これまでの私、これからの私 A Girl In Tokyo -3ページ目

⑦人生サイコウに勉強しましたって! 3年生編

3年生になった


毎年あるクラス替え。またもやAKと同じクラス。

そして、今でも大親友のタカとの出会い。

担任はK先生という社会の先生。

さーさー、はじまりますよ!


学校の学期は4月から始まる。

けれども塾の新学期は2月から始まる。

1997年4月、私は早くも受験戦争をひしひしと感じていた。


塾のクラスはSSクラス。

男の子3人、女の子3人。

1年生から同じメンバー。

SSクラスの特別な行事が始まった。

他校との合同授業だ。


私が通っていた塾は、埼玉県でかなりの強みを持つ塾だった。

そこでは毎年、中学3年生のSSクラスは合同で週一回数学の授業があった。

目的は、難関校の受験問題に慣れること。

そして、他校の生徒と切磋琢磨すること。

数学嫌いな私は、当然ビビっていた。


毎週土曜日、電車で20分かけて他校で授業。

当然、出来が悪いと即サヨナラ。

学期ごとのテストは恐怖以外の何ものでもなかった。


自分の塾のクラスメイトのミホに助けてもらい、

なんとかかんとか付いていく私。

思うように伸びない成績。


当時、月~土まで毎日塾という過密スケジュール。

当然、ストレスは溜まる。

部活でひたすら泳いでは発散する毎日。

若い…今考えると体力があったな…

でも当時はそうやって生きていた。必死だったのかもね。


秋になると、代ゼミに駿台と公開模試が始まる。

駿台のテストは難しいことで有名だった。

日曜日に電車で行く大宮は、雑然としていてあんまり好きじゃなかった。


秋も半ばの11月。

取ってしまった、数学36点。ありえない…

志望校の国立付属は合格率30% 当然、呼び出し。

「分からないのか?それとも本番に弱いのか?」

-両方です

「今クラスは落とさないぞ、死ぬ気で行け」

-がんばります

という面接が行われ、自分の数学センスの無さを呪い、

でもけなげに参考書買って頑張り、

それこそ毎日机に向かって、

いよいよ受験!


受験はなぜか緊張しなかった。

「やることやったの。もういいじゃん」的な諦め感?

「いやー私は受かるって!他のやつら蹴落とすよ!」的な自信?

anyway、全部受かりました。わーいわーい。

で、選んだのは今の大学の付属校。

一応、これで大学受験ともさらば!


15の春を迎えたわけです。







⑥いちばん嫌いだ、数学! 2年生編

数学ができない


そんな悩みを抱えつつ始まった中学2年。

通っていた塾は非常にクラスが多く、

毎月クラス替えがあった。


クラスは、

SS→国立、早慶コース

S→難関私立コース

R→公立狙いコース

に分かれていた。


当時在籍していたのはSSコース。

なぜか分からないけど、サイコウなクラスに入ってしまった。

でも、本当に数学はできなかった。


正確に言うと、

「教科書程度ならわかるけど、応用はまったくダメ」だった。

って、結局数学センスがないんだけどね。

まるでダメ。毎回、テストのたびに、

「あーこれでサヨナラSSクラス」と思っていた。


しかし、不思議と落ちなかった。

英語だけはちょこっとまともにできたからだろうか。なぞ。


出来ない生徒には容赦ない授業。

当然、数学のT先生には目の敵にされる。

何度やめたいと思ったことか!

心優しいクラスメイト(でも受験ではライバル)が、

分からない問題を教えてくれたり、励ましてくれたり、

そんなことでなんとか生き延びていた。


対して学校では幸せな日々を送っていた。

シーズン中は毎日部活があったけど、

友達とわいわいやって楽しかったし、

2年生でもAKと同じクラスになれたし、

毎日が充実!だった。 


2年の担任はO先生という男の英語の先生だった。

生徒全員をあたたかく、そして時には厳しく指導をする先生だった。

こういう教育者こそ、学校には必要だというような先生。


O先生はクラスで「出来事日記」をしていた。

班で1冊、ノートを与えて、班内でローテーションで毎日の自分の出来事を書く。

他愛ないことだ。今日食べた食事、部活のこと、遊びのこと、なんでも。

それに対して、O先生はコメントを毎回していた。

不思議な連帯感があったような気がする。


充実していた2年、そして後半から、受験モードに突入…



⑤中学入学 部活と塾 

中学に入学

ちなみに自宅から徒歩5分(もかからない)

8時10分に出れば余裕で間に合う距離。

小学校よりも近い。


クラスは1年4組。

担任は数学担当のW先生。

この先生は、後々私の中学での数学人生にかなりの影響を与えることになる。

このクラスで、小学校6年間同じクラスだった親友AKともまたもや同じクラスになる。


さて、中学といえば部活が始まる。

2歳上の姉が3年におり、テニスをしていた。

当時テニス部は女の子の憧れだった。

小学校にはないスポーツだ。

大方の女の子はテニス部を希望した。


さて、私は何に入ろう?

大勢うじゃうじゃいてわけのわからない部活より、

こじんまりとした平和な部活がよかったこと、

男女仲良くできる部活がよかったこと、

(大方は女子テニス部、女子バレー部、と分かれていたので。)

そんな理由から選んだのは「水泳部」だった。

折りしも、うちの中学校では新しい最新の屋外プールが出来たばかり。

まさにグッドタイミング。


部活は厳しかった。

小学校から水泳はスクールに通っていたが、

練習量は半端なかった。

私は平泳ぎを選び、先輩と2人で黙々泳いだ。

だいたい1日3-4キロ。

屋外なので当然屋根はない。真っ黒だ。

6月から毎日6時ごろまで泳ぎ、

その後は塾に行った。今考えると、かなりストイックな生活だ。


塾は地元の進学塾。

クラスわけテストで、学年でトップのクラスになった。

しかし、現実は厳しい。


当時、全く持って数学が不得意だった私は、

担当のT先生にかなり怒られた。

T先生はあからさまに「こんなのもわかんねーのか」とは言わなかったけど、

「これくらいわからないと、このクラスにいる意味はないかもね」口調で話した。

気が小さかった私は、普通に凹んだ。

対照的に、英語はめちゃくちゃ好きだった。

それは担当のカネヒサがいい人だったkら。

ギャグセンス抜群。生徒のことを親身になって指導していた。


「英語はいいんですけど、数学がねえ。」


3者面談でのこの台詞は、3年になっても続くことになる。




④ 早くもファッションの目覚め 小学校高学年

5年生になった

Uの下での悪夢から、やっと開放された


5年生になって、保健室に行くと、保健婦の先生が言った


「大変だったね。私もなんかおかしいと思っていたのよ」


理由はこうだ。

Uは生徒を殴った。時々、生徒が倒れて、体をぶつけ、

生徒から血が出ることがあった。

そんなとき、Uは保健室から勝手に備品を持っていっていたという。

横領じゃん。普通に。


ちなみに、私は殴られているときにUのしていた指輪が耳たぶに引っかかり、

耳たぶから出血が止まらなくなった。

無理やりUにトイレにつれて行かれ、その中で荒治療をされた。



さて、5年生。

クラス替えがあった(3年生になったときもあったけどね)。

ここで、今でも親友のAKの存在をしっかりと確認する。

AKのママは18でAKを産んだから、当時まだ30くらい?

とても若いママだった。


どういうわけか、私とAKは1年生から同じクラスだった。

ただ、遊んだりすることもなく、ただのクラスメイトだった。

5年で初めて意気投合し、親友になった。


小学校高学年といえば、何となくおしゃれとかに目覚める時期かもしれない。

私もその例外ではなかった。


当時流行していた ピチレモン、そして姉の影響で背伸びしてプチセブン、

いわゆるティーン誌を読み始めるようになった。


そして、ファッションにも興味が沸いた。


小学生だからお金はない。

どうするか?

あったのだ、身近にいいお店が。

それがフリーマーケット。


私が住む街では年に2回大規模なフリマがある。

とにかく安い。田舎価格。

そこでおしゃれ道具を買い込み始めたのだ。

ちなみに、そのフリマで小学校6年のときに買ったコンバースの白は今でも履いている。


スカートにパンツにトップス、姉の影響もありお洒落を楽しんだ。

ただ、当時から「ギャル」ではなく、どっちかというと「原宿系」みたいな感じが多かった。

それは今でも続いている。


勉強は普通だった。

小学校5年生から塾に行き始めた。

公立中学進学コース。受験する気なんて全くなかった。

Uの授業は最悪だったけど、自分でドリルをやっていたので幸い重症ではなかった。

今でもAKが言うには、

「そうとう落ちこぼれてたよー私。

だって5年生になって算数とかぜんぜんわからなかったもん。」

らしい。


5,6年と無事に平穏に過ぎ、いよいよ中学!

さて、ここから人生のアップダウンがまた激しくなる…


③悪夢の続き そして進級

小学校3年生


普通の小学生は何をしているのだろう

相変わらず私には悪夢の日々が続いていた


少し、あのUについて書こう


Uは教師だ

紛れもなく教師だ

しかし、そんな教師に気づかなかった教育委員会は馬鹿以外の何者でもない


Uはクラスで女王様だった


授業とか授業時間とかはUには関係ない

いつでもすき勝手な進度で進めた

ちなみに、私はUから音楽を習ったことがない

当然ながら、5年になってこれは困ることになる


学校の近くの店に、クラスメイトをお使いに行かせることも日常茶飯事だった

授業中なのに

私たちはそれに逆らえなかった

むしろそれが当たり前だった

今考えると、異常だ


「研究授業」

聞いたことがある人はいるだろうか

教育委員会などの偉い人きて、授業をするもの。

クラスの後ろで座って見ているやつだ。

評価に繋がるのだろう。

Uはこれについては異常なほどに気を使っていた。


朝早く生徒を呼び出し、授業のリハーサル。

「おまえはここでこのセリフをいえ」

「とにかく明るくしろ」

研究授業じゃない。演技だ。


失敗したものは当然ながら後で嫌味を言われる。

もしくはUの機嫌が悪くなり殴られる。

そんなことのくりかえし。


私の唯一の安らげる場所は家だった。

できることなら学校になんかいきたくなかった。

でも行かないとUに「ずる休みするんじゃねえ」といわれて殴られるので行った。


Uが担任だった4年間、私にとって学校は灰色のイメージしかない。


教育関係者の皆様、そして保護者の皆様。

絶対にUのような教師が生まれないようにしてください。

幼いころの傷はなかなか癒えません。


トラウマ


私はいつも人の顔色を伺う人間になってしまった


そして、ようやくUの支配から逃げ出すことができた

5年生への進級である