龍が如くシリーズでもお馴染みのサブキャラの一人とも言える曽田地康夫。
かなり前の記事で“言いたい事がある”と宣言したように、今回はこの曽田地康夫について掘り下げたいと思います。
(月初めに書き終えてた記事を今更出します)
曽田地の初登場は13年前の『龍が如く4』でのサイドコンテンツ「No.1格闘家を作ろう」(格つく)のメインキャラとして。
優れた格闘理論を持ちながら実戦が弱い道場主の曽田地が冴島に弟子の育成を依頼、そのお陰でチャンピオンを次々生み出していき道場規模も拡大する。
その中で、時折おふざけが過ぎる曽田地のキャラクターや一癖ある弟子たちとの交流ドラマがコミカルに展開されました。
続く『龍が如く5』でもサブストーリーで登場。
引き続き道場を経営し、冴島と再会を果たすも、悪徳不動産業者からの買収攻勢に晒されてピンチに。
この時は普段の変なノリのおふざけモードから一転して、道場を守る為の熱い決意を示し、冴島と共に道場を守り抜きました。
…ここまでは良かった。
しかしここからこの男の変節・迷走が始まる。
続く『龍が如く6』でも登場。
ここでいきなり、「不動産の価格上昇したんで道場売っ払いました!テヘッ」と悪びれもせず宣言してしまう人の変わり様。
いやいや、アンタ悪徳不動産から体張って道場守ってたやん!
「金の問題じゃない」ってハッキリ言うてたやん!
「冴島さんたちとの思い出の場所を守る!」って言ってたのに、4年経って「やっぱ思い出よりカネの方が大事やし…」って、おかしいやろ!
確かに曽田地という人は、普段は軽いノリでおふざけが過ぎる事もある人ではある。
でも彼にとって道場とは自分の人生そのものであるはずだし、実際にそうしたように、いざという時にはその大切な物を守れるぐらいの熱量と芯の強さを持った人であったはず。
それがわずか数年でなぜこうも変節したのか?
昔の記事にも書いたけど、メタな事を言うと、曽田地のヘラヘラっとした軽いノリの部分だけ抽出して「曽田地ってこういうキャラでしょ?」という誤認識のまま『6』の曽田地を描いてしまったのが全ての元凶のように感じる。
しかもこのキャラ改悪は長引く事になり、ここで中身も信念も何もないガワだけのスカスカの曽田地像にしてしまった事がこの後も尾を引いていくのである…
私が「オイッ!」と思ったのは、仲間になる時の曽田地と浄龍(桐生チャン)とのやりとり。
「え~?あなたみたいなオッサンの事は全く知りませんよ。」
いやいや、思いっきり面識あるやろ!
いくら桐生チャンが“名を消した”状態とは言え 。
『6』で「僕の鍛えた力を桐生さんに試したいんです!」って頼んだのどこの誰やねん!
しかもこの2人、実は『4』でそもそも面識あるんですよ。
冴島が育てた弟子をタッグマッチのパートナーに使って下さい!って曽田地の方からわざわざお願いに来る…という単発の会話イベント。
『6』のサブストでは、曽田地はこの事にちゃんと触れてて桐生チャンは忘れてるんだけど、『7外伝』では曽田地は知らんぷりで、桐生チャンはボンヤリ「コイツ見た事あるな~」ぐらいの認識。
そもそも曽田地は冴島がメインで絡むキャラだし、『4』での初対面もチャチャっと絡むだけの会話イベントなので覚えてる人の方が少ないと思う。
ただ『6』では明らかにガッツリ絡んでるし、ゲーム上エンカウントで何度も戦うイベントもあるんだから、双方お互いを知ってないとおかしい。
それを、桐生チャンが“名を消した”状態だからとは言え全く覚えがないなんてリアクションは有り得ないのでは?
フェーズは違うが、ストーリー本編のキャラはほぼ全員浄龍=桐生チャンと気づいてるのに。
そして懲りずに『8』のドンドコ島のイベントでも登場する事がPVで示されている。
どのツラ下げて出てくるんや!…と思うけど、ただ今回絡む相手は一番なのでキャラのブレという心配は無いのかも知れないけど。
何が言いたいかというと、いくらサブキャラとは言え、キャラクターの設定やブレてはいけない部分ぐらいちゃんと統一しろよ!と言う事。
特に作品をずっと追ってるファンならば、何作にも渡って登場するキャラが突然キャラ変した事への違和感はこのようにずっと残り続けます。
曽田地のキャラのブレなんか気にするファンは相当龍が如くをやり込んでる人ぐらいだろうからいいものの、本編のメインキャラでこれやられたら、世界観ぶち壊しでたまったもんじゃない。
ただそういう事を“サプライズ”だと勘違いして今まで余計な改変を加えてきた人が「 ユーザーの意見?だからなんだ!俺らは神!ユーザーは黙って俺らをマンセーし続けろ愚民どもが!」とのたまってスタジオの代表に君臨してるので警戒感は尽きない訳ですが。
いずれにせよ、過去キャラを単なる古参ファンの集客要員として出して終わり!ではなく、それぞれのキャラの「核」となる部分は壊さずに気を配って欲しい。
でないと私が『6』をやった時に思ったように、制作側の作品に対する愛情の欠如が透けて見える事で、回り廻ってスタジオの信用を落とす事に繫がるとも思うので。
…というのが、この記事で一番言いたかった事です。(終わり)











