運命の輪のタロット
ちょうど10年前のお正月に母親が亡くなった。
かれこれ10年間、アルツハイマー型認知症の母を在宅介護で看取った。
母は、私が娘であることを忘れていたものの可愛くひょうきんな性格で大好きだったし、
私は社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士、元ケアマネなので介護はお手のものだったので在宅介護の日々は天国のようだった。
隙間時間に読書や瞑想できたので。
(福祉の仕事は母親が重度になってから、辞めていた)
骨折した時に病院で
若かった私
でも、亡くなる3ヶ月前に、母が体調を壊し昏睡状態になってからは 私は不安の連続だった。
私は、母親は、あと10年ぐらい生きると勝手に思い込んでいたから。
私の楽しい介護生活が、あと10年以上続くと信じ込んでいたから。
私の夢のような生活が崩れる!と私は不安に駆られた。
つまり母親の都合でなく、私の都合から母に長生きしてもらいたかったのだ、今考えると。
ヒマラヤンのグラガのエッセンス
実は母が体調を崩す前に、私はヒマラヤンフラワーエンハンサーのグラガを使った。
人生を変えるエッセンスとして名高いフラワーエッセンスだ。
(正確には日食の日にキノコから作られたエッセンス。
だからエネルギー的に強いし、占星術的には天王星と冥王星のエネルギーが感じられる。)
1〜2回使ったあと、母の体調の悪化が始まった。
もちろん、フラワーエッセンスと母は全然関係はない。
でも、びっくりしたので使うのをやめた。
その後は上記に書いたように母は昏睡状態になり、その3ヶ月後の正月に息を引き取った。
その後、私の人生は激変した。
10年近く、のんびり介護生活を送っていたけど、それが終わってしまったので、私は仕事をしなくてはいけなくなった。
さて、エッセンスを取った時に時間を戻すと、
その後の3ヶ月間、私は人生の変化に抵抗していた。
絶対に母を逝かせない努力をする!と決意し、あらゆる手を尽くした。
あんなに緊張感を持った期間は人生の中でも初めてだった。
「絶対に母を手ばなさい!」と決心して介護に勤しんだ。
ある日、まる2ヶ月間、昏睡状態だった母がガバッと起き、
「私は死んじゃうの?!」
と恐怖心に満ちた大声をあげた。
びっくりして母に視線を向けたら、母は再び昏睡状態に陥った。
昏睡状態の重度のアルツハイマー患者でも死への恐怖は持っていることを知り、びっくりした!
そして、私の長年の母に対する努力は母の為になっていたか?疑問に感じた。
何もしてなかったら母は短い間に認知症が進み恐怖を感じぜずに済んだかもしれない。
とっても反省した。
だけども子供の頃の母の関心は兄に向けられていた、なので私は母に執着していた。
「母の愛情」
「母の生」
「自分の生活が変化することへの恐怖」
そう、私はあらゆるものに執着していたのだ。
結局、母が逝った10年前の正月まで「母の生」に執着していた。
入院させたり胃瘻こそしなかったものの、その「母の生」は、本当に「母自身のためになる母の生」だったか?
今となっては疑わしいけど。
人生は変化するのが当然だ。
変化こそ万物のことわり。
お釈迦さまの教えも然り。
私は人生の変化を拒否していたのだ。
変化を拒否すると恐怖が心を支配する。
恐怖に駆られた心は平常心と程遠くなる。
何も持たずに旅に出る「フール」
恐怖に支配されない為には変化を受け入れること。
神がもたらす変化は、すべては人生に必要なこと、と。
(私は無宗教だけど)
去り行くものに、しがみつかない事。
人生はコントロールできないものと知り人生に委ねること、
それが心の平安を保つ方法、
そして結局は人生をスムーズに生きる秘訣。
そんなことを人生を変えるフラワーエッセンス、ヒマラヤンフラワーエンハンサーのグラガは教えてくれたのだろう。
そして、とんでもなく途方にくれていただろう。
つまり、人生は、私が変化に耐えられる年齢のうちに私に変化を促した、
そういう事だったのだろう。
(ただし、繰り返すが母の死はグラガが引き寄せた訳ではない。)
短期的に不幸に見える事は長期的にはラッキーだったと気づく事は、よくあること。
そんな事や私の人生に対する考え方、姿勢の持ち方を教えてくれた人生を変えるエッセンス、グラガ。
感謝を込めて記事を書きました❤️
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