~昨日の朝日新聞紙面から引用しました。(最近は女子選手の記事多くていいですね)~
「ガッツの塊 世界吸収」 DF熊谷紗希
一次リーグ最後のイングランド戦。
日本のDF熊谷紗希は世界一流のプレーに驚いた。
前半37分、自分がマークについていたE・ホワイトがオーバーヘッドシュートを放った。無理な体勢からでも得点を狙う姿勢。失点にはならなかったが、「シュートがいつ来るのかわからない。経験したことがない体の向きだった」。
チーム1の長身171センチを活かし、対人の強さを持ち味にする。守備の支柱のセンターバックながら、先発最年少の20歳。1次リーグ3試合にフル出場した。
「スピードやパワーで少し劣っても、読みがあれば通じる」と手応えも感じる。
そんな熊谷を「まっすぐなサッカー小僧」と、母校・常盤木学園学園高校(仙台市)の阿部由晴監督(48)は表現する。
サッカーに没頭するきっかけが、入学直後にあった。
初練習では3年生FWに手も足も出せない「一人勝ち」状態だった。1週間後には1対1であっさり突破を許した。「たった1週間ですべて見抜かれた。高さとパワーだけじゃ通用しない」と熊谷は呆然。
「あそこでけちょんけちょんにされた経験は強烈だっただろうな」と阿部監督は言う。
学校は仙台市中心部近くだが、放課後のカラオケや、おしゃれに興味を示さなかった。「余計だと判断したものはそぎ落とす。ストイックだった」と阿部監督。
2年次に、初の日本代表合宿から帰って来たときには「先輩に一番怒られたのは、肌の手入れをしないことだった」と戸惑った表情で話し、部員を笑わせた。(肌のお手入れは、これは山郷先輩ですね)
2009年に加入したなでしこリーグ浦和でも、レギュラーを獲得。
「負けん気が強い」と村松浩司監督(52)。今年1月にドイツ・フランクフルトの練習に参加してその印象は強くなった。「帰ってからの練習で身体のぶつけ方にガッツが増した。日本にいながらドイツ基準で練習していた」
初のW杯という舞台に刺激を受け、さらに成長を続ける。「最初は凄い緊張したけど、今は楽しめている」。
W杯後にはフランクフルト移籍が決まっている。
~同じく朝日から、2010年11月9日の記事です~
守備の要 学んで走って 熊谷紗希
なでしこジャパンの未来を担う守備の要だ。2008年3月、高校2年で代表初選出。女子としては大柄な171センチの身長を武器にCBで起用されている。「自分は高さだけで生きている」と笑うが、高校時代までボランチを務めるなど足元の技術も正確だ。
本格的にサッカーを始めたのは小学3年のとき。
地元の少年団に加わり、中学では女子の社会人チームと部活動とを掛け持ちして腕を磨いた。親元を離れて宮城・常盤木学園高へ進学すると、1年からレギュラーに。3年時には主将として史上初の全日本女子ユース3連覇を達成。「あの3年間がなければ、いまの自分はなかった」。大きな飛躍を遂げた。
現在は浦和でプレーしながら筑波大に通う。さいたま市内の自宅からキャンパスまで片道1時間40分かかるが、「全然苦にならない」。合理的なトレーニング方法や休息の取り方などを学ぶたびに新たな発見がある。同級生とのランチはいい気分転換だ。
08年北京五輪で代表落ちし、サポートメンバーに回った苦い経験がある。だからこそアジア大会では「活躍して自分のポジションをさらに確立したい」。その目は、ロンドンを見据えている。
◆熊谷紗希
1990年10月17日、札幌市生まれ 171cm59kg
真駒内南サッカースポーツ少年団→クラブフィールズ・リンダ→常盤木学園高校
2009年~2011年6月; 浦和レッズレディース 44試合8得点
2011年8月~ 1.FFCフランクフルト
明日のドイツ戦、フランクフルトの練習に参加していた熊谷選手は、同クラブに所属する現ドイツ代表選手のプリンツ選手、ガレフレイケス選手といった屈強な長身FWらと一度はマッチアップしている経験は活きるはず。
同じセンターバックに、抜群のカバーリングで補ってくれる岩清水選手がいるぶん、積極的に前に出て跳ね返して行く紗希らしさを、ドイツ相手でも見せてもらいたいですね。