昨日、私にとっては、ちょっと、ショッキングな事件があった。
自分としては、そんなつもりがないけれど、自分の行動が誤解されていた、というもの。
でも、考え直したら、私に、その気がなくても、向こうが、そうとったなら、私の振る舞いに、そう感じさせるものがあったのだろう。
それを怒るのなら、しょうがないな、と思った。
なぜならば、人生には、間違えがないから。
きっと、私の最近のアップアップしている状態を見て、人生が、
「あなた、少し、やることを減らしなさいよ~」
って、言いいつつ、ドンと、ガケから突き落としてくれたんだろう。
だって、私、あんまり自分からは、変化を求めないから。
こうやって荒療治されなくては、私は自分の時間がもてないのだろう。
その人のハイヤーセルフは私に何かを教えるために、敢えて怒り役を、その人に演じさせてくれたのかもしれないしな~。
そう考えると、ありがたくもある。
昔は人生は自分に対して、なんてひどいことをするんだろうと憤慨していた。
でも、今ならば、人生を振り返ると、人生がくれたレッスンに一つも間違えはなかったと思える。
なので、今回の件も正解なのだ。
どんなことがあっても、人生は正解なのだ
きっと意味のあることなのだ。
人生は、現実が答えで、イエスなのだ。
現実に対抗して、憤慨すれば、自分が傷つくだけだ。
イエスと言って人生を迎え入れれば、やがて、事件は消化され、通り過ぎ、苦しくなくなるものだ。
私は人生を信頼している。
あなたと私は全然違って構わない。
人それぞれ自分の道を歩むだけだな~と。
ということで、思い出したのがゲシュタルトの祈り。
昔紹介しているけど、すごく素敵な言葉なので、また紹介しちゃいますね。
ゲシュタルトの祈りは、ドイツの精神科医のフレデリック・パールズの言葉です。
彼は、心理療法の一つ、ゲシュタルト療法の創始者です。
他者とのかかわり方の指針となるこの言葉をかみしめようっと♪
「ゲシュタルトの祈り」
私は 私の(するべきこと)ことをする
あなたは あなたの(するべきこと)ことをする
私は あなたの期待に応えるために
この世にいるのではない
あなたは 私の期待に応えるために
この世にいるのではない
あなたはあなた 私は私
もし 偶然に 私たちがお互い出会ったら 素晴らしい
もし そうでなくても しかたがないこと
※( )かっこは、私の注釈です
by フレデリック・パールズ
それぞれが、自分の為に生きる♪
なんて素晴らしいことだろう♪
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