瞑想について サキャ・バンディタの格言 | ~白鳥友唯(しらとりゆい)のブログ~

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スピリチュアリズム、ミディアムシップの学び

5月末をもってアイイスとのフランチャイズ契約は一旦終了しました。
だからと言ってアイイスとのご縁が全く無くなったとは思っておらず、一会員として残していただいています。

2005年に開堂先生のカウンセリングを受けてから、もう20年近く時間が経過していました。
霊視ができる上級クラスは、生まれつきの能力のある人だけだろうと思っていたので、瞑想ができれば良いと思ってクラスに通っていました。

広瀬先生のクラスに通っていたのですが、瞑想の合間に必ず、聖人の言葉やアイリーンキャディーさんのお話、マントラなどがあり、何故瞑想をするのにそのような道徳の授業のような話をされるのか最初は全く分かりませんでした。

以前、他所のワークショップでアイイスに在籍されていた方とお話した時、「広瀬先生って話長いんだよね。俺はワークをやりたいのに!」と言っていました。

今思えば、その「お話し」の部分の方が大切だと理解できれば霊性開花の道に繋がっていくと思います。実際その方はその時点でアイイスを辞められてましたし。

瞑想についてはサキャ・バンディタの格言がいくつかありますので書いておきます。↓「楽」を求める人には耳が痛いかもです。霊性開花を勉強しないで行う瞑想は畜生の修行ということです。○ウム○理教の顛末を見ればそれは明らかです。

441
瞑想すれば聴き学ぶ必要はない、と 愚かで度量の小さい人は言う。 聴き学ばずに瞑想だけに 励んだところで畜生の修行である。 

443
聴き学ばない瞑想は しばら 暫くは成就してもすぐだめになる。 金銀はよく溶けても 火から離せばすぐ硬くなる。 

444
智恵によって深く観察し 過ちの原因を捨てるのが瞑想である。 身体の汚れを洗うように 瞑想しても永いことすると元通りになる。 


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さて、今年になってから強く、アイイスのフランチャイズを辞めるのではという思いが強くなりました。ただ個人的には続けたいのにこの相反した「何か(感情?)」は何かしらと思ってた。又、授業に費やすようなまとまった時間が将来取れなくなるのでは?と感じました。

3月で担当クラスを終了することを協会に思い切って告げました。
すると4月の第一週目に家族が転倒骨折し、他に面倒を見る人もいないため、私一人で入院している家族のために連日病院通いとなりました。かなり疲れました。

クラスを担当していたら、良い状態でクラスをできなかったのでこれで良かったのかも。
以前から感じていたことが自分の感か、霊界からの知らせか、、それは分かりません。

ブログは続けて行こうと思っています。スピリチュアルのお話し中心でないかもしれません。


カウンセリングもHPを直さなくてはならないのですが、落ち着いたら再開したいと思っています。

自分のクラスでやっていたサイキックのワークもブログで掲載するかもです。良かったらチャレンジしてね。

かなり辛口なサキャ・バンディタ