家庭内異文化理解の話

前回からの続きです。(前回 その1は→ここをクリック

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<その2>


息子側からすると、私は大ざっぱすぎる、きちんとしていないことになるらしい。

上記の会話も、言葉に忠実な息子側から見ると よくわかります。

息子からすると、「話の内容が違うものは違う」という点では論点はづれていません。


前出の 給食の話も、息子の中では

「給食」は 学校で食べる食事

「お昼ごはん」は、お昼に食べるごはん

学校で食べるのが給食だから、お昼ごはんとは言わない と言うのが成立しています。




だから、こういう捉え方をするというのを知って話すのと

自分と同じと思って話をすると、最初から話がかみ合わないのに

会話的には成り立ってしまうから

余計にややこしく、感情がこじれていきます(苦笑)


この、もともとの部分(文化と言っているのはここの部分)を

理解しあっていないと、怒られても全く響いていないことにもなり

お互いにとって、余計に勘違いがひどくなり、よい方向に向かわない(^^;)


自分にはない文化なので、お互いが話しをすることで、

社会とか、世の中で生きて行くにはどうしたらいいのかという

海外からの留学生に、日本での生活を教えていく感じに近いとおもいます。


畳を知らない外国人が土足で家に上がるみたいな話と一緒かと。

日本人がやったら、

「え、何てことすんのよ!!」と思うけど(=知ってて当然と思うから)

外国人が同じことをしても

「あー、知らなかったのね」と思えるのは、

外国人だから日本のこと知らないんだろう、という思いがあるから。

だから、仕方ないとあきらめ、次は間違えないようにと 日本文化を説明することができるのと

同じで、全くの異文化を持っていると思うと楽になるし、けんかにもなりにくい。

だから、感情ももつれず、良い意味であきらめやすくなります。

(自分の勝手な思い込みで怒ってイライラする ことがあるのを知ったのも

全くの異文化圏での生活で体験から学んだ大切なことの一つです)


これは、自分の常識を超えたことの多々起こったインドネシアでの2年間の生活が、

本当に役に立っています。  そう、「常識は疑え!」です。

相手には、相手の常識があることを認めないと、この話し合いは決裂します(^^)


で、話し戻して、先日の話題は、「髪を洗う」でした。

  (私も、毎回目からうろこで、もう驚くことはないだろうと思いながら、

   毎回びっくりすることだらけで、奥が深い文化です。だから、おもしろい!!)


あることをきっかけに、その話になったのだけれど、

息子が、「髪を洗う、髪の毛を洗うことだから、髪をなでて髪を洗うことだと思っていた」と。

だって、「髪の毛を洗うんでしょ」と言いました。

ちまたには、あれだけ、シャンプーのCMで、頭皮や毛根を洗っているイメージの絵や、

ゴシゴシ洗って爽やかすっきり!!みたいなメンズシャンプーのCMやら、

🎶 髪と地肌にメリ〇ト ~ 🎶とかいうCMソングやら、

髪を洗うイメージできそうなものは、あんなにたくさんあるじゃない!と心で思いながら、

今までも、本人と会話をしてもつじつまは合っていたから、お互い同じものを見て

「話ができていた」と思ってたけど、まさか、根本がずれてたとは・・・。

会話は全く成り立っていなかったのかぁ・・・

髪を洗う=地肌も洗うって、わかっていると思ってた。

というか、そんなことを 疑問に思ったことはなかったなぁ・・・。

けど、まだまだ私が甘かったんだなぁ(毎回思います^^)・・・。

と、一人で勝手に自分に突っ込んで、

「さ、異文化理解会議しよ」と、


こういう時に、異文化会議になっていくわけです。

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で、本題の「異文化会議」は、その3へ続く

 その3は →ここをクリック