お金が産む善と悪とは・・:“So it is time to ‘kill’ them.” | 仁吉(nikichi)

仁吉(nikichi)

自分がどうありたいかを知り、思うがままに創造し、そして喜びを感じること。

“So it is time to ‘kill’ them.”

 

投稿日: 2024 年 2 月 1 日 by State of the Nation

 

「だから、彼らを『殺す』時が来たのです。」

   国際公告 : 彼女はどうやって知ったのかと尋ねますか?

 

                                          アンナ・フォン・ライツ著

 

『アトラス・シュラッグド』の著者アイン・ランド、1959年当時、彼女はどうしてこのことを知っていたのでしょうか? 

2024年の私たちが知っているのと同じように。

彼女は見た。

彼女は言った。


若いマイク・ウォレスも、メディアの路線と社会主義者の考え方を荒らしていることを指摘しています。


このインタビューが行われたのは、1941年の時点で、世界中のあらゆる国のあらゆる社会プログラムやインフラなど、政府のあらゆる経費を賄うための資金が用意されていた18年後のことです。


そこで将軍たちは、政府の全経費を賄うための基金を盗み出し、課税の必要性をなくしました。

 

彼らはマーシャル・プランやその他さまざまな構想や裏金の下でそれを徴用しました。 

 

自分たちが引き起こしたすべての被害を再建するため、そして世界中の国々の政府や経済部門を買収するために使ったのです。


彼らは今もなお、みなさんを永遠に税金から解放するためのお金を盗み、支配し、握りつぶすことを意味しようとしています。


彼らはその存在を否定しようとした。


そして、誰のお金か知らないふりをしようとしてきました。


そして、それが犯罪的な出所からもたらされたものだと偽ろうとしました。


そして、三層構造の奴隷制度の奴隷である男から出た金だと偽ろうとしました。


そしてどれも真実ではありません。

 

その金がどこから来たのか、何をすることになっているのかは、彼らも私たちもよく知っています。
それは永遠に税金をなくすことになって
います。


国民に課税することなく、政府サービスやインフラなど、誰もが必要とするものをすべて提供することになっています。


しかし税金は、強要やいじめや恐怖に使える破壊の力であり、卑劣な連中はそれを手放そうとしません。


そもそも富を実際に生み出した人々の意思を尊重しようとはしません。
 

そうではなく、富を使って人々を買収し、より多くの紛争や抑圧を生み出し、人々を殺す方法を増やしたいのです。

 

それが、この男たちがいかに歪んでいて、心が狭く、曲がっていて、貪欲であるかということなのですから。


アイン・ランドは、税金についての真実を語っています。


アイン・ランドは、将軍たちがこの金を使ってフォーチュン500社の全株式を買い占め、市場全体を食い物にし、株式市場を不正なカジノに変え、業界のリーダーたちを恐怖に陥れ、盗み、強要し、そして今もそうしていることを説明しました。


『アトラス・シュラグド( = 肩をすくめるアトラス )』は、フィクションとして描かれたシンプルな真実です。

アイン・ランドが真実を伝えることができる唯一の方法でした。

 

       詳細:後述

 

これは、彼女が1930年代、40年代、50年代に個人的に目撃したものです。


『オズの魔法使い』や『ロード・オブ・ザ・リング』のように、『アトラス・シュラッグド』は、悪徳将軍や政府官僚の手によるこの世界の破壊の一端、つまり生産性の高い民間企業の乗っ取りと必然的な産業基盤の死を暴く情報開示の一形態です。


彼女がどうして知っているのか不思議に思わないでほしい。

なぜ知らなかったのか。

アルゼンチン大統領が世界経済フォーラムのメンバーに与えた最近の経済学の教訓は、アルゼンチン、ロシア、中国、そして他のすべての社会主義-共産主義-ファシストの国が学んだ教訓です。


このような失敗した社会主義の政治理論は、それが採用されるたびに、そしてどこでも、貧困と社会的悲惨さをもたらしてきました。 例外はありません。


犯罪者たちを野放しにすれば、彼らはこれらの失敗した考えを私たちに押し付け、私たちは第三世界の国になるでしょう。

 

実際、共謀した将軍たちが成功した範囲では、私たちはすでにそうなっています。


1976年にジミー・カーターの連邦教育省が登場して以来、アメリカの統一テストの点数を見てみましょう。


生活水準が急落しています。


連邦準備券の価値が、仕組まれたインフレによってボンボンのように食いつぶされているのを見てください。


かつては愛され尊敬されていたアメリカが、ゴミと化し嫌われているのを見てください。


政党やロビイストたちがこの国にもたらしたものを見て、自問自答してほしい。

なぜこのような特別利益団体は非合法化されないのでしょうか?


なぜ企業は政治家候補にほぼ無制限に資金を提供し、文字通り政府を買収することができるのでしょうか?


連邦議事堂を占拠しているのはアメリカ政府ではなく、簒奪( さんだつ=政治の実権などを奪い取ること )しているローマ・カトリック自治体の「アメリカ合衆国株式会社」であり、簒奪しているイギリス領の「アメリカ合衆国株式会社」なのだと、世界中の人々が認識するまで、世界中が苦しむことになるでしょう。


同様に、世界が国連組織と国連企業の違いを認識するまでは、誰にとっても平和も誠実さも安全もありません。


これらの邪悪な企業複合体は、利益のために戦争、戦争、そしてさらなる戦争を推進し続け、腐敗した将軍たちは、彼らに資金を提供し、彼らの汚れを隠している銀行が膝から切り落とされるまで、文民の権威から逃れ、乱用し続けるでしょう。

 

これはアイン・ランドも知っていたことです。


私たちが皆さんにお伝えしていることは、目新しいことではありません。

 

私たちはただ、それを別の方法でまとめ、皆さんが窒息するまで顔に押し付けているだけなのです。


営利企業が政府になりすますとどうなるか、同じように洞察に満ちたこの要約をぜひご覧いただきたい。


彼らは利益のために人々を殺し、恐怖に陥れる。
文字通りです。


彼らにとっては、これも戦争状態にあります。
彼らにとっては、これもまた「劇場」に過ぎない。
彼らにとっては、捕まるまではすべてが遊びなのだ。


いわゆるパンデミックの数年前、ロンドン・オリンピックで実際に行われた、狂った病院、看護婦、死と悪魔のディスプレイの撮影されたフィルム映像には、特に注意を払ってほしい。


この方法ですと、人類の敵が、私たちの目の前で公開され、私たちや私たちの子どもたちや年長者を殺すつもりであることを演出しています。

 

そして、キックバックを受け取り、毒物や寄生虫や実験的なガンクをみんなに注射した「制服警官」、つまり免許を持った医療専門家を使って、そうしたのです。


忘れてはなりません、そして許してはなりません。


彼らは無差別に殺しました。 

老いも若きも、金持ちも貧乏人も、黒人も白人も殺した。

 

彼らは利益のために殺し、底なし国債スキャンダルの奇妙な再来として、私たちの命を奪った「生命力価値年金」を現金化しました。


だから、今こそ彼らを「殺す」時なのです。 

 

彼らの憲章と契約を破棄する。

免許を剥奪。

企業のベールを剥ぐ。

登録、著作権、特許を無効化する。

ボイコットする。

彼らのシナリオを一言も信じないで。

いかなる形であれ、彼らを支援してはならない。

疫病神のネズミのように彼らを扱え。
彼らのために働くのをやめなさい。 

彼らにきっぱりと終止符を打つ団体に参加すること。
なぜこれが正しく、適切で、合法的な対応なのか、皆に説明しましょう。

2024年2月1日

発行者:アンナ・マリア・リーツィンガー、受託者

アメリカ合衆国

保管中: ボックス 520994

ビッグレイク、アラスカ州99652

 

2024 年 2 月 1 日

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http://www.paulstramer.net/2024/02/international-public-notice-you-ask-how.html

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アイン ランド (著), 脇坂 あゆみ (翻訳)

 

著者からのコメント

アメリカではいまも年間15万部は売れているというロングセラー。

一般読者が選んだ20世紀の小説ベスト100 第1位(1998年、ランダムハウス・モダンライブラリ発表)

聖書についでアメリカ人が「人生でもっとも影響をうけた本」

(1991年、米国国会図書館、ブック・オヴ・ザ・マンス・クラブ共同調査)

抜粋

「マダム、道徳律の作用を信じていらっしゃらないのですか?」フランシスコは重々しくきいた。「私は信じております」


バートラム・スカダーがグループの外で、憤慨した音をたてた娘にいうのがリアーデンの耳に入った。

「あの男のいうことにまどわされちゃいけないよ。

あのね、金(かね)は諸悪の根源なんだ――そしてやつは典型的な金の産物なんだ」


フランシスコにそれがきこえたとはリアーデンは思わなかったが、フランシスコは丁重な微笑をうかべてかれらの方を向いた。


「ではあなたがたは、金(かね)は諸悪の根源だとお考えなのですね?」フランシスコ・ダンコニアが言った。

 

「お金の根底にあるのが何かをお考えになったことがありますか? 

お金は生産された商品とそれを生産する人間なくしては存在しえない交換の手段です。

 

お金は、取引を望む人間は、交換によって取引し、価値のあるものを受けとるには価値のあるものを与えなければならないという原則の具体的な形です。

 

お金は涙ながらにものをねだるたかり屋や、力ずくでものを奪う横領者の道具ではありません。お金は生産する人間がいてはじめて機能するのです。

これが、あなたがたが諸悪の根源と考えるもののことでしょうか?


仕事の代償として金銭を受け取るとき、人はその金を他人の労力の産物と交換できるという確信があってはじめてそうするのです。

お金に価値をもたせるのはたかり屋でも横領者でもない。

 

涙で海を満たしても、世界の銃をかき集めても、財布の中の紙切れを、明日をしのぐパンに変えることはできません。

 

その紙切れは、本来金(きん)であるべきだが、ある名誉の象徴――生産する人間の活力を求める権利なのです。

 

あなたの財布は、世界のどこかに、お金の根源である道徳律を犯さない人間がいるという希望の表明だ。

これが、あなたがたが諸悪の根源と考えるもののことでしょうか?


生産の根源を追求したことがありますか? 

発電機をみて、野蛮人が力まかせに作ったものだといってごらんなさい。

小麦の栽培を最初に考えだした人が残した知識なしに種の一粒でも育ててみることです。

体を動かすだけで食糧を手に入れてみることです。

そうすればあなたがたには、人の知恵があらゆる生産物と、この世界に存在したあらゆる富の根源だとわかることでしょう。


だが金(かね)は弱者の犠牲の上に強者が作るものだと言われるのでしょうか? 

何の強さですか? 

銃や筋肉の強さじゃない。

富は人の考える能力の産物です。

 

では金はモーターを発明した男が発明しなかった人びとを犠牲にして作るのでしょうか? 

聡明な人間が愚か者を犠牲にして金を作るのでしょうか? 

能力のある人間が無能な人びとを犠牲にして? 

野心家が怠け者を犠牲にして? 

 

金(かね)は作られるのです。

 

すべての正直な人間それぞれの能力に応じた努力によって、横領されたりたかられたりする以前に作られるのです。

正直者というのは、みずから生産しただけしか消費できないと知っている人間のことです。


お金を手段として交換することは善意の人間の規範です。

 

人はそれぞれがおのれの精神と努力の成果の持ち主であるという原理によって、お金は支えられています。

 

自分の努力の成果に換えて取引をしようという相手の自発的選択によらなければ、お金には、あなたの努力の成果の価値をさだめる力はありません。

 

お金の存在によって、あなたは自分の商品や労働と引き換えに、それを買う人間にとって価値のある分のものを入手できるが、それ以上のものを手にすることはできないのです。

 

お金は、商人同士が互いの利益になると自主的に判断したときにだけ取引を成立させます。

 

お金の存在によってあなたは、人は自分を傷つけるためでなく豊かになるために、損失ではなく利益のために働くと認識せざるをえなくなります。

 

それは、人は不幸の重荷を担ぐために生まれた動物ではなく、相手には傷ではなく価値を差しださねばならず、人間の絆は苦悩の交換ではなく良いもの(グッズ)の交換だという認識です。

 

お金があなたに要求するのは、人の愚かさにつけこんでおのれの弱みを売ることではなく、理性に訴えて才能を売ること、人から差し出された粗悪品ではなく、お金の〓許すかぎり最上のものを購(あがな)うことです。

 

そして人が武力ではなく理性を究極の仲裁者とする取引によって生きるときに勝つのは、最高の商品、卓越した演技、もっとも優れた判断力と能力をもつ人間であり――人は生産に応じた報酬をうけとるようになります。

 

これがお金を道具と象徴とする存在の規範です。

 

これをあなたがたは邪悪だと考えるのですか?


だがお金は道具にすぎません。

行きたいところへ連れて行ってはくれても、代わりに道筋を示してくれることはないからです。

 

欲望を満たすための手段はくれても、欲望そのものをくれることはない。

 

お金は、因果律をひっくり返そうとする人間――精神の産物を奪うことで精神を埋めあわせようとする人間を懲らしめる罰なのです。


自分の求めているものがわからない人間に、お金が幸福を買い与えることはありません。

 

何に価値をみいだすべきかを知ろうとしない者に価値基準を与えはしないし、何を求めるべきかを選択しようとしない者に目的を与えることもない。

 

愚か者に知恵を、臆病者に賞賛を、無能な者に尊敬を買い与えはしないのです。

 

自分の判断に代えて、より優れた者の頭脳を金で買おうとする人間は、より劣った者の餌食(えじき)になるのがおちだ。

 

聡明な人間は彼を見捨てるが、彼が発見していない掟(おきて)によって、いかさま師や詐欺師が集まってくるからです。

 

誰も自分の財産より小さいものではいられないという掟によって。

これが、あなたがたが金は邪悪だとおっしゃる理由なのでしょうか?


財産を必要としない者――いかなる状態から始めようが自力で財産を築く人間だけが、その相続にふさわしい。相続人が財産に匹敵するならお金は役に立つが、匹敵しなければ金は彼を破壊します。

 

だがあなたがたはそれを見て、金が彼を堕落させたという。

そうでしょうか? 

それとも彼がお金を堕落させたのでしょうか? 

無能な相続人を妬(ねた)まないことです。

彼の財産はそもそもあなたのものじゃないし、あなたが相続したところでもっとうまくやれるわけじゃない。

その富があなたがたに分配されるべきだとも思わないことです。

 

一人のかわりに五十人の寄生虫を世界が背負うことになっても、真の財産であった失われた美徳を取り戻せはしない。

 

お金は根源を失えば死んでしまう生きた力だ。

つりあわない精神に奉仕することはありません。

これが、あなたがたがお金を邪悪だとおっしゃる理由なのでしょうか?


お金は生きる手段です。

 

その命の泉にあなたが下す判決は、人生に下す判決なのです。

 

泉を腐敗させれば、あなた自身の存在をののしることになる。

 

あなたは詐欺で金を手に入れたのですか? 

人の悪癖や愚鈍さにつけこんで? 

おのれの能力が値する以上のものを欲しがり愚か者の求めに応じて? 

おのれの基準を下げて? 

馬鹿にしている客のためにさげすんでいる仕事をして? 

 

だとすればあなたのお金は、一瞬の、一セント分の喜びもくれはしないでしょう。

 

そしてあなたが購うものはすべて、あなたへの賞賛ではなく非難になり、業績ではなく恥を呼び覚ますのです。

 

やがてあなたは、金は邪悪だと声高にいうようになる。

 

それが自尊心の代わりを務めてくれないから邪悪だと言うのですか? 

 

堕落を楽しませてくれないから邪悪なのですか? 

これが、あなたがたがお金を憎悪する原因なのですか?


お金は常に結果であり、あなたに代わって原因になることはありません。

 

お金は美徳の産物ですが、美徳をくれはしないし、悪徳を贖(あがな)ってもくれません。

 

物質的にも精神的にも、稼いでいないものを与えない。

 

これが、あなたがたがお金を憎悪なさる原因なのですか?


それとも諸悪の根源はお金への執着心だと言われるのでしょうか? 

ものに執心することはその性質を知って愛するということだ。

 

お金に執心することは、お金が自分の中の最高の力を使って創りだしたものであり、あなたの努力の成果を人間の最高の成果と交換するための合鍵でもあるという事実を知って愛するということなのです。

 

五セント玉におのれの魂を売り渡す人物が、お金への憎しみを誰よりも声高に宣言する。

 

その人には憎むに十分な理由があるのですから。

 

お金に執心する人びとはそのために喜んで働きます。

かれらは自分がお金にふさわしい人間でいられると知っています。


人格を見極める手がかりとなる秘訣をお教えしましょう。

お金を呪う者はそれを卑劣なやりかたで手に入れ、お金を敬う人間はそれを稼いだのです。


金(かね)が邪悪だと言う人間からは一目散に逃げなさい。

 

その文句はたかり屋の接近を告げる警鐘なのです。

 

この世界で人が共存しながら互いに取引する手段を必要とする限り――お金を放棄してしまえば、唯一それに代わるものは銃口だけだ。


だがお金を稼ぎ、それを守りたいとおもう諸君には最高の美徳が要求されます。

 

勇気も誇りも自信もない人間、自分のお金への権利について道徳観念がなく、命を守るようにそれを守る覚悟のない人間、裕福であることに恐縮する人間は、いつまでも豊かでいつづけることはできません。

 

何世紀も岩陰に潜み、富める罪の許しを請う者をかぎつけた途端に這いでてきて群がるたかり屋の天然餌になるからです。

 

たかり屋たちはまたたく間に罪の重荷から彼を解放するでしょう――そしていみじくも、命の重荷から。


やがて二重基準の人間――武力によって生きながらも、かれらが横領する金の価値を創出する商人に依存する者たち――美徳の便乗者(ヒッチハイカー)がのさばる日がくるでしょう。

 

道義ある社会ならば、かれらは罪人であり、法規が諸君をかれらから守ってくれる。

 

だが、社会が、権利による犯罪者と法律によるたかり屋――非武装の犠牲者の富を奪うために武力を用いる者たちの地位を確立させるとき、お金は創造者の仇となる。

 

かようなたかり屋は、いったん人民の武装を解除する法律さえ通せば、無防備な民から強奪しても安全だと信じています。

 

だが横領は横領を呼び、強奪されたものは別のたかり屋に同じやり方で奪われる。

 

かくして競争は、最たる生産能力をもつ人びとではなく、もっとも容赦ない冷酷さをもつ者に有利になります。

 

武力が基準であるとき、殺人鬼はすりに勝(まさ)るからです。

そして廃墟と殺戮が広がって社会は消滅するのです。


その日が近いのか知りたいとおっしゃいますか? 

 

お金に注目なさい。

 

お金は社会の美徳指標です。

合意によらず規制によって貿易が行われるとき―

―生産するために、何ひとつ生産しない人びとからの認可が必要なとき―

―商品ではなく恩を受け売りする人びとにお金が流れるとき―

―仕事ではなく賄賂とコネによって金持ちになる人びとが増え、法律が諸君をかれらから守らずに、かれらを諸君から守るとき―

―腐敗が報われ正直が自己犠牲になるとき―

―あなたがたの社会は滅亡の危機に瀕している。

 

お金は高潔な媒体ですから、銃と競うことも蛮行と折りあいをつけることもしません。

 

中途半端に財産が守られながらも略奪が横行しているといった国の存続を許さないのです。
 

破壊者が現れるとき、かれらは真っ先にお金を破壊します。

というのもお金は人間の護身手段であり、道徳的生存の基盤だからです。

 

破壊者は金(きん)を押収し、その所有者にまがいものたる紙幣の山を残します。

 

これがあらゆる客観的基準をそこない、任意に価値基準を定める独断的な権力に人びとを引き渡すのです。

 

金(きん)には客観的な、生産された富と同等の価値がありました。

 

紙幣は、富を生み出すことを求められた人間に向けた銃によって裏書きされた、存在しない富の抵当証書です。

 

紙幣は法律にのっとって横領をおこなうたかり屋が、自分のものではない口座から、犠牲者の美徳につけこんで振り出した小切手なのです。

それが不払いになって戻ってくる日に用心なさい。

『残高不足』としるされて。


悪事を生存の手段にしておきながら、人の善良さは変わらないとは思わないことです。

 

かれらが道徳心を失わず、不道徳な者の飼葉(かいば)になるために命を落とすと思ってはいけません。

 

生産が罰され、横領が報われるときに、人がものを生産すると期待しないことです。

 

『誰が世界を滅ぼしているのか?』などときかないことです。

滅ぼしているのはあなただ。


あなたがたは活力の源であるお金を呪いながら、もっとも生産的な文明の最高の業績の中心にいるのになぜ周りが崩れていくのかと思っている。

 

以前の野蛮人のようにお金を眺めながら、なぜ自分の住む都市の間際までジャングルがゆっくり戻ってきているのだろうと思っている。

 

人間の歴史を通じて、お金は常に何らかの名を冠したたかり屋によって押さえられてきました。

 

呼び名こそ変わったものの、やりかたは同じです。

 

武力によって財産を押収し、生産者を縛り、品位と名を貶め、尊厳を奪う。

 

かような正義感にあふれる無謀さをもってあなたがたが口にしているお金の邪悪さについてのその文句は、誰かが考案した動作を何世紀も改善しないまま反復した奴隷たちの労働によって富が生み出されていた時代のものです。

 

生産が武力に支配され、富が征服によって獲得されていたあいだは、征服すべきものはほとんどありませんでした。

 

にもかかわらず、停滞と窮乏の何世紀にもわたり、人はたかり屋を剣の貴族として、家柄の貴族として、役所の貴族としてあがめたてまつり、生産者を奴隷として、商人として、店主として――実業家として見くだしてきたのです。


人類にとって幸いなことに、史上で唯一初めて、お金の国が出現した―

―このことによって道理、正義、自由、生産、業績の国たるアメリカにこれ以上高く敬虔な賛辞を僕は捧げられない。

 

はじめて人間の精神とお金は解放され、征服による財産がなくなって仕事による財産だけになり、剣客と奴隷の代わりに正真正銘の富の製造者であり、最高の労働者であり、もっとも高邁な種類の人間――独立独行の男(セルフメイド・マン)――アメリカの実業家が出現したのです。
 

アメリカ人が何にもまして誇るべき特長をあげるとすれば、僕は――なぜといえばそれはほかのすべてを含むものだから――かれらが『お金を作る』という文句を創った民族だったという事実を選ぶことでしょう。

 

それ以前に、この言葉をかくのごとく使った言語や国家はありませんでした。

 

人は常に富を定量的に考えてきた―

―押収し、請い、相続し、分配し、たかり、厚意として手に入れるものとして。アメリカ人は、富が創出されなければならないということを最初に理解したのです。

 

『お金を作る』という言葉は人間道徳の本質をとらえています。


だがこれは、腐敗したたかり屋の大陸の文化人がアメリカ人をけなすのに使われてきた言葉でした。

 

いまやそのたかり屋の信条によって、あなたがたはみずから誇るべき業績を恥の印として、繁栄を罪として、偉大なる実業家を悪党として、立派な工場をエジプトのピラミッドのように鞭で追われた奴隷の肉体労働の産物としてみなすようになってしまったのです。

 

ドルの力と鞭の力の間には何の違いもないとにたつく与太者は、自分の皮膚でその違いを学ぶべきだ――けだし、そうなることでしょうが。


お金があらゆるよきものの根源だと悟らない限り、あなたがたはみずから滅亡を招いているのです。

 

金銭が相互取引の道具でなくなるとき、人間は人間の道具になる。

 

血、鞭、銃をとるか――ドルをとるか。

選択なさい。

それ以外にはない。

残された時間はあとわずかです」

著者について

アメリカの小説家、思想家。サンクトペテルブルクに生まれ、ロシア革命を経験するが、1926年に渡米。

43年に個人主義をテーマにした小説『水源』を発表し注目を浴びる。57年に出版された本書『肩をすくめるアトラス』によって文名を確立。

市場重視型の極端な資本主義論を展開し、70年代以降の政財界人にも影響を与えた。

さらに、すべては合理的に実証できるとするオヴジェクティヴィズムを提唱し、若い読者を中心に支持を集めた。