服装、歌、時代とともに変わる卒業式 | PTAはPTA

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私が経験したことを基にPTAに対して感じたこと・感じていることを綴ってみようと思います。

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一昨日は市内小学校の卒業式でした。
そして昨日は近隣の大学の卒業式だったようです

ご卒業を迎えられた皆様、ご卒業おめでとうございます。
4月からの新しい未来に向かって元気よく出発されますことを祈念します。

大学近くを通ったときに見かけた卒業生の姿は、女性はほぼ「袴」、目に入ってきたのは、原色系よりも上下ともに淡いパステル調の人が多く、男性はみなスーツ姿でしたが、スーツもフォーマルなダークカラー一色から、明るめのカラーが以前よりも増えてきている印象を受けました。

では、小学生が卒業式で着用する服はどうなんでしょう?
小学校の卒業式に参列された人に様子を聞くことができました。
なんと今の小学生のトレンドも「袴」らしく、半数以上の女子が「袴」スタイルなんだそうです。男子はスーツコーデが大半で、袴が少数という感じだったうです。

男子はいつの時代もそんなに変わりませんが、女子は全然違ってきていますね。
小学生も大学生とほぼ同じ姿というのが正直ビックリですが、小学生の「袴」って、いつ頃からなんでしょう?

末子が卒業したのがAKB48の全盛期の頃、ほぼ全員がブレザーにチャックのスカートだったのでそれ以降?と思い、調べてみると2014年から徐々に増え、2016年の「ちはやぶる」をきっかけに以降急増し、現在は横ばいだとか。

「華美になりすぎ」「経済的負担」や所作の違い、トイレの問題や早朝からの着付けの予約などから賛否両論、自粛を呼びかける自治体もあると聞きました居住市の場合はそこまでしていないことになりますね。

お話を伺った小学校は中規模校ですが、在校生の参列は以前からないそうです。
在校生がいないということは、送辞(送る言葉)も送る歌もないってことですよね

自分も子どもたちの時も、送る側の在校生(4、5年生)が参列していたので超意外でした。

だから、朝の通勤途中に小学生に出会わなかったのか?

コロナ禍で控えていた来賓の参列も、保護者の参列も従前に戻されたようですが、教育委員会告示や来賓(PTA会長)の祝辞はペーパーでの配布にとどめ、壇上では校長先生の式辞だけだったそうです。
そういう方法もいいかもですね。

中学校になると教育委員会告示に市長祝辞も加わりますから、コロナ前から市内でもPTA会長の祝辞はない中学校もありました。

また、卒業式の歌といえば私たちの時代は「仰げば尊し」と「蛍の光」でしたが、最近はあまり歌われないようですね。
自分の子どもたちの小中校の卒業式でも聞いたことはなく、歌は各学校で、先生や子どもたちで決めているようです。

また、ここ近年の大学卒業時の定番といえば「卒業旅行」でしょうか。
今の若い世代だとかなりの割合で経験していて、その多くが海外だと聞きましたが、50歳以上になると卒業旅行自体は3割未満、まして海外なんてほんのごく一部。
末子は大学生活のほとんどがコロナ禍だったので、楽しみにしていた短期留学も卒業旅行もできずで、少し可哀そうでした。

それらも含め、新型コロナウイルス感染症の拡大は、私たちに色々なコトを投げかけてきました。

感染拡大防止のため、学校も臨時休校になりました。
以降、授業含め様々な行事も中止、必要最小限、規模の縮小や時間短縮などが求められました。

そこまでして開催する意味はあるのか?
そもそも各行事は必要か否か?
と行事の内容だけではなく、行事そのものの是非論が巻き起こしました。

卒業式も同様で、そもそも卒業式とは何か?

 

卒業式は学校の特別活動の一つとして位置づけられています。
学校の特別活動には、授業以外の学校活動の大半、学級活動、児童・生徒会活動、クラブ活動、入学式、卒業式、文化祭、体育祭、遠足、修学旅行などが挙げられます。ほかにも合唱コンクール、マラソン大会なども含まれ、給食も食育としての給食指導を行う特別活動の一つです。

特別活動の中で、入学式や卒業式などは儀式的行事と言われています。

儀式的行事の目標について、行事の意義や厳粛な場での儀礼マナー等の規律や気品ある行動の仕方などを身に付けること、先を見通したり、振り返ったりしながら、新たな生活への自覚を高め、希望や意欲につなげるなどが学習指導要領に記されています。

卒業式はただ卒業証書を配布すればいいわけではありませんが、地域によって事情は違うし、市長や教育長等の考えも様々。同じ市域でも学校によって、校長の考え方次第で形式も違ってきます。

もちろん、卒業式自体は必須ではないので、出席しなくても卒業できますし、卒業式を中止した学校も多くありましたが、皆卒業しています。


参列者の拍手に包まれた入退場も
合唱やシュプレヒコールも
一人ひとりへの卒業証書の個別渡しだって必須ではないので、式典自体がなくてもいいと言えるでしょう。

そうした観点から、卒業式は大切という考えは単なる感情論、情緒の問題に過ぎないと言う人もいます。
儀礼的な所作やマナーを都合よく押しつける卒業式入学式のような行事は必要ない、さらには特別活動自体が必要ないという声もあります。

確かに行事自体はなくても困らないかもしれませんが、極論言えば、教育そのものが押しつけで強制だと思います。


一方で、学校は学問だけでなく、心を大切にし、情緒を育む場所でもあると思います。実際に、行事の成功に向けてクラスや学年がガチャガチャしながら、途中で空中分解しかけながらも、徐々にまとまっていく経験をしたことがあるように、行事自体の持つ「非日常性」には、経験しないとわからない何かしらの教育効果があると思います。

ある高校がコロナ禍で卒業式の中止を決定したが、最後の授業日に急遽3年生を体育館に集め、校長が「心の中では今日がみなさんにとって卒業式だと思ってください」と述べて卒業証書を渡したという報道されていました。

生徒たちは卒業式の中止を残念だと大いに嘆きながら、体育館にみんなで集まることはできないと思っていたので嬉しかった、クラス全体が揃うのが、これで最後だと思うと複雑な感情でいっぱいだと答えつつ、それぞれ元気に卒業していきました、忘れられない卒業の思い出と共に。

卒業の話題から正論話題になり「正論を言われると、なんだかモヤモヤする。」「正しいことなんだけど、ちょっとね?・・・」など、正しいことのはずなのに、どこか納得できず、素直に受け入れられない響きがあるのが正論じゃないかと。

以前「正論を言うためには、『知・仁・勇』が必要と教えられたことがあります

正しいことを言うためには、広く深い「知」識が必要なことはもちろん、それをみんなに伝える意志を示す「勇」気そしてもう一つ相手のことを思いやって発する「仁」の心。この思いやりの心が欠けていては正論とは言えない。

仁の心が欠けていたら、正論はただの暴論

今、自分が発している正論は、果たしてこの三要素が揃っているでしょうか。

 

 

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