1日終わった。

看板の字体がとても好きです。最近ではあまり見掛けない、しっかりとした手書き感が西村のツボを突きます。
でもしっかりとこの様に読める字を書いているのがなかなか凄いと思うんです。こうやって紙に字を書く…という行為を見ると学生の頃を思い出します。
西村は学校の授業の中で美術が大の苦手でして、絵を描くという事や芸術作品を作るのがとても苦手で、挙げ句には「これは将来の役に立つんですか?」と疑問、そして反逆の心を持ちながら授業してました(笑)
たまに美術の時間で啓蒙ポスターを作りましょうみたいなのがあって、西村は文字を綺麗に書けなくて、学校の授業なのに課題を放置するという強行策に出ました。そんな感じで美術の時間をこなしておりました。
絵の具で字を書く仕組みが全く理解出来なくて、なんであんなにみんな上手く字を書けるんだと…どういう生活環境にいたら、あんなに筆で綺麗に字を書けるのか?わからなかった。
なのでいつも美術は適当に時間を潰していました(笑)
学生の皆さん、ちゃんと課題には向き合いましょう。とりあえずやってみるのが大切です。西村は諦めが早いのです。
さて、
ふと、思ったんです。
私は、なぜブログを書くのか。
って。
周りの同業者で毎日のようにブログを書いている人ってなかなか居ないわけじゃないですか
その中で西村なぜ書くのか
…と、以前にもこんな事を書いたような気もしますが、こういう思考には定期的に陥りやすいわけですよ。そういう西村には似合わない哲学みたいな思考をする瞬間があるわけです。
でもこの「当たり前にやっている事に対して急に疑問を持つ」ってのがありまして
例えば、
「西村はなぜ道を歩くのか」
歩きながらたまにふと思います。
そこはすぐに冷静になり、「電車代の節約のため」とか「運動のため」とかその目的のためにやっているからという答えに行き着きます。
「西村はなぜ1人で食べ放題に行くのか」
冷静に思考を巡らせ「久々に好きな時間にお腹いっぱいご飯が食べたいから」というのが答えになります。
「なぜ、西村は生きるのか」
死ぬために生きているんだよ、きっと。
人生なんて死ぬための緩やかな自殺だと思っています。生きることは緩やかな自殺であります…という、たまに哲学みたいな思考に対して哲学みたいな言葉で自分に返していくというサイコパススタイルをたまに頭の中で実施しています。ヤマザキ春のパン祭りぐらいの感覚と思って頂ければ。
当たり前の事に対して急に冷静になって考える事はありませんか?人生を生きるにあたって、冷静に目的を考える事はきっと大事な事だと思います
とりあえず今日は顔文字使ってみました、ほれなりに

新しいおにぎりの種類でしょうか。