どうも、しみずふとん1です。

 

 

 

 

幼児期を振り返ると書いておきながら、語彙力の話です。

 

 

まあ、広い意味では振り返りだよね!

 

 

 

私は以前、小中学生に塾で国語を教えていたのですが

(詳しくはこちらをご覧ください

 →◆自己紹介1 ◆自己紹介2 )

 

 

 

当時から、

 

 

語彙力がある子とない子の違いは何なんだろう?

 

 

と考えていました。

 

 

 

当り前ですが、

 

 

言葉を知っている子のほうが

文章を理解することができます。

 

 

というか、

 

言葉を知らなければ

文章を理解することはできない

 

 

のほうが正しいかもしれません。

 

 

 

まあ、当たり前っちゃ当たり前なんですけど。

 

 

 

外国語の文章で、知らない単語が多すぎたら全くわかんないのと同じです。

 

 

 

言葉を知ってる場合は↓だけど、

 

むかしむかし、シンデレラとよばれている美しく心の優しい娘がいました。 シンデレラのお母さんはなくなり、新しいお母さんがやってきましたが、2番目のお母さんはとてもいじわるで、さらにその連れ子である二人の義理の姉からは美しさをねたまれ、毎日いじめられていました。

 

 

言葉を知らない場合は↓のように感じるはずです

 

むかしむかし、シンデレラとよばれている××××××がいました。 シンデレラのお母さんは×××、新しいお母さんが××××××、2番目のお母さんはとても××××××、さらにその××××××である二人の××××××からは×××を××××××、毎日××××××ました。

 

 

 

 

難易度の高い文章はこんなふうに感じているはず。

 

 

 

「語彙」とは「知っている言葉の数」のことですが、

 

 

 

なぜ言葉を知っている子と知らない子がいるのか?

 

 

決して幼児期に言葉のカードやドリルをやっている子ばかりではありません。

 

 

そもそも、昔はそんなものはなかったですし。

 

 

 

これについての答えの1つが、この6年間の幼児期の間にわかりました。

 

 

言葉を知っている子と知らない子の違いは、「推論」できるかどうかです。

 

 

 

私は大人の方にも文章の読み方や思考の仕方を教えているのですが、

 

 

言葉の理解が弱い人は推論の力も弱いことに気づきました

 

 

 

正しい「推論」ができなければ、

正しく読解できない

 

 

ということは、国立情報学研究所教授の新井紀子先生の研究であきらかにされています。

 

 

(こちらも参考に:本を読むために必要なこと②

 

 

「推論」ができないと「読解」はできないのですが、

「推論」ができないと「語彙」も増えない。

 

 

というのが、今の私の考えです。

 

 

そもそも、言葉というのは丸暗記していくものではありません。

 

 

普通に考えて、

日本語だけでも膨大な数の言葉を

いちいち教えることは不可能です。

 

 

 

ここがポイントです。

 

 

つまり、

いちいち人から教えられなければ言葉を増やしていくことができない状態だと、語彙力は弱くなります。

 

 

 

言葉というのは、子ども自身が勝手に増やしていける状態を目指さなければいけません。

 

 

そして、その状態になるために必要な力の1つが「推論」の力です。

(もちろん「推論」だけでは不十分ですが、「推論」ができないと無理です)

 

 

 

結論としては、

 

「語彙力」を身につけたいなら

正しく「推論」できるように育てる

 

となります。