今日の中日春秋にこんな文章がのっていた。
試験を前にした最後の授業で「何を出題するか今から教えます」と言って、学生たちを大いに喜ばせた。
「いいですかこんな問題です。『今年一年この講義で学んだことの中から自分で問題を作り自ら回答せよ』・・・これだけです」
中略
「結局いい研究ができるかどうかは、どれだけいい問題を自分で見つけられるかなのです。何をどう問うのか。それに尽きるのです」
教えてもらい。やらされる。これではなかなか伸びるものではない。
「やって見せ、
言って聞かせて、
やらせてみて、
ほめてやらねば人は動かじ」 山本五十六
今はこの状態。それでもなかなか思うようには動かじ。
好きこそものの上手なれ
とはよく言ったもので、まず好きにさせる。そしてうまくいかない自分を悔しいと思うようになる。そこまでくれば自分で問題点を考えるようになってくる。そこで指導されること、注意されることはどんな言葉も珠玉だろう。もう聞きたくて聞きたくて仕方なくなるだろう。
最初は基本をきちっと体にしみこませようと思っていたが、あまり押し付けはよくないかもしれない。基本的なことはしっかりと言いながら、強制しないでのびのびとやらせた方が楽しいかもしれない。楽しければ好きになる。どっちにしても癖は出る。その悪い癖は稽古の中で指摘し、打ってあげれば、おのずと直すはず。そこまでいかないとたぶん直らないし、その前に剣道が嫌いになってしまうのだろう。
横を向いている子に何を話しても、意味がない。向こうから聞きたくて聞きたくてしょうがないようにしていく。このあたりのくすぐり具合を考えて教えて行こう。
逆に聞きたい子は、休憩時間や早めに道場に来たとき、先生に聞いてください。出来れば自分で問題を作って自分で答える。そして答え合わせを私がする。
よく考えればこれが稽古。古を稽る(いにしえをかんがえる)ということでしょう。学校の先生のように一から十まで言ってしまってはいけない。自分で考えさせなければ成長しないのだろう。またこれをすることで人間的に成長していくことこそが剣道だと信じている。