中適坊より、三十六丁目の晴雲坊まで十三丁。突如、右手に視界が開ける。遙か麓に、今朝発って来た赤沢の地区が小さく見える。このあたりはブナの木が繁り、地形も、やや平坦である所から俗に「ブナ平」と呼ぶとか。
これより暫く行けば三十五丁あたり、右手の深い谷間に、滔々たる滝の音が聞こえる。いわゆる三十六丁の滝である。(現在立入禁止区域)参考までにと木の根づたいに数丁ばかり降りてみたが、途中大崩壊の跡があって、危険この上もない。滝へ近づくどころか、やっとの思いで引き返しはしたが、それにつけても、その昔、七面山を開き、この参道をつけた先師の労苦が思いやられる。
さて晴雲坊へ到れば、東方はるか、棚引く白雲の上に聳ゆる富士の霊峰を仰ぐ。この景観にあえば、今まで三十六丁の急坂を、営々として登って来た疲れも一度に吹き飛び、思わず歓声をあげざるを得ない。
坊は文化年間の改創によるもの。一たび坊の入口に近づけば、誰しも、
「いらっしゃい!!」「ごくろうさん!!」
という雷の如き歓迎の声に驚く。声の主は今年八十三歳になる白髪のお婆さん。(昭和35年当時のこと)腰も曲がらず耳もさほど遠くはない。中野つやさんという。大正十三年以来三十七年もの間、登詣する信徒さんの面倒をみている。
いわゆる「三十六丁のお婆さん」といって七面山の名物婆さん。誰にも親しまれ、この人の掛け声を楽しみに登る人も少なくない。
このお婆さんは、登詣者がどんなに疲れ切っていても、また、
「一晩ここで休ませてくれ」と言っても、
「何事だ。この位いの疲れで弱音をはいて・・・・・・それで信心と言われるか」とはねつける。
或る時、雨が土砂降りに降っていた。なかなか小雨になりそうもなかった。信徒はいよいよ先へ登るのをしぶった。すると、
「雨は天の恵みだ。七面様の御試練である」と言って励ましたという。
蓋し、お婆さんの叱咤激励こそ、慈悲なき大慈悲であったということは、勇を鼓して一歩踏み出した足の軽さで判る。そして始めてお婆さんの激励に感謝したくなる。
若し、お婆さんが信徒の弱音に妥協したならば、恐らく信徒は後になって、弱音に屈した自己の信仰の至らざるを悔い、それから先は砂をかむような思いをしなければならなかったであろう。
(※本文は全て昭和35年発行当時のことです。)