認知症を全国の医療・介護・福祉の関係者と考える消しゴムメモリーのブログ -2ページ目

認知症を全国の医療・介護・福祉の関係者と考える消しゴムメモリーのブログ

認知症・若年認知症にかかわる人たちとの交流を深める目的です。
まったく知らない方にも、一つの社会問題として知ってほしい。
全国の認知症の情報等を伝えていきたい

認知症の人達から気づかせてもらった課題に対し、共に協力して解決していく第一歩を書きました。
活動の課題は、多くの人に取組を伝えていくことができていないことなどがあり、もっとデザインの思考を高めたり、多種多様の人達とのネットワークを広げる事等を行い、地域の将来像をみんなで共有して、複合的な地域課題の解決に向けて活動したいと考えています。
http://www.caretomo.com/carezine/article/9/189/?fr=mlmg-new
半年ぶりのブログですね。

フェースブックにはまり、ブログできず。仕事も急激に忙しくなりました。

明日、商店街×認知症フレンドシップ×女子大生×ロックバンドイベントがあるんですよね。

みんなで、マイケルジャクソンの振り付けを踊り、子供からお年寄りまで、ただの住民としてつなががって、盛り上がっちゃえと。

専門職的目線では、認知症の人が一緒に地域のお祭りに参加するんです、人として交流できるんです。これは地域包括ケアとしても・・・。

地域住民からの目線では、人として参加するの当たり前やん、病気したら参加できんのか。ややこしいこといわんと、みんなで楽しも。困ったら助けたるから気軽に声かけや。住民として当たり前やん。

専門職的には、そんな理解のある住民の方に出会うのは初めてで又ラッキーです。これが地域のモデルとして・・・

地域住民的には、アホちゃう。認知症やしょうがい者やって、誰か嫌がったか。お客としてちゃんと接してるそれが俺らプロや。いちいち、小難しい話するな。福祉の奴は、小難しいことや屁理屈な奴多いな。おまえらが、一番住民目線から離れて、偏見持ってんのちゃうか。

商店の人と普段から接していると、各専門職のプロとして、料理、眼鏡屋、八百屋等等の知識と人への心配りで、接している。認知症の人にあわせた支援がそれぞれにある。福祉の専門職が、各業界の支援を知らないことのほうが多い。自分達が日々地域住民と接していないのに、地域の協力が・・・企業は・・・と陰口言っているけど、実際は、福祉の専門職より、地域住民のほうがよく考えている場合もあるんじゃないかな。ただ決まったことを日々するだけでなく、日々のお客さんに柔軟に接しているし、努力している人タクサンいる。

福祉の専門職の目線はどこにある!誰の目をきにしているの?あなたの目はいきていますか?

あなたは、楽しめていますか。日々充実した生活をしていますか。あなたは、なぜ私を・・・

認知症の人~もいろんな目で、専門職をみている。

さあ、明日は、地域住民として、お祭りをもりあげよう。地域住民のみんなと一緒に!























若年認知症の方のインタビューを県で行ったときに、

「認知症をなげいていても、前に進まない。俺は、最後まで認知症と闘うぞ。俺はできることを精一杯やって、日本や認知症の人たちに希望を与えたい。そのために、俺に協力してくれ。応援してくれ」と言われた。僕の胸には、深く響きました。


一緒にやりましょう。熱いメッセージをもらい非常にうれしかった。


先日、認知症フレンドシップの奈良県支部を発足し、地域の人と認知症の人をつないでいき、地域の社会的問題、課題に対応していこうと思っています。


企業の方々も、認知症問題を、若手ベンチャー企業家やイノーベーション会議で、認知症をテーマに話をしてくれています。


多くの仲間がつながっていく実感を感じています。すごく希望もみえましたし、日本から海外の仲間とのつながりも今後つくれそう。やっと明るい希望が出てきました。


大変だけど、これから壁もあるけど、仲間と闘える挑戦できることがめっちゃうれしい。


若年認知症、高齢者認知症を考えるイベントを明日奈良でします。東京の先駆者、北海道の先駆者がゲストで来てくれます。


 奈良も若年認知症実態調査の中間報告がでて、非常にいい調査内容であるとうれしく思いました。今年度末には完成予定です。支援者としても貴重な資料として大切に使えるものです。


 40歳未満が非常に多くいることがわかり、障害者サービスの利用も多いことにきずきました。高齢者分野と障害者分野の連携がいまひとつで、情報が停滞していましたので。


 若年認知症の方と一緒に大学の講演でトークライブをしています。家族さんともしています。いろいろな大学で、学生に伝える。専門職よりも、本人の声が一番大きく、心に響くものであることを実感しています。


この認知症のことを、まずより多くの国民に知ってほしいと切実に思います

 若年認知症の実態調査を県内で行っています。しかし、現場で問題提起をしている人や行政の問題を指摘している人が、アンケート協力をしていない現状に、寂しさや疑問を感じてしまう。県が若年認知症の問題を考えようとしているのに、現場がこの対応では、今後の問題を考えてもらうときに影響しないか不安になってしまう。


 福島の被災地の若年認知症のご家族からもSOSをもらった。地域の理解が乏しく、施設利用にも支援者の理解が乏しく、原発の問題と若年認知症問題が家族を苦しめている。奈良では、少しずつ理解が増えているが、それでも、まだまだ、少ない。全国の方々に、早くこの問題を知ってほしいと願う。


 被災地の問題を、奈良の公園で、若年認知症のメンバーさんと、野球の練習をしながら、何ができるのかと考えていた。なかなかいい案が出てこないのだが。

メンバーさんは、野球部で、120キロ近くの速球が今も投げられるので、僕の中指は、内出血している。認知症でも、まだ野球は負けんと。僕も野球をしていたが、さすがに完敗だった。奈良の青空をみながら、福島の若年認知症の方を思っていた。


地域を結ぶ大漁旗 寄贈プロジェクト
★プロジェクトの背景
『新年に復興のシンボル「大漁旗」を全世帯分飾りたい』 

 一人1万円で一つの大漁旗を作る
 石巻市北上町十三浜大指地区。石巻市の最北端に位置するこの地
区は、東日本大震災により40世帯中15世帯が全壊、70隻あっ
た船のうち55隻が流されました。約9割が漁業従事者。そして驚
く事に住民180人中50人が高校生以下という多子低齢化という
表現がぴったりのコミュニティー。毎年お正月には船に大漁旗を掲
げる風習があり、復興のシンボルとして港に並ぶ大漁旗を、何とか
して年末までに全世帯(船)分みんなの力でお送りしたいとの話がある。この後、贈呈者と漁師さんの交流や贈呈者同士のネットワーク作りも行っていく。


前向きに、ネットワークを使って、復興への希望や光を一緒に見つけていくプロジェクトから、若年認知症の問題でも、前向きに、希望が見えるプロジェクトを考えないといけないな。


自分の器を広げようと旅にでております。多くの人と出会い、多くのプロジェクトに参加する。


仕事と活動の両立のためにブログを書く時間もないほどの多忙な日々でしたが、得るものもたくさんありました。


ある場所では、

認知症は、精神障害者でなく身体障害者ではないのかという議論。


介護保険の分母で、認知症の方の尊厳は何%守られるのかという議論。


日米関係と国内福祉従事者の関係性の議論


高学歴者の多い職業における介護業界の存在


富裕層と介護保険


無からの想像ができない若手介護職員の依存体質とは


海外におけるチャイナの存在、経済関係から、国内介護をみる


アジアの高齢者問題と国内介護情勢


仏教からみる介護の世界


等など、たくさんの考えを聞かせていただきました。少しやらなければならないことが見えてきた気がします。


現在の福祉の形も大切です。しかし、このままのシステムを受け身の姿勢でいると、認知症の方の尊厳は当然守れない。今よりも悪化する可能性が大きい。ならば、新たな器を生み出すことが必要なんだと改めて実感。


国際化といいながら、言語能力が低い自分を変えなければならないし、無から生み出すことやネットワークの構築、歴史から学び、未来の介護の扉を開くための準備又、素早い判断をするための準備等等、自己啓発のための投資をしようと思う日々でした。


しかし、楽しいひと月で、社会活動の在り方や地域の活動の作り方等の実践をみると、素晴らしいものがたくさんあり大いに参考になりました。

まず、「できない」という言葉ですが、個人的に嫌いなんですよね。この言葉がやっかいで、流行りだすとすべての取り組みに浸透し、蔓延する言葉だからです。かといって、「できない」ことを無謀にすることでなく、その事柄でできることは何かを考えるようにしてます。できることを考えた上で、埋まらない部分ををどう補うのか、そして最終的に何が問題で、そのミッションに不都合がおきているのかを洗い出したうえで判断をするようにしてます。「これさえできれば対応できる」という報告と「これができないので対応しかねる」という報告であれば、前に進もうとしているのかしていないのかという感情は前者のほうがいいのではないかと考えているからです。


 自分自身にあきらめないようにしているのですが。


 今日も、できませんの言葉を聞きました。なんとなくできません。どう考えても無理。どう考えたんでしょう。なんとなくって何だろうって疑問がわきます。本人がわからないので、僕もわからない。


 今すぐやってとは思っていないし、そんなすぐにできることではないこともわかっているけど。少しでも前に進むことをあきらめないでほしいんだけど。なかなか大変だ。

ジョブスのように、できないという技術者に、できないなら、この場をされと言えれば、出来ない病がなくなるのかな。介護での大きな革新ってなんなんだろう。


 海外で働く友人たちがよくみえるのは何だろう。日本のこの閉塞感はなんだろう。今日は、なんだろう病にかかってしまった。










事業所で、水分摂取量が低下中のおばあちゃん。食事量の落ちたおじいちゃん。

「もう少し飲んで」

「もう少し食べて」


この声掛けは、お互い疲れるような気がする。


じいちゃんとばあちゃんの目の前で、みかんとお寿司とメロンパンと卵焼きを出して、

自分のご飯として食べる。(どんなごはんメニューなんやはおいといて)


ばあちゃん「みかんおくれ。たまごおくれ」と何もいわずに食べる。たべたら、お茶も勝手に飲む。(みかんでも水分補給になるけど)


じいちゃん「寿司もらうよ。パンくれるか」とすすんでたべる。3人で、ワーワーいいながら。


食べたくないには、いろんな理由があるんだと思う。

海外に旅行に行って、数十時間飛行機に乗っていると、何回も食事が出てくる。こっちは、座ってるだけだから、そんなにお腹もすかない。食べるのもうっとうしくなる。だから、拒否することもあるし、グアムでめっちゃまずい中華料理屋があって、ラーメンもゴムくさいし、ご飯もくさい、全部残して帰ったこともある。おいしくないからもある。

気分的に冷えたお弁当は嫌な時もあるし、昨日の残り物が嫌な時もある。でも、焼肉屋や鍋なら食べたい意欲がわいたりする。

うちのじいちゃんは、一日2食、近所のばあちゃんも一日2食、1日3食バランスよく食事することも大事だけど、本当に3食がいいのかな。じゃない人もいるんじゃない。


建物の中にいるだけじゃ、食欲わかないし、座ってばっかりじゃお腹すかんし、まずけりゃいやだし、食べたいものと違う食べ物なら嫌だし、量的にちょっとでいいときもあるし、(年取ったらおいしいものをちょっと食べるのがいい人もいるし)全部食べたくない日もあるんじゃないのかな。



週末に厚労省より、認知症グループホームの要介護1・2の利用者の介護報酬を下げる旨の内容の情報があった。詳しくは言えないが、非常に大きな介護報酬の減で、小規模等の単価に合わせるのではないかと思われる。そうすれば6万ほど下がってしまうわけで、これは大きな打撃になる。なんとかこのままではいけないと、協会では、請願書を急きょ集めるのだが、来週の月までとまた時間がない。最終手段で、効果があるのか、やるだけやってのような戦法。

波の無いレベルとたかをくくりすぎたか。ここまでひどくなくても、フラット化の維持は困難になりそう。介護報酬が下がり、質のための体系は強く求められる。事業所の運営は、本当に苦しくなるだろう。確かに経営者のみが営利を得ているところもあるが、志で職員を育て、安心して認知症の方の生活が営めるよう事業所も多い。デイも居宅もだが、安易に単位を下げられることは、仕方がないとあきらめてしまうと、志ではできなくなり、銭勘定を嫌でもしないといけなくなるのではないか。


今週は、この請願書の件で時間をとられそう。現場は、小さな幸せを日々探して、努力しているのだが。曇りの心で仕事をしていると


ある職員が、「学校の非常勤講師の依頼が来た」と、それはよかった、行っていいよと、で報酬の話を聞いてびっくり。

一コマ5000円で、駅から学校までタクシー必要で片道2500円 往復5000円

電車代が片道1000円の往復2000円


5000-5000-2000=-2000円 教えに行ってマイナスだよ。でも、伝えたいことがあるので、講義するらしい。思わず笑ってしまう。この思いで、運営できればいいのだが(笑)

忘年会のシーズン前に飲み会が増えている。奈良の福祉職のオフ会、場所は王将

餃子山ほど食べて、飲み放題で2000円はやすい。お釣りもあったし。

それより、ゆっくりと交流でき、新たな人脈も、つながりも深まった。働く場所は違えども、利用者に対する思いや志は一緒。思いを出せる場所もそうでない場所もあるけれど、それぞれ必死に働いていることがわかった。カンファでもめることもあるけれど、こういう場で人を知れば、考え方も知れば、さらに深いカンファになっていくだろうと感じた。


この交流会よりも、刺激的なのが若年認知症の先輩たちに誘われた男子会。これがまた僕を新たな世界へと連れていてくれた。介護・ケア・支援そんな言葉がこの男子会になかった。でも考えればこれが普通なんだ


買い物行って、「あれたべよう」「これも」「買いすぎ」「いやたべれる」といいながら買い物し、一人暮らしの先輩宅へ。「どうする」「とりあえず部隊をつくろう」「かたづけ」「野菜切る」「肉切る」「え~まな板ないで」「買ってくるわ」「持ってきた鍋、IHちゃうで」「え~コンロ使えん」「もう~」といいながら、それぞれの役割をこなしていく。めっちゃ自然。この空気が大好き。できるひとができることをする。だから、そのひとのままでいい。なにも気にしなくていい。


乾杯して、食って、ビール、食って、日本酒、食って、ワイン、食って、本当に山盛りの買い物を食してしまった。大学の教授もケアマネも精神保健福祉士も社会福祉士も介護士も若年認知症もなんも関係ない。ただの男子会。


仕事の愚痴を言い合う。「支援者に一言」「えらそうな態度や」「「わからんと思ってさぼってるやろ」「煙草ばっかりすいすぎや」「俺らのほうが働いてるぞ」「お前らのほうが失敗おおいぞ」「お前らとおったら認知症忘れるわ」等、笑いながら、支援者を滅多切り、僕らもまけずに「俺らよりタバコ吸ってるやん」「どっちがサボってるよ」と言い返しながら、大爆笑。職場でのノミニケーション。いいたいことを言い合う。


でも、認知症の話をする先輩は真面目に、「認知症の俺らのできることは知れてる。でも生きるんや」「少しの可能性にかけて、治験もする。ほかの人の役に立つかもしれん。」「やれることをやるだけ。負けたらあかん」と、僕たちの思う何十倍も何百倍も病気と闘っている。


質の悪い支援者だが、「お前らは、もう、なあなあで、しゃべってええよ。仲間やから」「でもな、初対面でええかげんな話し方のやつはかなわんで。最初は、尊敬語、丁寧語で話してほしいな」声掛けも、いつまでも、丁寧語ではおもんないし、心が通えば普通にしゃべろうや。この言葉が、どんな講義よりもしっくりきたコミュニケーション講座。


「認知症の事でわからんかったら、それぞれに聞け。教えたるから。」これも、どの支援の講座よりもわかりやすい先生が目の前にいた。


でも先輩たちは、できない自分を感じ、でもできる自分を想像し、努力するもできなくて、でも周りにはできるように取り繕ってしまう自分に葛藤し、病気の不安やつらさを見せまいと、それ以上のパワーで明るく、元気な姿をみせ、出来の悪い支援者を支えてくれている。


「おじさま。ここにすわってください」「このドアはあきませんのよ」なんて、お前らは絶対言うたらあかんよ。「言うたらしばくでほんま」将来に描く支援の場は、先輩たちの不安の種になっているんだ。


僕たちにできること

「俺の家に10人の仲間が来た。認知症になった俺の家に。俺は一人じゃない。一人やないんや。一人で悩まんでもいい。悩んだらこの10人に話したらいいんやな」

って、先輩に言われた。その通り。ただ、飲んで、食べて、わいわいするだけ、ただそばにいるだけ、そしてたがいの存在を確認できればいい