未知なる餺飥を夢に求めて | Apologies

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このブログはフィクションであり、実在する事件、団体、人物との
いかなる類似も必然の一致です。

 
 
 
 
「すいとん」の話から「ほうとう」の話になり、それは食べたことないなあと。じゃあ食べに行こうぜって、「ほうとう」と言えば山梨だろと話がトン🐷トン🐽拍子に進みまして、山梨への旅と相成りましたw
 
 
静岡駅から特急ふじかわで進行方向とは逆の座席で東海道線を揺られ富士駅まで。

 

 

平日のせいか自由席も指定席もセミコンパートメント席もガラガラです。

 

列車は富士駅でスイッチバックして、座席が進行方向になり身延線へ入ります。

 
この日は晴天で富士山がよく見えましたが、写真を撮ろうとするとこれがなかなか上手くいかない。線路沿いの建物や構造物が邪魔だったり、身延線が蛇行しているせいか右手に見えていたのが、左の車窓になってたりで、右往左往しても撮れないものは撮れない💦

 

 

ようやく撮れましたが、山頂は雲に隠れていました。

 

しかし眼で見た景色って絶対に脳で補正されてますよね。遠くの物が遠いと認識しているのに眼前に広がったり、大きく見えたりするけど写真で撮ると全く別の物になってしまう。

 

そうこうしているうちに富士山も見えなくなり、富士川と野山の風景が続きます。

 

特急ふじかわは割と停車駅があり、そういえば身延駅は「ゆるキャン△」の聖地でしたか?あまり詳しくはないのですが、地方の活性化には繋がっているのでしょう。平日だからか、どの駅もそれほどの乗降客もなく、のんびりとした感じでしたね。

 

 

約2時間半の道中も終わり甲府駅に到着です。

 

甲府といえば、武田信玄、金山、江戸時代の甲府勤番としての左遷地くらいのイメージしかなく、鄙びた田舎街だろうと思っていましたが、甲府駅は中央線も乗り入れており、駅ビル直結のなかなか大きな駅でホームには歴史を感じさせる鐘やランプ小屋などの遺構があったりします。

 

 

なるほど「かふふ」で甲府ですか。

 

 

旧跨線橋を支えていた鋳鉄製の柱。

 

 

100年経ってもしっかりと建っています。

 

 

柱の下に文字があり「鐵●新橋 明三十六」と書いてあるのですが、どうしても●の文字が分かりません。

 

後日いろいろと調べてやっと判明しました。の異体字の略字?(それとも明治期の書体?)だったようです。

 

この●の字そのものは見つけられなかったのですが、以下の論文の中にその答えらしきものがありました。

第5回日本土木史研究発表会論文集 1985年6月 

 

この中に『「鐵作新橋 明四十」と鋳出された鋳鉄柱もある』と書かれていますから、まず間違いないでしょう。

 

 

改札を出て北口の広場へ出ました。時刻は11時前ですからお勤めの皆さんは仕事中ですね。

 

繁華街やオフィス街は北口の方ですが、それにしても人がいない。

 

 

甲府駅を跨ぐ陸橋と広場。本当に人がいないw

 

 

 

駅前の広場に何故かある擬洋風建築の甲府市藤村記念館です。幕末から明治初期に大工たちによって洋服建築を真似て設計施工され、国の重要文化財に指定されています。山梨県令だった藤村紫朗の指導のもとに建てられた公共建築で藤村式建築とも呼ばれています。睦沢村の小学校校舎だったものが武田神社に移築保存された後に、現在の甲府駅北口広場へ再移築され無料公開されています。

 

 

教壇やストーブ、奥にはオルガンなど当時を偲ばせる展示物があります。

 

 

ちょっとした所に和のテイストが残っているのは良いものですね。擬洋風建築には惹かれるものを感じました。

 

 

藤村記念館を見学した後、まだお昼ご飯には少し早いので武田神社へ向かうことにしました。

 

駅から武田神社までは武田通りで一直線で、桜並木がありその季節には素晴らしい眺めなんでしょうね。この通りには山梨大学の学舎や施設があり、行き交う人も皆学生といった感じで、若者の街といったところでしょうか。所々にある飲食店も学生向けのランチを出しており値段も安いですね。

 

時折現れる武田家家臣や縁の人たちの屋敷跡の案内図を見ながら歩いていると、ポカポカ陽気で暑くなってきました。雪が降ってるくらいのイメージの服装でしたから、上着を脱いでもまだ暑い🥵 神社までは緩い坂道になっているのと日頃の運動不足も祟っているのでしょうw

 

 

お腹も空いてきたなぁと何を食べようかと話しながら、のんびり歩いていますと古着屋の前に幟が出ており手打ち蕎麦の文字が見えます。よし蕎麦にしようと決まり(ほうとうやないんかい!ってツッコミはなしで😅)、店は何処だろう?と見渡すと営業中の看板に矢印があります。それに従って、どう見ても民家の敷地に入って行くと玄関に暖簾がかけられていました。

 

恐る恐る引き戸を開けて入ると「いらっしゃい」と元気な声で女将さんが出迎えてくれました。しかしやはりどう見ても普通の家です。靴を脱いで案内されたのは、やはりどう見ても縁側のある居間ですw 誰かの家を訪ねた感じの雰囲気ですね。

 

ビールと鳥もつ煮、もり蕎麦を注文して昭和薫る室内を観察します。

 

 

貧乏家庭には無縁の茶釜なんて、子供の頃でもそうそう見ることはなかったですが、火鉢には冬の暖房器具として随分とお世話になった記憶があります。

 

 

 

松竹梅の欄間、床の間など今は少ない懐かしの日本の家屋ですね。外国人旅行者なんかは大喜びでしょうね。

 

 

さて鳥もつ煮がやって来ました。

 

 

砂ずりとピーマンが甘辛く煮てあり、ビールによく合います。キャベツもいいですね。

 

気さくなおばあちゃんといった感じの女将さんの話しを聞いていますと、ここは昔の家で今は別の所に住んでおり、一階の一角を古着屋に貸し二階は大学生の下宿として貸し出しているそうです。そして蕎麦屋はお昼だけの営業だとか。

 

 

蕎麦は御主人が打っているそうで、コシが強くとても美味しかったですね。十割蕎麦かな?

 

お店は、手打ち蕎麦処「やかた製麺」さんでした。

 

 

腹拵えも済んで武田神社へサクサクと向かいます。途中、神社の前にある武田氏館跡歴史館 信玄ミュージアムへ寄り、武田氏の歴史と史跡などの予習をしました。

 

元々武田氏の居城である躑躅ヶ崎館である為、濠に囲まれており橋を渡っての参詣となります。

 

 

 

 

勇ましく猛々しい狛犬がお出迎え。

 

 

普通の松より葉の密度が高いのかな?

 

 

この松は葉が三本あり「三葉の松」言われ、高野山を信仰していた信玄が亡くなった時に高野山金剛峰寺の「三鈷の松」から種が飛来したらしいです。まあ実際は移植したのではないでしょうか。と身も蓋もない感想を持ってしまいましたw

 

 

本当に三本かどうか確認してしまう疑り深い性格www

 

 

 

檜皮葺の拝殿はとても良いですね。

 

 

中門と本殿。

 

 

信玄公御使用井戸。ほとんどの歴史的遺構の井戸の水は枯れていることが多いですが、ここはまだ水がありますね。

 

 

 

何故に境内にキティちゃん?その謎は⋯ 山梨王 キティちゃんw

 

 

 

サンリオが山梨発祥の企業だとは知りませんでした。

 

 

 

この後小一時間程、武田神社と躑躅ヶ崎館の遺構を散策しましたが、敷地の外れに謎の塔がありました。説明板などもなく、神社の案内図にも載ってませんでしたから神社の管轄外ということなのでしょうか。隣接する小学校から賑やかな声が聴こえていました。

 

 

さて宿への列車の時刻もあるのでブラブラと駅へ戻りましょうか。

 

 

 

 

途中見かけた南京錠。良い風合いに錆びてますね。

 

わたしの人生の錠前は錆びついて未だ開かず、このまま開かずの⋯となるのでしょうねwww