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少し前に、ルールとはで書いたお話。
ハワイで、トロリーや乗り合いのバスに乗った時に強く感じて書いたものです。
バスに乗っている人は、これからバスに乗ってくる人を必ず見ています。
その人が、席を必要としているかどうかを認識するためです。
ご年配の方や、杖をついている方が乗車してくると、既に乗車して座っている乗客たちが、一斉に車内を見回すのです。
この人が座れる席があるかをさがすために。
なければ自分が席を立つために。
当たり前のこと、といえばそうなのです。
でも、本当にどのバスに乗っても、どのトロリーに乗っても、観光客以外の人は全て、同じような行動になるのを見て、先日書いたようなことを感じたのでした。
「このような振る舞いの軸は考えるに、子供の頃から、身近な大人や目に入る大人が、そのように行動するのを見続けることで、子供たちも同じように行動するようなり、それが繋がり続けているからではないかと感じます。
こういうものですよ、と、ルールを教えるだけではだめで、そのルールが守られている状況の中にあってはじめて、自分もそのようにするのだな、と思えるのではないかと」
これは、子供たちのことだけに当てはまりません。
このようなルールを徹底していない場所から訪問した、私をはじめとする観光客も同じ。
ルールが存在することを目の当たりにする。
なるほどそうだな、とそのルールを認識して、自分もそのように行動する。
日本では、席を譲ったら不機嫌な態度を取られた、と聞いたことがあります。
理由や事情は色々あるとしても、当たり前のことをした人の方が肩身の狭い思いをする、というのは、
当たり前の行動が浮く=全体が当たり前の状態にない、だと思うのです。
まずは自分から。
そう、自分から。
そんなことを思いました。
