これまでの私、これからの私 A Girl In Tokyo -2ページ目

ちょっと小休止で、就活ネタ、いっとくか!

過去の話は休んで、

就活ネタでも、話してみましょうか。


もう就活の季節なんだね。

1年前も私は就職活動、してたのか…


この時期に就職活動始める人ってさ、


①外資金融系

②コンサル系

③P&G系


ってかんじ?

③は思いっきり社名出してるけど。

プロクターアンドギャンブル。

プリングルスしか浮かばない会社ですが、

実はマーケティング部門は超有名らしいです。←米国では。日本ではわかりません。


ヘイホウ。


これからシュウカツをはじめるみなさんに、ひとつ(いや、ひとつならずいくつか)

いいたいことがある!


惑わされるな、自信を持ってけ!

ってことです。簡単だが、コレが意外とできないのよね。


自信を持つ、要は、

自分が将来どんな人間になりたいか、きちんと理解しろ

ってことです。


「そんなのまだ分からないよ」って思うかもしれません。

簡単なとこから初めていきましょ。


「将来、超金持ちになって、海外でバカンスする、自由人になる」

ってことでも、立派な将来の目標です。

そこから、どんどんミクロに落としていけばいいのよ。


超金持ちになる→だからその可能性が広がっている仕事に就く

          →自分は一匹狼タイプだ

          →独立して将来は仕事の出来るようなスキルを付けたい…

 

みたいに、どんどん細かくしていくのです。

その過程で、自分の性格も交えつつ、具体化していくとなお良いよいヨイ!


てかね、シュウカツって、本当にいろんな人と出会って(学生のみならず、企業の人もね)、

沢山の話を聞きます。だから、逆に、


自分なりの価値観とか、将来の目標が無いやつは、どんどん自信がなくなる

と思うんですよね。マジ。

だから、いまのうちから自分で自分を研究してください。


ちなみに、私はそういうことを考えるのが好きなタチだったので、

かなーり考えていました。自分で考えるだけじゃなくて、

時にはキャラミル研究所 なんつー、スバラシくずばっと診断してくれるサイトまで使ったりしてね。

ご参考に、してください。


てわけで、シュウカツのこと、これからちょこちょこ、書きますかね。

よろひく。






⑪第2の故郷に出会う 高校3年の夏休み

その先輩は、文部省の「文化交流プログラム」でインドネシアに行ったと言っていた。

ジャカルタではなく、バンドンにステイして、現地の生活を堪能したと言う。


デンマークにいたとき、留学生仲間でタイからきた友人がいた。

彼らはいつも笑顔で、そして時々話す故郷の話が私を魅了した。

「いつかはタイに行きたい」そう願っていた。


だから先輩から聞いた話は、まさに渡りに船。

ただの旅行じゃなくて、現地でホームステイできる。学校にも行ける。

そして1ヶ月の長期!チャンスだ、チャンス。


むかしからチャンスは自分で掴んできた。

行きたいと思ったら、行くだけ。

一応、国の政府がやっていることなので、試験があった。面接もあった。

面接ではこう言った。


「私はデンマークに留学していました。

 今日、留学すると言うと恐らく多くの生徒はアメリカや欧州を希望すると思います。

 私もそんなひとりでした。間違いありません。

 けれど、現地で暮らして気づいたことがあります。

 私は、自分の国が位置するアジアについて何も知らない、という、簡単ですが、

 恥ずかしい、絶対に知っておかねばならない事実です。

 1ヶ月は短いかもしれません。けれど、私はこれをチャンスだと思います。

 短い期間で、現地の文化を学び、日本を紹介する。限られた時間だからこそ、 

 私は全力で走り抜ける自身があります。」


2001年7月、私は外務省と文部省の派遣生として、タイに旅立った。


私を迎えてくれたのは、2歳下の妹である、Gife。

そして、お父さんとお母さんの3人家族だった。

そいて、ステイした家はタイの一般庶民の家だった。


タイの一般庶民の家。

トイレは手で水桶から流し、

シャワーは大きな甕に溜めてある水をかぶり、

キッチンは無く、

床で調理をする。

みたいな。


正直、こういうことがいちいちカルチャーショックだった。

初日に「シャワー入って」と言われて、入ったはいいけど、甕しかないんだよ?

どうやってシャワー使うの?って思わず聞いてしまったし、

トイレに紙がないんだけど、みたいなことで、いちいちびっくりしていた。

でも、そんなのにはすぐ慣れた。

ここはタイなのだ。タイの生活をするんだ。


高校にも通った。1ヶ月間。

クラスメイトは3歳も年下だったけど、

すぐに仲良くなった。

「好きな子、いるの?」

「今日、アイス食べに行かない?」なんて、

中学生に戻った気分だった。

何より、タイのクラスメイトは私を日本人ではなくて、クラスメイトと見てくれていた。

友達のひとりとしてだ。

私はそれがうれしかった。


タイ語も必死で頑張った。

家族と話したかった。

友達と話したかった。

それだけが、モチベーション。

毎日必死で単語を覚えた。

使う単語を手にマジックで書いて覚えたし、

単語帳を作って、ボロボロになるまでめくっていた。

語学って、そういうもんだ。それくらいの努力がないと覚えられないのだ。


1ヵ月後、私は泣きながら家族に言った。

「どうもありがとう、また来年帰ってくるからね」


タイは私の第2の故郷になった。





⑩ありがとう、ヤスカ そして私はタイに行く

デンマークから帰国したのは、17歳の夏。2000年夏。

帰国後、私は2年生に戻った。

同期は3年生だったから、事実上1年留年と言うことだ。


はじめてのクラス、2年D組は居心地の良いクラスだった。

初めての日、教室に行ったときに「お客様」という雰囲気を感じずにはいられなかったけど、

幸い教室でいちばんうしろの席だったことと、

そのとなりに「ヤスカ」がいたことで、2年生ライフは順調に始まった。

ヤスカはいまでも同じ学部で勉強している。


ヤスカは取り立てて自分からぺらぺら話すような子じゃなかったけど、

自分の「芯」をしっかり持っている子だった。

うわべだけの親友作りとか、そんなのにおいかけられている周りとは違った。

そして、よそから来た私を、まるであたかもむかしから知っている人のように扱ってくれた。

彼女の雰囲気がそうさせたのかもしれない。

とにかく、

彼女のおかげで、再びの2年生を順調に始められた。


そして、元来オシャレ好きだった私がはじけ始めるのも、このころ。

学校に髪型の校則が無かったのをイイコトに、

まずはパーマからはじめる。そう、スパイラルパーマ。


ものすごくパーマのかかりにくい髪の毛の私には、

強いパーマしかかからないのだ。

雑誌、たしかCutieだったけか、を見て、

速攻でサロンに行った。

評判はまあまあ良かった。


そして、何より「人とは違う自分」を求めるようになっている自分自身に気が付いた。

たかが髪型かもしれない。

だけど、「人と違う」ことが自分にとってはまた重要だったのだ。


そうして、高校2年の秋、

3年生の先輩から聞いた話に、釘付けになる。


「夏休みに、インドネシアに1ヶ月間、留学しました」


アジアに留学、面白そうじゃない?

行ってみようじゃない!


そうして、私は「第二のふるさと」になる、タイに出会うことになる。



⑨留学するって、こういうこと

留学することに決めた、高校1年の夏。


できるだけ「2度と行けないような土地」に行きたかった。

アメリカとかオーストラリアとかカナダとかはありきたりだと思っていたし、

1年くらい行くなら、絶対に親とも連絡が取れないような土地に行きたかった。


今となってはネットが普及し、Skypeなんという便利なものがあるけど、

当時はネットが普及し始めたころで、そんなものがなかった。

だから、電話しかなくて、国際電話は当然高かった。


私が行くと決めたのは、デンマーク。

デンマークと言われて、すぐにどこかを思い浮かべられる人がいたら、結構すごい。

ドイツの上、北欧だ。

そこに1年間住むことにした。


デンマークの首都はコペンハーゲンだけど、

私がステイしたのは、もっと田舎の街。

コペンハーゲンへ行くよりも、ドイツへ行くほうが近い、というようなところ。

交通の手段は車かバス。バスは3時間に1本しかない。

1時間に1本のバスは、坂道を登って3キロ歩いた先にあった。


デンマークの国民性は、見た目は「閉鎖的」だ。

彼らは外国人に対して、親切に接したりはしない。

私が編入したのは、その街でも評判の高校だった。

2年生に編入。


2年に編入して、大変だったこと。

それは「友達作り」だった。

閉鎖的な国民性に加えて、

高校でもっとも忙しいと言える2年生ということで、

クラスメイトは勉強に必死だった。

クラブ活動もなかった。


デンマーク語(デンマークの公用語)が出来ないから、

友達出来ないのか?と、悩み、

必死で勉強した。

発音がきれいか汚いかなんて問題じゃなく、

「とにかく、自分のいいたいことを伝える」ために必死だった。

自分のことを、わかって欲しかったのだ。

私はこういう人間で、あなたは何を考えているの?

そんなコミュニケーションとりたかったのだ。


なんとなくデンマーク語が話せるようになったのは、

6ヶ月後。年も明けて、2月になったころだった。

でも、友達はできなかった。

それ以上に、友達になりたいと思う人がいなかった。

これは致命的だった。


デンマークの学校でも、仲良しグループみたいなのがあって、

みんなそれでつるんでいた。

でも、どこにも入りたいと思わなかった。

言葉の問題じゃなかったのだ。


そんなこんなで、親友というような人間は出来なかった。

それでもただひとりだけ、理解者はできた。

Liseだ。

タイに昔留学していたという彼女は、

私よりも3つ上の先輩だった。


寒い冬の日に、Liseの部屋に遊びに行ったとき、

Liseが言ったことを今でも忘れない。


「つらいことがいっぱいあったでしょ?

デンマークに来てよかった、なんて思えるのは後のことかもしれない。

でも、この1年間を忘れないで。たくさんがんばって、たくさんないて、たくさん笑ったでしょ?

これは終わりじゃなくて、はじまりなの。

これからの人生のはじまりだよ。」


デンマークでの1年間、正直何してんだろうなあと自分を呪ったこともあった。

デンマークじゃなくて、アメリカにすればフレンドリーだったかなー、とか。

でも、これは運命なのだ。自分はデンマークに来る運命だった。

そうしてLiseと出会った。


この1年間で学んだことは2つだ。

いつでも本気で向かえば結果は見える。

本気で向かって、それでもだめならば、それは仕方のないことだ。


17歳の7月、私は日本に帰国した。






⑧高校生に、なりましたってわけ

このネタのブログを書き始めてから、半年ぐらいか。

4ヶ月くらい、サボってました。


その間にしたことと言えば、

デンマークへ里帰りして、

ヨーロッパをバックパックで2ヶ月くらい旅をし、

日本に帰国して、内定先で働き始めた、ってことくらいかな。


まあ、ワタシは元気です。

んで、きょうからちょこちょこブログ、書きまっす。


そうね、高校、高校。


私の行ってた高校は、大学付属の高校だった。

校則なんか、殆ど無い、ちょう自由な学校。

入学式でビビったのが、


やたらキレイな先輩が多い


っつー、事実。

髪の毛は自然な茶色で、

肌は白くて透明で、

そんな可愛い先輩、あっちこっちにいたもんね。

さすがー、と思いましたよ。


高校では部活にも入らず、

毎日14時40分に学校が終わったら、

速攻で帰って、寝てた。


学校もさ、渋谷新宿原宿とかの近くじゃなかったし、

自宅からの通学で通るのは、

上野秋葉原新橋とかの「Theオヤジ」な駅しかなかったし。

そんなこんなで、殆ど遊んでなかった。

たまに、ふらっふら上野で古着を見ていたぐらいかな。

ちょーう、健全な高校生。てか、ただのヒッキー?


でも、なぜか「海外に行きたいな」という野望はそのころからあり、

1年生の夏休みには留学することを決意した。


正直、この学校にいたら、視野が狭くなると思った。

女子校特有の「つるみ」とか「女同士の世界」とか、

そんなんに飽き飽きしていたからね。

後2年間、こんな世界にいるのもなー、って漠然と思っていた。

どうせ大学付属高校だし、

1年浪人したと思って、行くか!


そう思って、私は留学することにしたのです。