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山口亜澄のプロフィール![]()
今ガチでホットな映画を(勝手に)ご紹介します( ´ ꒳ ` )ノ
Netflixで独占配信なうなう![]()
「This is I」(ディスイズアイ)は、
タレントのはるな愛さんの生い立ちを元に作られた、一言で表すなら「LOVE」が詰まった作品。
私は愛ちゃんのことが大好きなので、
もうその理由だけで「観る」一択なんだけど![]()
そもそも「Netflix限定!!」とか、「この配信ツールじゃなきゃ観れませんで」ってものを「観よう」と思わないタイプで。
なんか…そういう「限定モノ、好きじゃろ?」みたいなさぁ…
イヤなのよ![]()
そんな私が。
観ましたよ。
それだけ、愛ちゃんのことを知りたかったし、一体誰がどのように表現するワケ?と、
むしろそこに興味が湧いたんです。
私の仕事柄、手話とか聴覚障害とか、ろう者とかの情報が入ってくるんですが、
「ろう者の役はろう者がやるべき」といった声があるのは承知の通りで。
そう考えるのも分かるなぁと思うし、でも私個人としては「べき」とは思ってなくて、
「適した人が演じるものだ」という感じ。
だって、ろう者だからってそもそも「役者として」どうなの?って人は、
私だったら起用しないし…
この作品をどれだけの人に観てもらいたい?誰に届けたい?と考えた時に、
やっぱりマスだなとなれば、「より多くの人に観てもらう方法」を取るし、
だったら有名な俳優で、表現力優先で、みたいなキャスティングになるのも否めない。
どこを重要視するかで、キャスティングって決まってくと思うのね。
だから、「ろう者っぽさ」を出すにはもちろんろう者がいいだろうなぁとは思うけど、
このキャラクターを表現できるのだろうか?ってところが大事だから、
「ろう者はろう者が演じるべき」論にはそもそも参戦しないのです。
で、本題に戻しますと、
愛ちゃんを演じている俳優さんが、LGBTQのどれに属すのか?とかはまるで興味がない。
男の人なの?恋愛対象は?え?(男か女か)どっち?って視点で、この作品を観ていないから。
そもそも、愛ちゃん自身が「私はLGBTQの○○です」って言い方をしていないし、
「ココ!」ってはめ込むものでもないって考え方で、
「はるな愛」ってのがアイデンティティなのよね。
この作品で、主演の望月春希さんを初めて知ったのですが、
話し方や振る舞い、言葉選びなどから「りゅうちぇるだ!」って思いました(ㅅ´꒳` )
(りゅうちぇるも大好き♡)
たった2時間で、何度泣かせるんですかってぐらいに泣きました。
私のことを話しますと、(多分)見た目は女性で、性自認も女性。
ですが、思春期の頃は男の子に憧れていました。
教科書通りに成長しない自分のカラダがイヤで、
更衣室が本当に嫌いな場所で、
周りの子達がかわいい下着を自慢し合ったり、
バストサイズを聞いたり、生理がきただとか面倒だとか、
そういう話が飛び交う空間が地獄でした。
「ホントに女なの?」と、胸だけでなく下半身を触られることもあって、
「男だったら良かったのに!」って、自分のカラダを憎んでいました。
中学から大学までソフトテニス部で、
完全に筋肉と化してしまった上半身は、ますます「女性らしさ」から離れる要因となりました。
おまけに、話し方もかわいくない。
男言葉を使うし、いっその事オトコになっちまおうかと真剣に考えたこともある、そんな10代を過ごしてきました。
スカートよりもパンツスタイルが好き。
ショートヘアが好き。
上半身はまな板のよう。
初対面の人に「男の子?」と聞かれて、嬉しいようなイヤなような、
複雑な気持ちで日々を生きる。
ちょっと声を低めに…イヤそもそも声を出さない方が…
そんな理由もあって、私は手話という言語に憧れを抱きました。
声を出せば女性、けど体つきは男性?どっち?という社会の「視線」が痛かった。
「女なのに○○」という言葉を、どれだけ浴びてきたのだろう。
それは、身体的な特徴のみならず、例えば「女なのに甘いものダメなんだね」とか、
「女なのに数学が好きなんだね」とか、
「女なのにメイクしないんだね」とか、
「女なのに体硬いんだね」とか、
そういう感じのことです。
「いやいや、そんなことで?」と思うかもしれないけど、
本人にとっては生きるか死ぬかぐらいの、すっっごい大事な「核」の部分を鋭利なものでグッサグサ刺してくる感じなんです。
私はどっちなんだろう。
男性が好きなのかなぁ?
このカラダはもう、変化しないのかな…
テレビで「性転換手術」というワードを聞いて、
「どんなことをするんだろう?」とすごく興味がわいて、
脳内に人体構造を浮かべては「ここを切ってここを縫うの?」「尿道口を形成するの?」って、
一人でまるで、オペ前夜の医師のように手を動かして想像していた…![]()
とまぁ、そんな青年期も通り越して今は、中年?初老?の42歳。
現在は「私はどっち?」なんて悩みはなくて、
多分、femaleとして登録されてて、性自認は女性で、恋愛対象は男性?たまに女性にも惹かれることがある。
男になりたいかっていうと、そこまでじゃない。
けど、今後変わるかもしれないし変わらないかもしれない。
性的マイノリティの部類に入るのだろうか?と悩むこともなくて、
どこかに自分をはめようという気持ちもなくて、
アンケートで必要な時だけ「女性」にマルをつけるだけ。
色んな名前(ストレートとか、ノンケとか、トランスとか)があるけど、
人の数だけ呼び名がある(作れる)と思ってるから、
私はコレ!って決めつけずにいるのが「今」の私だなって思う。
映画の中で、「オンリーワン」というワードが出てくるのですが、
これをどう捉えるのかってのが、生きる上で大切だと思ってて。
「オンリーワン」って言葉そのものに、重さはない。
なんか特別感あるけど、特別じゃない。
「ここが自分の居場所だ」って、心から思える環境に身を置き、そこで自分を活かすことで、
オンリーワンと呼ばれる存在になれる。
だけどね、コミュニティの中で「唯一無二だから」オンリーワンってことじゃない。
そもそもが「ひとつの個体」なわけで、被る個体ってないんだよね。
どこかの集団の中で「キラキラしてる」=オンリーワンな存在、って、
そういうイメージを持つ人もいるかもしれないけど…
私はそう思ってなくて。
自分とは何か?を知るために、他人が存在していて、
様々な体験を通して感情を知り、
そこから「こんな自分がおったんやな」って拾っていく。
それら一つ一つがパズルのピースで、最終的に完成!ってなるのが、
あの世に還る時なんじゃないかなと。
道半ばで完成するなんてことは不可能で、まだまだスカスカな「自分」という世界のパズル。
自分のことは、自分が1番よく分からない。
だからみんな、自分に1番興味が湧くように設定されてて、
どの経験もぜーんぶ、自分を知るためのピースなんだろうなぁ。
なんか、この作品を通して10代の自分を思い出しました。
どれだけのコンプレックスを抱きながら、
お風呂場で泣きながら、
「女らしいカラダになれ!」と、あれやこれや頑張っていたのだろうと。
私が結婚したのって、「妻」という「The・女性」な証明が欲しかったんだろう。
それほどまでに、「女性」であることに執着していたんだなぁ。
もう、私は私だから。
亜澄は亜澄だから。
そう。「This is I」![]()
Netflixで![]()
あ、回しモンじゃーござんせんよ![]()
長々と失礼しました♡(ㅅ´꒳` )
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