神道〜わたしへの道 | ハラヘタマヘ〝わたしへの道〟

ハラヘタマヘ〝わたしへの道〟

この世の実相を探求しながら〝わたしへの道〟を楽しんで生きたいと思います。

神社家系という

環境で育った私は、

 

神という存在を自然に

認めてきたのですが、

 

いつの頃からか

神様に会ってみたい

と思う様になり、

 

 

神のお姿や声を拝したい。

本当のことが知りたい!

 

という好奇心に駆られて

を探求してきました。

 

 

結果、

 

神というものを

本当の意味で知るには、

 

神を体験する以外にはない!


という結論に至りまして、(笑)

 

 何度もブログに使わせてもらった志村けんノ神!ありがとう。

 

自分を探究する道を

歩むことになりました。

 

そんなわけで

 

へのは、わたしへの道

として、


ブログのタイトルも

更新したのですが、

 

 

わたしへの道を歩きはじめた今


わたしは、

わたしではないもの)を

沢山装着してきたことを知り、

わたし〟以外のものとは、すべて縁を切ろう!

 

と決めたのです。

 

 

・やりたくないこと
・目が食べたいと勘違いしてるだけで、体が欲してない食べ物
・相手に合わせた行動
・思ってもいない言葉
・依存している神
祖先
家族

・心地よくない服や靴

・損得勘定で繋がっている人

・自分が惚れ惚れしない振る舞い

・寝るときに今日1日を後悔する生き方

 

まだまだ沢山ありそうです。

 

縁を切るというと

少し大袈裟かもですが、

 

 

これらのものは、

記憶や習慣に流されて

固定化されてきた癖


の様なもので、

 

元々わたしの魂の設計や

記録にはないものです。

 

 

祖先、家族に対しては、

えっ!?と思う方も

多いかも知れませんが、

 

このふたつは

純度100%のわたし

を獲得するためには、

特に大切な縁切りなのです。

 

 

もちろん

具体的に人間関係を断つ

といったことではなく、

 

ヒエラルキー的な上下関係や、

所有の概念での結びつきを

精神的に断つ必要がある

と思います。

 

 

 

わたしたちが「自分」と

思っている自分の中には、

 

知らず知らずのうちに

取り入れてしまった価値観や概念、

そして、

記憶や記録が存在している様です。

 

 

肉体は魂の入れ物

と言われる様に、

自分以外の霊的な意識も

記憶や思考の中に

入ってくるのですね。

 

 

 

家族間では、

親の意思である、

我が子に「こうあって欲しい」

という期待や、心配という想念。

 

親の価値観や体裁による

子どもへの制限と教育


〜幼少期の感情の抑圧

 

自分の感性を獲得する前に、

他人や環境への適合を優先。

 

これらはわたしたちが

自我を獲得する前から

無意識に採用し、

 

外側の価値観に応じた形で

自分を形成してきました。

 


例えば、

 

親子間や夫婦間の、

お金による理不尽な力関係が

はたらいている場合、

 

(言いたいことが言えない。)

(離婚したいけど出来ない。)

 

といった不自然な抑圧が生じて、

 

自然な感情や感性を

麻痺させていった人は

多いのではないでしょうか。


(特に感情の抑制は、自我の発育と個々の遺伝子が持つ素晴らしい魂の記録と輝きを制御してしまい、自分と繋がりにくくなるのです。ですから特に幼少期の感情は出るがままに爆発させておいた方が良いのです。

ギャーギャージタバタとする子どもを、温かく放置して見守れる様な社会を作っていけたらよいですね!)

 


それから、

 

特に母から子への

過干渉は、自我の発育と

真の自立をお互いに

妨げている場合が多く、

 

わたし自身、

心配性の母親から受ける

言葉や想念から卒業する

のは本当に苦労しました。

 

 


 

祖先との間では、

 ex

「こうして欲しい。」という

子孫への要求の念波を、

 

無意識に自分の考えだと

思い込んでしまう。

 

といった様な、血縁による

コントロールはとても強い

ものがあった様です。

(血縁以外の祖先の場合もある。)

 

 

 

先祖がいい人の信号につながると、

生きている人はいい人になり、

      →(信号)

先祖が悪い人 → 生きている人間が悪い人

先祖が金持 → 生きている人間が金持

先祖が貧乏 → 生きている人間が貧乏

      etc. . .

 

という次第で、

本人の能力とは一切関係の

ないところで、

 

人生が上手く行ったり

行かなかったりしてきたのです。

 

(大転換の後 皇の時代より一部抜粋、要約)

 

 


意識の領域では、

因縁とかアカコードと

言われる電気的なラインが

形成され、想念が

相互交流しますので、

 

そういった信号を

誤った宗教観によって

不用意に受けとってしまい、


〝自分〟という魂の自立を

阻害してきたのです。

 

 

祖先との関係性と同じ様に


神と人間の関係においても、

依存的な宗教感の発展は

自らの力を否定する要因

となり、

 

団体意識や集団行動を促し、

個人が自立して生きる

ことを困難にしてきた

という側面があります。

 

 

すべては良し悪しではなく、

誰かが悪いというのでなく、

そういった時代だった。

 

ということなのですが、

 

 

 

純度100%のわたしから

発動したものではない、

 

他者の想念に従って

生きてきた私は、

 

不都合な出来事が

起きた時、すぐに

他人の性にしてきました。

 

「お前のせいで、、」

「あなたが悪いから、、」

「環境が、状況が、政治が…」

 

こういった反応はまさに、

他者の価値観に従うという形で


わたしがわたしのことを

疎かに扱ってきた証拠と

言えるでしょう。

 

 

自分を責めるわけでも

家族や祖先に反旗を

翻す訳でもありませんが、

 

満足を知らない

不安な時代の中、

お互いに依存し合って

生きるしかなかったのでしょう。

 

 

しかしながら、

 

誰かや何かのせいでは

自らへの気づきを

受け取り損ねるばかりか、


自分の人生を自由に創造

できるはずがありません。

 

 

 

親や家族や先祖であっても

 

みんな他人です。


 

絆というものの素晴らしさを

否定するのではありませんが、


 

この先、純粋な

〝わたし〟以外の

情報で生きることは

とても難しくなって

いくであろうと思います。

 


純度100%のわたし同士

となって初めて、

 

神や祖先や宇宙の存在、

もちろん人間同士や

自然界とも

 

どこまでも自由で、

対等に喜びあえる

関係が築けるので

はないでしょうか。

 

 

 

 

想念がすんなりと

具現化する世界。

 

自分が思っている通りの

ことが自らの世界に

起こっていく時代

 

 

自分とのパートナーシップを

しっかりと結びなおし、

 

わたしらしく自由に楽に、

楽しく生きる時代へ向けて

 

わたしへの道をゆっくりと


歩いて生きたいと思います♪


 

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懐かし〜 今だに新鮮な笑い🤣

 

冗談じゃなく、みんな自立した神になる時が来たのでしょうね。志村けんさんは時代の先取りをしてたのかしら^_^

 

 

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