今日6/17は、ご存じの通り桐生一馬(と名越稔洋さん)の誕生日
桐生チャンは56歳、名越さんは59歳
最新の桐生チャンの状況⇧を考えると、素直におめでとうとは言いにくいけど、一応大丈夫だと信じてお祝いしときます
相変わらずどっかの公式()は、在庫余りのグッズ並べまくって「祭壇作りました~」ってバカみたいにやってるけど、初代からの桐生チャンの歩みや『8』での状況を考えたら、あんなバカ騒ぎ出来るはずないんだよな。
スタッフの劣化が激しすぎる。
あいつら目先のカネの事やSNSでのバズりしか頭になくて、作品や桐生チャン本人に対する思い入れないやろ
一番や春日チームだけでは手詰まりだろうから、どうせ近いうちに適当な理由で桐生チャンのこと復活させるよ。
今の龍スタは桐生チャンや兄さんの事をただの「金のなる木」としか見てないのは、グッズや誕生日くじ乱発の現況から見れば明らかなんだから。
古参キャラを単なる金儲けの道具としか扱わないなら、とっとと潔くシリーズごと店終まいしろ銭ゲバ龍スタ🖕
それは置いといて、先日『8』の“答え合わせ”のインタビューが掲載されてました
『8』のストーリーに関しては制作側とユーザーの評価が相変わらず全然違うけど笑、主な気になるポイントを思い出しがてら色々箇条書きにすると⇩
・ただの序盤のモブで終わった佐々木の話
・唐突な一番とさっちゃんの恋愛パート
・ナンバと足立のポリコレツイフェミ化講座
・トミーのドワイトへのリベンジ
・よく分からん理由で昏睡強盗に踏み切り、よく分からん理由で第五地区に身を隠し、花輪とウォンが死ぬまで英二のスパイなのを黙ってた戦犯千歳
・そんな千歳を「遺灰は盗らなかったから無罪」で許してナカーマしてしまう春日
・桐生チャンの病気の話
・元暴と核廃棄物という「ゴミ」の処分という大テーマにかこつけて、ガンの原因“かもしれない”でサブリミナル的に差し込まれる桐生チャンの処理場作業員設定
・パレカナが街中にウヨウヨいる状況で呑気に浜辺で茜さんと黄昏れる春日
・ハメられた“かもしれない”だけでヤクザへの復讐に全振りするエイちゃんの雑な動機
・制作側大プッシュの山井の話
・漁村で隠居する「三島」
・沢城プレゼンツ「真の大解散」(未遂)
・高部がムショで重体とかいう出オチ情報
・荒川の落胤という唐突な海老名の過去
・その海老名の結末をロクに描かず、エピローグの「誰かに止めて欲しかったのかも」だけで済ませる雑なまとめ方
・つい数日前までハワイでブライスと取次してたのにEDでなぜか急に落ちぶれるエイちゃん
・そんなエイちゃんを当たり前のように許してボンボヤージュしてしまう春日
・MVの再現演出したいが為にとって付けたように流れる「ありあまる富」
クリア後のこちらの記事⇧でも書いたように、『8』は部分的に制作側がこういう所を見せたいというのは一応伝わりました。
(共感するかはまた別の話)
ただ『8』の悪い所は、
・一つ一つのエピソードが単発的で、物語全体を一本の軸として繋げる背骨が通ってない
・一部の重要キャラクターのバックグラウンドの描き方にムラがあり、話の〆方も雑
・それらの要素によってキャラクターへの感情移入が出来なかったり演出が単発的になる事により、プレイヤーが受ける感動が薄っぺらい。
(実際インタビューで横山・竹内両氏が補足的に意図を説明してる事が、ユーザーに伝わってない&共感されてない事の裏返し)
このインタビュー(特に横山・竹内両氏のコメント)を読む限り、こういう演出を見せたい、こういう話をやりたいという各自のリクエストを雑に積み上げていった結果、始めから終わりまで一本の軸が通ってない、まとまりのないシナリオになったのではないかと。
色んなトピックを伏線であるかのようにばらまくけど、何処かで繫がってくる訳でもなくただ出しっぱなしのまま終わる。
そういう意味で私は、『龍が如く8』という作品は一つのまとまった物語ではなく「単発エピソードの詰め合わせセット」だと思う
インタビュー読む限り、大枠の構成と特定のシーンの演出以外はほぼ竹内氏が担当したようなので、結局これは竹内氏の力量の問題かな。
ただ竹内さんは「エンディングノート」でも関わっているとの事で、こっちは素晴らしい出来だった訳だから必ずしも全部がダメって事でもなさそうだけど。
そういう意味では、『6』の山下達郎祭りもそうだったが、「特定の楽曲だけ流しとけ!」とばかりに音楽だけに演出を丸投げして、今回もそこ(ありあまる富)ばっかりに異様に注力して自分だけ満足してる横山氏も問題あるけど。
比較して悪いけど、ジャッジシリーズや7外伝を見る限り、古田氏なら『8』のシナリオでももう少し上手くまとめられたのでは?と思う。
勘違いしないで欲しいのは、古田氏のシナリオ=自動的に完全無欠と言ってる訳ではない。
細部だけ見れば、名越さんがグリップを握り、古田氏が脚本を務めたジャッジシリーズでも、一部ツッコミ所となるようなガバガバポイントはあるにはあった。
(一介の研究員の生野が完全犯罪を成し遂げる、病院の渡り廊下に“爆破して下さい”とばかりに不自然に置いてあるガスボンベ、新宿駅の桑名と江原の入れ替わりのトリックetc.)
でも名越・古田コンビと横山・竹内コンビで決定的に違うのは、全体の物語を貫く一本の軸がしっかり通ってるか通ってないかという事。
ジャッジシリーズの場合は法と正義、認知症、イジメ、私刑などの物語のテーマがハッキリとあり、それを巡ってキャラクター同士が自分の正義をぶつけ合い答えを求めていくからこそ、全体としてプレイヤーに投げかけられるメッセージがあるし、だからこそ印象に残る。
反面『龍が如く8』ではそういったプレイヤーに訴求できる社会的なメッセージ性やドラマ性は存在しなかった。
(元暴と核廃棄物を“ゴミ”という共通項で繋げてテーマっぽい体裁だけは一応整えてはいるが)
インタビューで横山氏が「物語を作る時にテーマは決めてない」とハッキリ明言しているが、 これにより、私がクリア後に書いた上の記事⇧での「推論」は大体当たってたという事になる。
大事なのは、ツッコミ所が多少あろうがプレイヤーの印象としてどれだけ深く焼き付けられたかであって、その要素がシナリオの出来でも、キャラクターの出来でも何でもいい訳です。
その点で『0』やジャッジシリーズは大きなインパクトを残せたからこそ世間的な評価が高く、ゲーム面で過去一の出来ながらもそこがダメだった『8』は満場一致で傑作とは言いづらいだけという事。
龍が如くも長寿シリーズに足を踏み入れだして、ゲームとしての面白さは確実に右肩上がりだけど、ストーリーに関しては横山氏がグリップ握ってる限り正直あまり期待は出来ないな。
で、本日もう一人の主役・名越さんの動画
名越さんもプロダクション面におけるやらかしが無い訳ではないけど、それは例えば『3』みたいに“チャレンジした上での失敗”だった。
その点では、自己満足ばっかり優先してロクに自分たちの狙いすらユーザーに伝えられない現体制よりは遥かにマシだった。
まぁやっぱり『龍が如く』は名越稔洋のIPであって、横山昌義のIPでは無かったって事だな。
あり得ないけど、また名越さん戻って来てくんねぇかな~
初代『1』の頃は40代だった名越さんも来年遂に還暦だけど、お元気でいてくださればと思います