どこにも、誰にも、悩ましい現実と変わらない現実がある | PTAはPTA

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私が経験したことを基にPTAに対して感じたこと・感じていることを綴ってみようと思います。

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何度か記事でも触れたと思いますが
15年ほど前、PTA会長の時に、学区内にある産業廃棄物施設の拡張計画が発表されました。
適法とはいえ、地元の大多数は反対、市に対し反対の要望書を提出することになり、PTAも地域の団体として名を連ねてほしいと自治会長から依頼がありました。

地元の皆さんの多くが反対したのは、産廃施設ということに加え、会社自体が元々は地元企業で拡張計画発表時には別会社名、でも実態は以前と同じで、かなりやんちゃな経営者ということを知っているからでした。

私個人は反対でしたが、会員さんの中には産廃業者の社員さんもいらっしゃったし、産廃をたくさん排出する会社の経営者もいらっしゃるので、会員の総意として明確に反対の意思表示は難しく、団体として名を連ねるのはお断りをし、署名は各個人でとお返事しました。

また、居住地域の各種団体の中に、ビオトープや学校隣接の森整備、樹木の伐採、自然環境の出前講座など、学校運営にとても協力的な、地域の自然環境を守る活動団体がありました。

代表はパワフル、口調も押しも強く、媚びず、忖度せず、正論を通す人でしたが、口先だけでなくフットワークは軽く、精力的に活動されていたので、地域では頼りにされていた一人、団体だと思っていました。PTA会長も経験されたと同年代の人から伺いました。

しかし、その代表が地元説明会で、事業者側で概要説明をされたので衝撃が走ったわけです。

設計事務所として仕事を請け負われたので当然と言えば当然ですが、地域団体代表の時のような舌鋒の鋭さはなく、真逆の立ち位置で説明と質疑応答されている姿が私には異様に映ってしまいました。

最終的に拡張工事はいったん白紙撤回となり、今に至っていますが、それ以来地域の行事などで代表の姿は見かけなくなりました。
本人も地域とは一線を引き、地域の皆さんも距離を置くようになられたようです。
私には残念ながら、地域の皆さんからの信頼を失ってしまわれたように映りました。

地域のお祭りに積極的に出店し、清掃活動にも団体から多くの人が参加されていましたが、その大半が産廃業者の社員さんたちだったことを後から知りました。

ビジネスとプライベートは別、自分の主義主張と会社の方向性や依頼主の意向は別ものというのは十分理解できますし、そうした業務を担当することも、多くのサラリーマンは経験されているのではないかと思います。きっと感情的には簡単に割り切れずモヤモヤしていた人は多かったと思います

悩んだ末に(悩まず即決の場合もあると思いますが)
会社や依頼主の意向に沿って行動する人もいらっしゃるでしょう
自分の信念を曲げずに、依頼を断る、担当を外してもらう人もいらっしゃるでしょう
悩んでしまって、出勤できずに長期間休まれた人もいらっしゃると思います。
中には退社(退職)を選択せざるを得ない、あるいは自ら退社した人もいらっしゃるでしょう。

いずれの選択も苦渋の決断でしょうが、その決断をしたのは紛れもなく自分の意思、自分の意と反した決断だったとしても言い訳はできないと経験上思います。
言い訳すればするほど、信用は薄れていきます。

だからこそ、普段から他者に対しての言動には十分注意をして慎重に言葉を選ぶ必要があると私は思います。

特にリアル現場を知っている・共有している人は、その事案だけでなく、これまでのいきさつや発信者の人となり言動から判断ますが、ネットやメディアでは、映像や言葉、文字はその現実の一部を切り取ったもの、人の心理をうまく利用する印象操作のようなこともあるため、真偽について発信をそのまま信じるのか、全貌がわからないまま鵜呑みにするか・しないかは受け取り側の判断に委ねられるだからメディアやネット上ではどうしてもインパクトのある、断言的な強い言葉が必要になるんだと思います。誰しも自分の主張、正しさをアピールしたいですものね。

議論するだけの机上の理論や競技研修としてのディベートなら、それは全然大丈夫だし、とても有効だと思いますし、人を引きつける何かはあったほうがいいのもそうだと思います。

よく「何」を言ったかより「誰」が言ったかの方が重要と言われます。

人はやっぱり感情の動物正しいことを言ったから信用して皆さんが従ってくれるなんて、現場ではそう単純じゃなく、かえって逆効果になるほうが多いかもしれません。

それではどういう人が「誰」に当てはまるかというと・・・
例えば大学教授、政治家、医師、弁護士など学歴、地位、有名、専門家など一般的に人物評価が高い人の場合もあれば、その分野で実績を上げている人、携わっている人などあげられます。インフルエンサーもその類で、影響力を持つ人たちですよね。

誰しも、と言いますか世間全体が「肩書」には弱くて、出身校、会社名、役職、自分の実績などを気にするし、自身のプロフィールに色々連ねたりしていますよね。私も現役時代は例外なく肩書を気にしました。

でも頭のいい人と賢い人は違うと思っていて、賢い人は総じて肩書とか経歴とか実績なんかもひけらかさない、意識的に表には出さないようにされていると経験上感じています。物腰も柔らかく相手を立ててくださる。だからこそ他者からも信用されるんだと全くの主観ですが、そう感じています。

でも、ネット上で人権尊重、差別反対、平等性を謳い正論を発信しつつ、何気に自身の学歴や偏差値、会社名、職業や財力をちらつかせ、思い切りヒエラルキーやカーストを意識させて、上から下を見下ろすような発信している人をよく見かけますが、正直、残念です

そういえば当時、ネット上ではPTA役員さん中心のコミュニティが多かったので、否定的な人はコメントがしにくかった。だからなのか今でいうPTAの適正化に向けて、肯定的な人も否定的な人も同じステージで考えを出し合えることを目指した掲示板のようなものが有志によって開設されましたが、結果的には否定的な人のコメントばかりになっていました。

私の印象は、ご自身の体験からたどり着いたべき理想論、PTAの成り立ちに関する古い文献の紹介と自己解釈、また専門家でない人たちの法律の自己解釈により、違う解釈のの人がコメントすると集中して非難を浴びる惨状になってしまった。現状を何とかしようではなく、正義は必ず勝つみたいな理想論・あるべき論からの正しさの主張が強かったという印象です。

その掲示板に、所属されるPTAが入会の意思確認のない自動加入かつ役員・委員は一子一役のPTA、退会・未加入はできるが、会員のお子さん限定の互助的団体だったため、違法性を校長・教頭に、市教委に、そして無料法律相談に訴えるも、納得いく回答が得られなかった旨の投稿がありました。それに対し、違法、人権問題なのにと学校、弁護士、PTAに対しての非難コメントと、こうすればいい、ああするべきだ、訴訟できるなどのアドバイスが大半を占めていたので、そりゃPTAや学校同情的なコメントはしにくいでしょう。めったにコメントしない私は下記のようにコメントしました。

そもそも「違法性を問う」という趣旨での訴えなので
PTAの理念や趣旨に沿っていなくて道義的、心情的に納得できないのはわかる、また意思確認がないからと言って、PTAが任意加入であることは調べればすぐにわかるし、努力義務違反かもしれないが「違法」とは言ないという解釈ではないだろうか。ただ、錯誤が認められれば納めたPTA会費の返還が認められるケースもあるかと思う。

個人情報の取得については、学校からの漏洩という証拠があればいいが、あくまで推測の域を出ていないように感じる。


また、PTAは保護者なら誰でも入会できるので門戸を閉じているとは言えず、対象者が会員とその家族に限定されている活動があっても、数ある活動の中の一つなので、それを以て公共性がないとは言い切れないとの判断ではないか

 

投稿されたご本人は、コメントに対し理解も納得もされいましたが、心情的に気持ちの持って行き場がないとお返事を下さいましたが、全く関係のない外野の人たちからの非難はすごかったですね、当時も今も専門家「可能性がある」という言い方にとどめているにもかかわらず、独自解釈があたかも正しいかのように非難されました。

 

最近のネット上でのPTA関連の発信を拝見してもそれは今も変らないですね。


そしてもう一つ、
MITのペンドラント教授が研究の結果から結論づけている「人は仲間の言うことは信用するが、他人は信用しない」ということ。

 

日本人だけの特徴じゃないんだと少し驚きましたが、ネット上での二項対立の構図からもそういう印象を受けます。


特に日本ムラ社会、集団主義だと揶揄されている「ウチ」と「ソト」と同じで、自分は違うと揶揄している人たちのPTAに関する発信まさしく仲間の言うことは信用するが、他人は信用しないそのままのように感じるのは私だけでしょうか。

 

 

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