当時のこと)腰も曲がらず耳もさほど遠くはない。中野つやさんという。大正十三年以来三十七年もの間、登詣する信徒さんの面倒をみている。

いわゆる「三十六丁のお婆さん」といって七面山の名物婆さん。誰にも親しまれ、この人の掛け声を楽しみに登る人も少なくない。

このお婆さんは、登詣者がどんなに疲れ切っていても、また、

「一晩ここで休ませてくれ」と言っても、

「何事だ。この位いの疲れで弱音をはいて・・・・・・それで信心と言われるか」とはねつける。

或る時、雨が土砂降りに降っていた。なかなか小雨になりそうもなかった。信徒はいよいよ先へ登るのをしぶった。すると、

「雨は天の恵みだ。七面様の御試練である」と言って励ましたという。

蓋し、お婆さんの叱咤激励こそ、慈悲なき大慈悲であったということは、勇を鼓して一歩踏み出した足の軽さで判る。そして始めてお婆さんの激励に感謝したくなる。

若し、お婆さんが信徒の弱音に妥協したならば、恐らく信徒は後になって、弱音に屈した自己の信仰の至らざるを悔い、それから先は砂をかむような思いをしなければならなかったであろう。


(※本文は全て昭和35年発行当時のことです。)


肝心坊より、二十三丁の中適坊(ちゅうやくぼう)まで十丁。

途中、ワラヂを山のように背負った女の強力(ごうりき)さんが、持った杖を腰にあて、立ったままで一息いれているのに出あう。(昭和35年当時のこと)

聞けば、このワラヂは下山する信徒のために本社で備えつけるものだという。また七面山の強力は身延・赤沢・角瀬方面にかけて凡そ六十人ばかりも居り、定郵の強力は定期的に選出されるという。また九月の大祭前には、強力が総動員して米・味噌・醤油等の食糧を始め、大祭必要品を続々と運びあげるということであった。

さて中適坊は、読んで字の如く七面山五十丁の坂のほぼ中間にあるため、またの名を中ノ茶屋ともいう。ここよりは鷹取の峯と、それより身延の追分へ続く裏山が望める。

裏山は俗に丸山といい赤沢の村有林とのこと。

名物はトコロテン。ワサビがきいている。休憩する信徒は、既に参道の中頃まで登り来った喜びもあってか、賑々しくトコロテンに舌つづみを打ちながら、今始めて会った人々ばかりなのに、 恰も十年来の知己に会ったような親しさで語り合っている。

同じ法華経の信仰に生き、同じ七面山の道を登り、そして同じ汗を流す人々・・・・・・そこには身分の高下もなければ年齢の相違もない。あらゆる差別を超越し、姿も同じ白一色の行衣に包んだ平等なる仏子の集いである。

理論・理屈では意見の相違も起ころう。然し、信仰の実践、一乗の菩薩道では心も一つに溶け合おう。不可思議なる仏界である。七面山の参道------それは既に本佛果海中にあり、げに七面大明神の懐にいだかれた道・・・・・・という感慨を更に一層深くする。




(※本文は全て昭和35年発行当時のことです。)